素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

3歩進んで2歩下がる。体作りは一歩一歩。

2010年09月30日 | 日記
 9月の第二週目あたり、とても体が軽くドンドン走る距離や負荷を増やしていったが、オーバーワークとなり週末に一気に反動が押し寄せてきた。「適度な休養」の大切さを再認識した次第である。

 それから完全に回復するのに2週間かかってしまった。今週に入って体の方から「大丈夫!」というメッセージが送られてきた。月曜日久しぶりに30分で5km(時速10km)にトライした。少しペース配分をまちがって30分で4.92kmであったが、かなり余裕があったのでそのままあと30分時速8kmのペースで走ることができた。一日休養を入れて昨日、再チャレンジ。30分5.2kmで走りきれた。さらに余裕があったので続けてあと30分走ることにした。今まで60分通す時は8km前後であったが、今回は60分9kmにトライした。足も呼吸も少し余力を残して達成できた。一歩前進かな。体重の方も正直なもので、ここ2週間79kg~80kgで横ばい状態だったが、一気に78kg前半に変化した。

 目標はBMI(体重kg÷身長m÷身長m)の22台になる76kg。スタートは86kgだったのでかなり接近してきたのだが、ここで急いではいけないと自らに戒める。3歩進んで2歩下がるのなら、1歩1歩進んだ方がよい。年齢とともに回復力の遅さは痛感している。3ヶ月、今年中に目標にタッチできれば上出来という気持ちでちょうど良いのではと思っている。
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評論家・小室直樹さんが亡くなる

2010年09月29日 | 日記
 今日の新聞を広げると、「小室直樹さん死去77歳」という見出しが目に入った。すでに4日に心不全で都内の病院で亡くなられていたみたいで、昨日公表されたみたいだ。

 小室さんは1980年代に光文社のKAPPA BUSINESSで精力的に出版されていた。最初に読んだのが「新戦争論」。その中で、“念力主義”という言葉に出会った。「みんなで団結して、楽しいクラスをつくろう」という学級目標を掲げ、『お題目』のように唱え、念じていれば素晴らしいクラスができるみたいなところがひっかかっていた私には響く言葉であった。『念力主義者になるな』ということを必ず新学期の学年やら学級で目標ができた頃に、学年通信に書いていたと思う。

 そして、ついこの間ブログに書いた“アノミー”も小室さんの「偏差値が日本を滅ぼす」で知った概念である。実は9月に入ってから本棚に10冊ほどある小室さんの本をちょくちょく読んでいたのである。今の政治の動きを考えた時、ふと小室さんは何を言っていたかなと思い、20数年ぶりに見直していたのである。そんな時の訃報である。何か因縁めいたものを感じた。

 氏の本のタイトルは過激である。「大国・日本の崩壊」「消費税の呪い」「中国共産党帝国の崩壊」「アラブの逆襲」など中身も結構ズバズバとエキサイティングである。池上彰氏の真逆という感じ。30代であった私にとっては違った視点に持って行ってくれる方であった。自分の目の前の事象のみに振り回されないということはとても大切だと思う。

 今日の別の紙面に、東京地検特捜部に逮捕され、取調べを受け、執行猶予付きの有罪が確定した佐藤 優さんが寄稿している。その最後のまとめで『検事が無理な取り調べをすることを防ぐためにも、特捜事件については直ちに全面可視化を導入すべきだ。特捜検事の労働は過酷だ。特捜部の定員を増やし、予算を増額するそして特捜検事に仕事に直接関係する以外の本を読む時間ができるようにする。視野と教養が広がれば、おのずから無理な取り調べが日本の社会と国家に与える悪影響を検事が強く意識するようになり、事態が改善すると思う。」と書いている。

 赤字の部分で、特捜検事を教師に置き換えると、今の現場のあやうさを解消する方向に向かうのではないかと考える。

 小室氏の本、これを機にちょくちょく読み続けて行きたいと思う。

 
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井沢式「日本史入門」講座④読み終わる

2010年09月28日 | 日記
 今回のテーマは『怨霊』。怨霊信仰を軸に日本の歴史をといていくと大和朝廷成立から藤原摂関政治、武士の台頭、明治維新まで脈々と流れる地下水が見えてきた。とても刺激的で面白かった。

