素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

教育実習で行った『道徳』指導案公開

2013年02月28日 | 日記
 私の初めての『道徳』の授業は教育実習であった。昭和48年10月1日~27日の4週間、付属中学校で教育実習を行った。『道徳』の授業は最後の週の10月24日に2年C組ですることは予告されていた。題材は3週間で授業、学活、クラブなどを通して見た生徒の実態を踏まえ自分がやりたいと思ったものである。

 私は基本的には「~あるべきだ」とか「~しましょう」みたいな徳目主義の道徳には抵抗感があった。自分が不道徳であるがため恥ずかしくて言えないというのが根底にある。実習の中で一番悩んだのがこの授業であった。「~は嫌だ」とは思っても「じゃ具体的にどうする?」となるとなかなか前に進まない。

 考えたあげく決まった主題が『話し合い』であった。指導案にはこうなっている

1.主題 話し合い
2.主題について
 ⑴我々は、それぞれ異なった意見を持つ人々と社会生活を営んでいる。そして、それらを支えているものは話し合いということである。この主題は社会生活に不可欠な話し合いというものに目を向けさせ、一人一人が社会の運営に参加するといった生活態度の育成をねらうものである。
 ⑵生徒の日常生活において何か提案がなされた時、それを地道に話し合い、修正し、煮つめていくことをせず、安易に多数決できめてしまうことをよく見かける。多数決の大前提として充分な話し合いが必要であることに気づかせたい。
 ⑶実際の事例を問題化し、話し合う中で話し合いにおけるルールといったものに気づかせたい。
3.ねらい
 話し合いの意義を理解し、集団の成員としての自覚に立ち、お互いに信頼し、尊重し合って、自分達で話し合いを通じて問題を解決していく態度を育てる。
4.指導計画
 1時間完了 ・話し合い
5.本時のの指導
 ⑴目標 
  他人の意見をよく聞き、分析し、合理的に批判し、また相手が正しいと思ったならば、いさぎよく相手の是を認めるという態度が話し合いを支えているものであることを理解させる。
 ⑵準備
  プリント


 あえて40年前の教育実習記録綴を引っ張り出したかというと、これが教師としての私の原点であるからである。今日ジムのマシーンでランニングしながら村井さんの言葉を借りて「道徳」について書いたが、自分の原点もさらけ出さないと駄目だろうという声が聞こえたのである。

 そして、授業のために自作の資料を作った。無謀な試みを広い心で受けとめてくれた指導教官の飯田先生には感謝している。資料はわら半紙2枚。

 道徳資料№1 2年C組( )番(          )

 私はMr.M。今、F中学に教育実習生として来ている。ある日の昼食後、私は芝生の上に寝ころんで澄みきった秋空に、しばし、物思いに耽っていた。3人の生徒が、何か話しながらやって来た。聞き覚えのある声に、枝の間からのぞくと2年C組のA夫とB子とC太郎であった。3人とも私のいることに気づかず、私に背を向けて腰をかけた。

 B子「教生のM先生って素敵だわね」  A夫「見かけだけだよ。ウドの大木柱にならずっていうだろう」
 C太郎「そうそう、大男総身に知恵が回りかねっていうのもある。」 B子「そうね馬鹿の大足ともいうわ」
 私は「大は小を兼ねる」と言ってやりたいのをぐっとがまんしてしばらく3人の話に耳を傾けていた。・・・話はぐっと真面目になった。

