素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

薄氷のウクライナ

2022年03月04日 | 日記
 まさか、オリンピック、パラリンピックの開催されている時期に侵攻するとは思っていなかった。

 まさか、民間施設に無差別的に砲弾を撃ち込むとは思っていなかった。軍事施設へピンポイントに攻撃するものだと思っていた。

 まさか、まさかの連続だったが、今日アークトレイナーをしながら見ていたテレビで『ウクライナ南東部にあるザポリージャ原子力発電所がロシア軍に制圧された』とウクライナ当局が発表したということを知った時「まさか原発を」と声が出た。聞けば欧州最大規模の発電能力を持つという。しかも、制圧を目指す露軍の攻撃により、敷地内の訓練施設で火災が発生したというから背筋が凍る思いだった。幸い非常事態当局が約4時間後に鎮火を発表し、国際原子力機関(IAEA)から火災発生後、「放射線レベルに変化はないとの報告を受けている」との発表があったのでとりあえずホッとしたが、ロシア軍統制は取れているのかと不安が増した。

 家を出る前に、今日の朝刊にある「金言」(kin-gon)で「ウクライナと核保有」というタイトルで小倉孝保さんが執筆したコラムを読んできたばかりだったので暗然とした。端的に核保有を巡る動きが書かれていてよく理解できた。
 
ソ連が1991年に崩壊すると、ウクライナは期せずして米露に次ぐ核大国になった。ソ連がウクライナ国内に大量の核兵器を置いていたためだ。ウクライナにあった核弾頭は当時1240発。英国が冷戦期に保有していた「核」の2倍以上だ。

 それでもウクライナは核保有の道を選ばなかった。チェルノブイリ原発事故の影響から、国民に核アレルギーがあった。ウクライナ議会はソ連崩壊の前年、「受け入れない、作らない、手に入れない」の非核三原則を宣言している。ただ、政府や軍には「核を手放して、自国の安全を守れるか」との懸念もあった。


 ソ連崩壊で、核の拡散を懸念する米英露はウクライナに放棄を求めた。ブダペストで94年、全欧安保協力会議の首脳会議が開かれる。ここで米英露は「ウクライナの領土的統一と国境の不可侵を保証する」という覚書を交わす。ウクライナが全ての核をロシアに移送したのは96年である。

 冷戦終結(89年)で、欧州がウクライナを敵視する可能性は低い。ロシアとは歴史的、民族的に結びつきが強く、軍事的脅威とはならない。そう信じたウクライナは、経済再建を優先し軍縮を急いだ。戦略爆撃機や中距離重爆撃機のほとんどをロシアに売却するか、国内で解体している。


 覚書から20年。軍縮を進めたウクライナをあざ笑うかのように、プーチン露政権は2014年、ウクライナ領クリミアを軍事力で強制編入した。米英は覚書に反すると批判したが、ロシアは意に介さなかった。そして今回の軍事侵攻である。

 プーチン大統領はウクライナの主権を踏みにじりながら、核抑止部隊に特別態勢を取るよう命じた。「核」による脅しである。この状況を北朝鮮やイランはどう見るだろう。「やはり核兵器は必要だ」と考えても不思議はない。


 南アフリカは90年代初頭、核兵器を廃棄している。ソ連の支援を受けたキューバ軍がアンゴラから撤退を決め、南アにとってソ連は脅威でなくなった。

 軍の反対を押し切り、核を廃棄したデクラーク大統領(当時)は後日、こう語っている。「核兵器を所持したままでは、万が一ロシアに侵攻された時、国際社会に助けてもらえないと思ったのです」。国際社会の支援を信じ、核を放棄したのだ。

 ウクライナも欧米、そしてロシアを信じて、非核保有国となった。そんなウクライナの人たちを、私たちは絶対に見捨ててはならない。(論説委員)


 冬季パラリンピックの開会式も複雑な思いで迎えてしまった。停戦協定を守るということが大前提であるということを思い知らされた。大前提が崩れると「まさか」の連鎖が生じる。次の「まさか」を考えると怖くなる。
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