 ムラサキシキブの実が色づき始める。

 中でも、「源氏物語」に関する部分が興味深かった。井沢さんも小さい時、「源氏物語」は「平家物語」と同じ武士の盛衰の物語だと思っていたというくだりがあったが、私も同じように思っていたので、ちょと嬉しかったというかホッとした思いを持った。

 ともあれ、井沢さんは「源氏物語」は怨霊信仰から生まれた鎮魂文学と断ずる。紫式部が「源氏物語」を書いた動機、大作を書き続けたモチベーションが何であったかという今までモヤモヤしていたものがスッキリした思いを持った。そして、元はハッピーエンドだった物語が後世、書き加えられて作り替えられているという仮説を指示している。

 このあたりになると、「源氏物語」を読んでいない私にとってはピンとこない世界になるのだが、多くの作家が魅了され現代語訳に取り組むほどの物語。「読んでみなければなあ!」という気持ちにさせられた。
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情報の量と質の問題はむずかしい

2010年09月27日 | 日記
 NHK朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」が先週最終回となり、今日から「てっぱん」が始まった。「ゲゲゲ・・」は久々のヒットとなった。忘れていた高度成長をはさんだ戦後の昭和の生活模様の中に「ああいう時もあったよな」とた自分の歩みを振り返るきっかけとなった人も多かったのではないかと思う。

 私も「ちりとてちん」以来久しぶりによく見たのだが、時々興ざめになった時がある。原因は、今週はこうなるというあらすじが余りにもていねいに流されるために、ドラマの醍醐味の一つ「次はどうなるだろうか?」というワクワク感、イライラ感が味わえないのである。サスペンスで、事前に犯人を知らされてから見るようなものである。宣伝も大切だと思うが、どこまで知らせるかという部分はもう少し考えた方がいい。特に、NHKでは力をいれている番組ほどそのことが目に付く。

 もう1つは、事前に舞台裏を見せすぎる。ドラマという虚構の世界を楽しみたいのに、事前にまたは途中で舞台裏を見てしまうと作品を見る時邪魔になる。製作秘話は全てが終わったあと、おまけに二度目を楽しむために用意されるべきである。

 このあたりのことは、情報時代と呼ばれる昨今の世相を反映しているのかもしれない。事前に情報が与えられていないと不安であるという心理。旅行の名所、名物でも昔に比べれば情報の量は格段に多い。ただ、余りにも事前にイメージができすぎて、現場では「確認」という感じになってしまい、本来の感動というものが得られないという現象も起きる。

 情報の量と質の「ほどよさ度」はむずかしいのだが、私としては、自分で適度に取り入れたり、シャットアウトしたりしてコントロールする以外にはないかと思っている。腹六分ぐらいで生にあたり、その後、あふれるほど流されている情報によって満腹になる。という楽しみ方を心がけている。

 思いがけない発見、展開のなかに人生のおもしろさがある。
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World Heart Day OSAKA 2010 in TURUMI&SAKUYAのウォークラリーに参加

2010年09月26日 | 日記
 今日は「世界ハートの日(ワールド・ハート・デー)」であった。*心血管病(心臓疾患と脳卒中)で、毎年1710万人の命が失われている。*若い年齢で亡くなる人の少なくとも80%は、健康的な食事と定期的な運動、そして禁煙で防ぐことができる。などをふまえ、世界心臓連合(Worid Heart Federation:WHF)を中心に、心臓血管疾患に関する世界規模の調査や啓蒙活動を行なっている。

 今日、花博記念公園(鶴見緑地)で健康=心臓(ハート)=生命=みどりをテーマにした、市民参加型のウォーキングイベントが開催された。

   公園内を巡る8kmコースと4kmコースの2つあったが、当然8kmコースに参加した。のんびり歩くつもりだったが、結構先導のペースが速く、いい運動になった。

 たまたま情報誌にあって、申し込んでみたのだが、あらためて健康を考えるいい機会になった。
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