素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

五色台のこと

2015年11月23日 | 日記
 大阪への帰路、雨を心配したが思っていたほど大降りにもならず、伊勢自動車道もストレスなく走ることができた。雨の夜の高速走行はリスクが高いので西名阪自動車道の伊賀一ノ宮から一般道に出た時はホッと一息である。木津に入った頃には雨はほとんど止んでいた。

 今度の実家行きでは伊勢神宮での「真珠婚・おかげ参り」が新しい情報であった。土曜日をはさんでの四国行きと志摩行きを無事に終えることができ、久しぶりに自分だけの時間をくつろいでいる。

 先の四国行きでは国民休暇村の讃岐五色台で泊まった。五色台へは2度目であったが、今回の旅行で五色台についてまちがった思い込みをしていたことに気がついた。

 香川県出身の妻から五色台という名前は聞かされていた。その時に、勝手に桂浜の五色石と結びつけてしまった。また五色台の《台》という字から屋島の形を連想してしまい。五色の石が採掘された屋島のような台形状の山。


 それが私にとっての五色台であった。瀬戸大橋と高松市街地の間に位置するため普通に走っているとお目にかかることはない。初めて五色台に向かったのは義姉の法事の時に国民休暇村「讃岐五色台」に泊まることになった時である。琴平の方から近づいていっても屋島のような形は現れなかった。また、桂浜のように五色石の土産もなかった。しかし、その時は気にもしなかった。

 今回「簡保の宿ばかり使ってきたので国民休暇村は初めてじゃ。何色にあるんかのう?」という義姉の車中での一言で私の頭はクルクルと回った。少し前に立ち寄った四国八十八ヶ所第82番の根香寺(ねごろじ)の山門の額に「青峰山」とあり、志摩の実家から見える青峰山と同じだと思ったばかりだし、同じ五色台にある第81番白峯寺の案内板が目の前に見えたからである。
 「五色って、ひょっとして峰についているんですか?」と大きな声で聞き返した。「そうじゃ、五色台は5つの山があるんじゃ。それに赤、青、黄、黒、白がついとる」「だから、五色台ですか!!」「そうじゃ、そんなことも知らんかたのか?」と逆に義姉に不思議がられた。それで、休暇村までの道が屋島のような形状では有り得ないアップダウンを繰り返しクネクネ曲がっている理由がわかった。「そうか、そうか、それでか」と何度もつぶやくので笑われてしまった。五色石のことを言うともっと笑われそうなのでやめた。休暇村の部屋にもちゃんと使われていた。前回は見過ごしていた。
 帰宅してから日本大地図で再確認した。ページの折り目で少々見づらいが確かにある。嬉しい気分になる。
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連休絡みの伊勢はやはり混んでいた

2015年11月22日 | 日記
  22日(日)、府知事選の投票を済ませた足で志摩に向かったが、連休のためかいつもより車の数が多く両車線とも車間が詰まったままの走行となった。高速道路を走る時の一番嫌なケースである。事故のリスクが格段に高い。おかげで余分なことは考えずに運転に集中するので移動距離の長さは感じない。

 伊勢の叔母の家にも用事を頼まれていたので伊勢西ICで下りればいいと思っていたが、途中で《伊勢西IC出口規制》という標示があった。混んではいるが出口規制は想定外だった。仕方がないので手前の玉城ICで下りて伊勢市内に入った。

 叔母は、今日は語呂合わせで「いい夫婦の日」ということで、真珠婚国際協会が「いい夫婦の日・真珠婚の日」と定め、真珠婚(結婚30周年)を迎える夫婦に、お互いのこれまでの感謝とこれからの幸せを真珠に託し伝えあってもらうため、毎年11月22日に“真珠婚おかげ参り”を開催していることも混雑の原因かもしれないと話していた。

 「そんなこともやっているのや」と驚いたが、ニュースによると今年は北海道から広島県までの120組の夫婦が参加したそうだ。夫婦たちは、仲良く腕を組んだり手をつないだりしながら内宮の参道を歩き、神楽殿でネックレスを奉納していた。ネックレスは、来年開かれる伊勢志摩サミットに参加する7ヶ国にちなみ、チェーンに7つの真珠と結婚30周年を祝う30個の銀の玉があしらわれているという。

 ここでも伊勢志摩サミットである。

 地元では今、2つのことが不安みたいである。1つは、アワビや伊勢海老が賓客用に大量に消費されるので品薄にならないか?ということ。食材偽装問題の時に伊勢海老の高騰と品不足を経験しているだけに杞憂とはいえない。もう1つは、フランスでのテロに引き続き世界各地にテロ活動が広がり、サミットそのものが中止になるのでは?ということ。これも可能性ゼロとは言えない今の国際情勢である。