 A夫「ところで美化委員会から清掃時の個別評価をするという話は知ってる?」 B子「具体的には知らないわ」
 A夫 「簡単にいえば、各清掃班の班長が清掃時の一人一人の態度を点数によって評価し、これを長期にわたって続け優秀者、高得点者に賞  状を与えようというものさ」
 C太郎「ぼくは反対だな。班長が評価するといっても、どうしても個人的感情が入ってしまうだろう」
 A夫「まず、現在の状態をみたら、個別評価ぐらいしないと、まじめに清掃なんかやらないんじゃないか」
 B子「私もあまり賛成できないわ。点数をつけてもやらない人はやらないんじゃない。」
 C太郎「だいたい清掃自体なぜやらなければならないかわからないよ」 
 B子「それは、自分達のところは自分達で美しくしようと思うからじゃない」
 C太郎「でも、さぼる人が多いだろう。それは別に自分達の所は美しくしなくってもいいと思う人が多い証拠さ。だから美しくしたいと思う  人が清掃やればいいのさ」
 B子「でも、きまりで決められているのだから、皆でやらなければいけないと思うわ」
 A夫「C太郎くんの意見は利己的だと思う。みんなのものはやはり力を合わせて美しくしていく必要があると思う」
 B子「私も、その点はA夫君に賛成。でも個別評価は反対だわ。だって真面目にやって当たり前でしょう。当たり前のことをやって賞状を与え  るなんておかしいわ」
 C太郎「ぼくは、清掃を真面目にやって当たり前というのがおかしいと思う。だって、そうじのきらいな人もいるのだから無理矢理やらせる  必要はないと思う」
 A夫「個別評価は欠点もあると思うが、今の現状をなんとかする具体策としては一度やってみる価値があると思う」
 B子「私はやはり個別評価をやめて、さぼっている人を見かけたら注意すればいいと思う。」
 A夫「それじゃ今までとあまり違わないね」 B子「今のままでも何とかうまくいっているのだから、このままでもいいと思うは」
 C太郎「一度清掃をやめればいいんだよ。そうすれば当然きたなくなるだろう。それで平気だったらそのままでいいし、いやだったら今度は  真面目にやるのじゃないか」
 A夫「そんなことしなくても、きたないよりきれいなほうがいいのはわかっているから、現状をどう変えていくかが大切じゃないのか。個別 評価でもやって強制的にやらせて、皆に、そうじの習慣が身につけばいいじゃないか」
 B子「いつも監視されてるなんていやだわ」・・・・・・・・・・・・
  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
  ・・・・・・・・・・・・・・
 私はいつの間にか寝てしまったようだ。ふと目が覚めた時3人はもういなくなっていた。時計を見ると5時限がもう始まっている。大変だとばかり飛び起きて、私は指導教官の渋い顔を思い浮かべつつ教室にかけて行った。(江戸時代の愛知県西部)

№2
 問1
さて、3人の人物が清掃時の個別評価を中心に清掃に関してそれぞれ意見を述べていますが、あなたはこの3人の中で誰の意見を支持しますか?考えて下さい。(尚、多少修正したいとか補足したいとかあると思うが大きく考えて下さい。)そして下に記入。

 多少の意見の相違はあるが、私は3人の中で(   )さんを支持する。

 〈それぞれの支持派の意見交流を記録させる〉

 問2
今、あなたはA夫支持派ですか、B子支持派ですか、C太郎支持派ですか下の(   )に記入して下さい。
     (       )



 誰が正しいのかという話にはしないで、№2を提出させて終わりという授業であった。

「道徳」の授業を突きつけられた時、必死に考えたこのスタイルは自分のベースになった。キーワードは「徳目を押しつけない」「気づきを大切にする」「内省する目を持つ」かな?

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教育再生会議提言を読んで~道徳は教えられるか?

2013年02月27日 | 日記
 今日の新聞に政府の「教育再生実行会議」が26日に取りまとめた第1次提言の要旨が掲載されていた。その中で、道徳の教科化が「いじめと体罰対策」にからめ提言されている。

 『現在の道徳教育は学校や教員によって充実度に差がある。思いやりや規範意識などを育むよう、道徳の教材を充実させ、新たな枠組みで教科化する。全ての教員が習得できる指導方法を開発し、教員の指導力向上に取り組む。学校では全ての教育活動を通じ道徳教育を行い、食育などの視点も取り入れる。学校は保護者も巻き込み、子どもたちが守らなければならない決まりや行動の仕方を身につけることができるよう、市民性を育む教育の観点を踏まえる』

