素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

「日本近代史12の謎を解く~伝承と美談の狭間で~」(秦郁彦 著・PHP研究所)

2024年04月30日 | 日記
 久しぶりに本を買った。27日(土)の書評欄・今週の本棚の【著者に聞く】で紹介されていた「日本近代史12の謎を解く~伝承と美談の狭間で~」(秦郁彦 著・PHP研究所)である。

 『1次資料を駆使する実証史家の最新作。旺盛な好奇心で設定した謎を解いていく力量は相変わらずで、読者を歴史の迷宮へと誘う。
 「右の人からは左。左からは右と言われます」。イデオロギーにとらわれず、史実を探究してきた。「『神は細部に宿りたまう』という金言があります。細部にまで目を光らせ、大局と結びつけることが重要」』
という聞き手の栗原さんに語った秦さんの言葉で購入することを即決した。
 今日の午後手にしたのだが、すぐに第一章「女狙撃手山本八重と会津戦争」を読んだ。残り11の謎解きが楽しみとなった。



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SNSで消える「公共」

2024年04月29日 | 日記
 ジムでは、ゴールデンウィークの間に子供や孫が泊まりに来る人たちの自慢話や愚痴話に花が咲く。嬉しいけれど家事をこなすのに体力の衰えを感じるという「嬉しさ半分、しんどさ半分」というボヤキが多い。生活リズムの変化に柔軟に対応できなくなってきていることを痛感するという人も。

 その中で、一人暮らしをしているHさんの話が興味深かった。以前は長期休暇の時家族旅行に出かけ実家に来ることはあまりなかったが、コロナ騒ぎが落ち着き出してからは休みのたびにこまめに来るようになった。自分では自覚していないが、周りから見ると衰えが目立ち要注意と思われているのかもしれないと複雑な思いがあると笑う。「子ども家族が来ていつもと違って家の中に多くの人がいるのだが、孤独を感じる」と話は続く。応接間のソファーにみんな座っているが、孫はスマホでゲームや動画を見ているし、息子夫婦もスマホとにらめっこ、ラインや気に入ったアプリを楽しんでいるといった具合で、自分はポツンと一軒家状態に置かれることが多い。「以前だったら、ワイワイガヤガヤととりとめのない話をし、私がついていけず、とんちんかんな質問をするとみんなで笑ったりして、家族を感じたが、今は孤独感が募る」という。

 その話を聞いていて、昨日の朝刊にあった日本芸術文化振興会理事長の長谷川眞理子さんが「時代の風」に書かれていた【SNSで消える「公共」]
というコラムを思い起こした。「今や、スマホを持つことはぜいたくではなく、ほとんどの人々が使っている。だからこそ、社会が、人間関係そのものが、変わるのだ。それが良いことなのか悪いことなのかは、いろいろ判断があるだろうが、変わったのは事実である。」として長谷川さんは、「公共」という概念がなくなるのではないかと危惧する。
「スマホを見ながら歩いてくる人がいる。私は、その人を見ながら、ぶつからないようにと思うのだが、その人は、ずっと画面を見続けていて、どこか目の隅で私を見つけるらしい。そして、ぶつかる寸前によけて通るのだが、こちらの方はちらりとも見ない。つまり、その人にとって私は、その場にいる他人ではない。電信柱でも何でもいい、ただのよけるべき障害物なのだ。

 電車の中などで、友人たちと大声で話している人たちは、それでもその場にいる人たちであった。しかしスマホで誰かとつながって、チャットしたり送受信したりしている人々は違う。彼らはその場を共有していない。つながっているのはスマホの先のどこかにいる人たちであって、隣にいる私たちではないのだ。  ということは、公共空間の概念とそこでの作法がなくなってしまったということだ。」
という指摘は鋭い。

 Hさんが息子家族と応接間という空間に居ながらその場を共有していないと感じる孤独感とつながる話だと思った。
 
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ヤマフジ

2024年04月28日 | 日記
 今年に入って「季節外れ」という言葉がよく使われる。ゴールデンウィークに入った今日、全国各地30余りで30℃を超える真夏日を記録した。ジムでも冷房が入った。「季節外れ」もここまで来るとあきらめの境地に近くなる。