 叔母の家から志摩の実家に向かうのに伊勢道路をと思ったが、伊勢西ICの出口規制ですべての車が伊勢ICで下りるため御幸道路が大渋滞でとても行けそうになかったので裏道を抜けて第二伊勢道路で行くことにした。

 豪雨禍のため通行止めになっていたが、今は片側交互交通で通ることができるようになった。かなり大規模な崖崩れだったことがわかった。その区間だけは渋滞したが、それ以外は快調に走ることができた。

 両親に「いい夫婦の日」の話をしたが「今さらな」と笑うだけ。プラチナまであと5年。

25周年:銀婚式 
30周年:真珠婚式
35周年:珊瑚婚式
40周年:ルビー婚式
45周年:サファイア婚式
50周年:金婚式
55周年:エメラルド婚式
60周年:ダイヤモンド婚式
70周年:プラチナ婚式
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昨日は讃岐、今日は16km走、明日は志摩

2015年11月21日 | 日記
 昨日は高松を15時前に出発した。帰路も阪神高速神戸線でと思っていたが、明石大橋手前の交通情報で、事故車の処理で麻耶付近17km渋滞とあった。中国道宝塚付近も15kmの渋滞。究極の選択となったが、自然渋滞の中国道を選択した。宝塚付近の渋滞には慣れているのでイライラすることはない。吹田からは近畿自動車道の渋滞がひどかったので地道に下りた。これは正解であった。予定より30分余り遅れて帰ることができた。

 今回の旅では五色台と瀬戸大橋で新しい発見があった。今日は時間的余裕がないのでまた後日に書きたい。明日は志摩の実家に1泊の一人旅があるので今日は奈良マラソンのために走っておく必要があった。最低でも寝屋川公園往復の10km、調子が良ければ公園の4kmの周回コースを追加して、14km
,16km,18kmと距離を延ばそうと考えていた。1泊2日の四国行きが休養日になるように事前に追い込んでいた結果がどうなるかが課題であった。

 思いのほか1km7分のペースを崩さずに楽に走ることができたので2周追加した。公園から家までの帰路は約2.5kmでほとんどが上り坂になる。15.5kmを走った後家まで帰る気力と体力はなかった。500m走った所でストップした。1時間51分26秒。上出来である。

 これで志摩行きを休養日とできる。
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吹田を回避して無事讃岐五色台に到着

2015年11月19日 | 日記
エクスポシティのグランドオープンの日だったので吹田方面は回避して大阪市内に出て、阪神高速神戸線で明石海峡大橋に向かった。
神戸線を使うのは初めてだった。阪神高速環状線の車線変更 の煩わしさと神戸線の京橋、摩耶あたりの渋滞のイメージが強く今まで考えたこともなかった。
今回は渋滞のリスクを天秤にかけたら神戸線に軍配があがった。新鮮な気持ちで運転できた。
摩耶、生田川間でノロノロ運転になったぐらいで順調に走ることができた。いつも通りに3時間30分余りで高松の義姉の家に着いた。
3人で休憩村の五色台に泊まることにしていたので紅葉で有名な八十二番札所根香寺に立ち寄ってから向かった。16時頃到着したのでゆっくりできた。
明日は妻の実家に行ってから帰路に着く。
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小説『土佐堀川~広岡浅子の生涯~』(古川智映子著・潮文庫)を買ってしまった

2015年11月17日 | 日記
 9月28日(月)にスタートした連続テレビ小説「あさが来た」は相変わらず欠かさず見ている。10月3日のブログを書いた時感じていた面白さは継続している。

 その時のブログの最後に 『・・・本を読んだ時、こういう魅力的な人がいたんやと驚いた。今度は毎朝15分間、その生い立ちを見ることができるのである。楽しみである。原案となった古川智映さんの『小説 土佐堀川』は読まずに残しておこう。先入観抜きで筋を楽しんでいきたいから。』と書いた。

 しかし、先日本屋で平積みされていた小説『土佐堀川~広岡浅子の生涯~』(古川智映子著・潮文庫)を見た途端フラフラと買ってしまったのである。ドラマだけでは飽き足らず深く知りたいという気持ちが強くなっていたことは確かである。

 でも、「読むべきか?読まざるべきか?」迷っている。小説に入る前に、登場人物紹介があり、主だった人物の概略が書かれている。それを読むと原案本の人物をどのようにドラマでは変換しているのかがわかる。それはいいのだが浅子の実家の家族構成がまったく違うということもわかり、小説を読むとドラマとの乖離現象が生じるのではと思った。

 しかし、ドラマとは関係なく広岡浅子の生涯を知りたいという気持ちも半分ある。

 目下、宙ぶらりんの形で文庫本は机上に置かれている。
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