とあった。「ウ~ン・・・ハァ~」とため息が出た。現場で、生きた生徒とかかわっている教師にとっては空疎な言葉としてしか伝わってこないのではないか。この問題は置き去りにされていたものではなく、戦後ずっと提言、議論されてきたことである。いつも言うが、そのことを全く踏まえていないことが一番の問題ではないかということである。

 私自身、道徳教育についてはずっと悩んできた。その時に指針となってきたのが村井実さんの書かれた『道徳は教えられるか』(国土新書)である。1967年に初版発行であるから私が16歳の時、ずい分前のものであるが中身は色あせていない。表面的な論争ではなく、道徳教育といわれるものへの深い哲学的考察を加えているので難しく、何度も読みながら実践の場で試行しながら教師生活を送ってきた。

 この本を書かれたきっかけは、昭和41年(1966年)に出された『後期中等教育の拡充整備についての答申』と別記の『期待される人間像』に関する論争への問題提起であると思っている。今回の提言も源流はここにある。長いがクリックして是非読んでもらいたい。50年近い歳月を基本的には自民党の安定政権を背景に着々とこの流れで教育界は進められてきたと考えている。あぶくのような論争はあったが大きな流れは変更していないと思う。

 その流れの中の今の事態である。というとらえ方をして検証すべきだと思っている。単純に文部省が悪い、日教組が諸悪の根源だ、教育委員会がなっていない、教育現場がだめ、社会や家庭の教育力が低下しているなどと原因探しをして責任を押しつけるのではなく、もっと根本的な部分にメスをいれないと結局同じことを繰り返していくだけだと思う。

 村井さんは、本の″はじめに”でこう書いている。

 自分の子どもを善くしたいと思わない親はいない。自分の生徒を善くしたいと思わない教師もいない。
 
 この「善く」するということが道徳教育の本来の意味である。したがって、親も教師も子どもを善くしたいと思い、そのために心をくだいて配慮するかぎり、道徳教育を行なっているのである。

 それにもかかわらず、戦後のわが国においては「道徳教育」という言葉ほど不人気な言葉はない。とくに教師の間では、「道徳教育」という言葉は、口にすることすら長い間のタブーであった。

 考えてみれば奇妙なことである。教師というものは、彼が教師であるかぎり、生徒を「善く」するための努力をさけることができない。つまり、道徳教育に本来的に参加しているのである。したがって、その参加していることの意味を慎重に把握し、参加の仕方を研究・工夫するということは、教師の当然の仕事でなければならない。それにもかかわらず、かえって、自分がそこに参加していないかの如き態度をとるということは、明らかな自己矛盾である。あるいは自己疎外であると言っていい。戦後の教育は一貫してこの自己疎外の上に成り立ってきたのである。

 もっとも、この疎外が生じたのには、十分な弁護の余地があったと私は思う。一つには、戦前の修身教育によってゆがめられた道徳教育のイメージが、戦後の教師たちをして、道徳教育そのものを嫌悪させるに至ったのである。

 もう一つは、戦後の特異な政治情勢であった。戦後のわが国の文教政策をリードしてきた保守的な思想が、いわば学校教育への勢力浸透の橋頭保として道徳教育というものを利用する危険が明らかに存在していた。この危険へのおそれが、教師たちの間で、「道徳教育」という言葉を一つのタブーと化してしまったのである。そしてこのタブーのために、教師たちの自己疎外がおこったのである。

 しかし、どのような理由があったにせよ、自己疎外は自己疎外である。教師という仕事そのものが所詮道徳教育であるにもかかわらず、羹に懲りて膾を吹くたぐいの、過去のゆがみの記憶からの恐れや政治的配慮のために、問題そのものに正対することを逃避していては、教育という仕事は結局は停滞し、挫折する以外にはない。不幸なのは教師自身であり、生徒もまたその被害者たることをさけられないのである。