 テレビでは観光客で賑わう各地の話題でいっぱいである。その中で、あしかがフラワーパークのフジが良く取り上げられる。以前ツアーで行ったこともあり懐かしい。他にも野田フジ、春日大社、三大神社など目白押しである。今年初めて知った泉南市の個人宅にあるフジには驚いた。小さな鉢植えのフジだったものが50年余りの歳月をかけて太く驚くほどの広がりであった。テレビ、新聞でも紹介されたのでジムでも話題になった。

 物事をひねって見る達人Yさん曰く「あれだけフジが伸び伸びと成長できる敷地があるのはうらやましい。私の家だったらフジに絡まれて家がつぶれてしまうホラー映画の世界になってしまう。フジの生命力の強さはあなどれませんで」

 それで話は裏山のヤマフジのたくましさになった。手入れされた藤棚もいいが、年々成長していく自然の中のヤマフジも魅力があるということで話しはまとまった。

  

 




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リラの花咲く頃(昭和26年)岡本敦郎

2024年04月27日 | 日記
 土曜日の朝刊の楽しみは「書評欄・今週の本棚」である。本を買い求めて読むことはめっきり減ってきたが、書評を読むのは楽しい。心に引っかかる本があるとメモ書きをしておく。今日、書評欄を開けると見開き2面を使っての広告が真っ先に目に飛び込んで来た。
藤岡陽子さんの「リラの花咲くけもんぼみち」である。

 本の中身よりタイトルにある”リラの花”に反応した。英語の「ライラック」よりもフランス名の「リラ」の方が日本ではよく使われている「モクセイ科」の落葉低木。「金木犀」や「ジャスミン」と同じ仲間なので香りが高く、甘く優しい香りが魅力。北海道のような寒冷な地域で街路樹や公園の木として活用され、人々に親しまれていて、北海道旅行の思い出として頭の中にある。

 ちょうど我が家の鉢植えの「ライラック(リラ)」が花を咲かせたばかりで写真に収めたばかりだったので新聞広告で「オッ!」と思った次第。
 

 と同時に、私が生まれた頃にNHKのラジオ歌謡で生まれた「リラの花咲く頃」が思い出された。父方の祖母は歌が好きでよくラジオで訊いていた。私が懐メロと呼ばれた歌に馴染みがあったのは、祖母と一緒にラジオから流れる曲を聴いていたからかもしれない。

 リラの花咲く頃(昭和26年)岡本敦郎
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クレマチスとテッセンの違いがわからない!???

2024年04月26日 | 日記
 ツル性の植物の形を整えるのは難しい。そのままにしておくとどんどん伸びて他の花木にからみ収拾がつかなくなる。かといって無理に曲げるとポキリと折れる。クレマチスにはいつも悩まされる。それだけに形がうまく整い、清楚な花がうまい具合に咲いた時の満足感は違う。
 通りかかった人が「テッセンきれいに咲きましたね」と言ってくれるが、私にはクレマチスとテッセンの違いが今一つハッキリしないのである。

 生成AIに質問してみると次のような回答があった。
「クレマチスとテッセンは、両方とも植物の名前ですが、関係は少し複雑です。以下に詳細を説明します。
 クレマチスは、センニンソウ属(クレマチス属)の総称です。つる性で、紫などの大輪の花が咲きます。クレマチスは品種改良により多くの園芸品種が生まれ、たくさんの品種が流通しています。
 テッセンは「クレマチスに似た大輪の花のこと」を指します。クレマチスの近種であり、つる性で白い花弁に紫色の雄しべが弁化している花です。テッセンはフロリダ系のクレマチスで、中国から渡来したと言われています。
 テッセンはクレマチスの一種であり、日本では古くから親しまれてきた呼び名で、「クレマチスの総称」としても用いられています。ただし、現在ではテッセンはクレマチスの一つの品種であることが広く知られています。
 したがって、クレマチスとテッセンは同じ植物の仲間であり、テッセンはクレマチスの一部として考えることができます。」

 混乱のもとは何となくわかった。見分けるポイントはテッセンの花びらは6枚に対して、クレマチスは4枚、6枚、8枚、八重と種類が多いことと雄しべみたい。少なくとも我が家に咲いているのは「クレマチス」と呼べば良いということはわかった。

 白い花でよく似ているが「テッセン」は
 まだまだ雄しべの部分はよくわからないので、観察していきたい。
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