 道徳の特設時間というものが、小・中学校に設けられたのは、こうした事態のただ中においてであった。それがどのような文教政策上の配慮から設けられたかについては、ここでは議論を避けたい。しかし、この特設時間が設けられたことによって、教師の自己疎外の現実は少しも好転していないということができよう。大半の教師たちは依然として、道徳教育を恐れ、逃避する姿勢をつづけており、特設時間に協力の姿勢を示している教師たちも、この時間の扱いに不安を抱き、文教当局の指導にもかならずしも満足してはいない。教師の不孝も生徒の被害も、今なお依然としてつづいているのである。


 この状態は本が執筆された頃からいまだに続いているのではないかと思う。それが現象として学校(学級・学年)崩壊、校内暴力(対教師暴力)やいじめ問題また体罰問題としてあらわれてきているように思えてならない。一時的に症状を抑えるような対処ではダメなのじゃないか?識者にはもっと過去の方針、試行への検証の上に立った熟議を望む。

 最後に村井さんはこう締めくくっている。

 したがって道徳教育というものは、私たち教師によって、もっと真剣に研究されなければならない。特設時間を利用するかしないかなどは、たんに技術的な問題にすぎない。本来の道徳教育というのは、教育自体にとってもっとも根本的であり、道徳教育を考えるということは、私たち教師が、自分自身の存在の意義を、自分自身で確かめながら生きることを意味するのである。

 現在の政治情勢のなかでは、道徳教育という問題を取り上げること自体、明らかに危険をともなう。しかし、危険をおそれて、問題自体をあいまいに放置するということは、教師が自分の存在に欺瞞を許すことになるであろう。危険に臨む者にとってほんとうに大切なのは、危険からの逃避ではなくて、危険の克服である。欺瞞ではなくて、実力なのである。

 道徳教育というものを率直にとりあげ、その構造を分析し、道徳教育につきまとう各種の危険をどう克服するか、真正の道徳教育をどの方向に展開していくか、そのための意欲と力への奮起を読者によびかけることが、私のこの書物の目的である。


 村井さんは安直な答えは用意してくれていない。いろいろやってきたがいまだにわからないというのが正直なところ。わからないままに機会を見つけて書いていきたいと思っている。今日の新聞で眠っていたスイッチが入ってしまった。マラソンしながら考えることがまたできたという感じ。
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ユニット畳が突然届く。やっと部屋が完成する!

2013年02月26日 | 日記
 2月中旬の予定が製作の遅れから3月上旬になるかもしれないというメールをもらっていたユニット畳が今日、突然届いたのでびっくりした。配送の前にはメールで知らせるとあったが、今朝チェックした時にはなかったので「まだなんや」と思っていた。3月に入ると結構時間の縛りが多くなるので困ったなと考えていた矢先で「グッドタイミング!」と心で叫んだ。配送の方にもとっても愛想がよかったのではないかと思う。何でこんなに歓迎されるのだろうというような怪訝な顔だった。

 午後の予定をすべて変えて、畳の組み立てに変えた。単純な作業だがそこそこ時間はかかる。夕方やっと完成した。サイズから割り出していた通りにピタッとはまるとちょっと嬉しい。真ん中の半畳を取れば掘り炬燵にもできる。畳下の収納スペースも重宝で押し入れの中にある雑貨がずい分スッキリするのではと組み立てながらワクワクしてきた。

 昔から″区切り”にはこだわりの強いところがある私(最近はかなりましになってきたが)にとって、部屋の改装に今日ピリオドが打てたことは次へのエネルギーとなる。

   ビールをジョッキに入れて出来上がった部屋を見ながら一人で乾杯をした。
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1週間ぶりのジム

2013年02月25日 | 日記
 1週間も顔を出さないと最近は病気、けがという具合に思われる。実際そのケースが多いのだが、私も受付に顔を出した途端、開口一番「どこか具合が悪かったのですか?」と尋ねられた。「まあ色々ありまして。でも元気でしたよ」と答える。

 30km走の後遺症があったことは事実。4日間は走ることができなかった。昨日、延べ2時間強歩いても足に違和感を感じなくなってきた。今日は30分間を時速8kmぐらいのペースで走ることができるかを一番試したかった。こういう時、ランニングマシーンは便利である。入念にストレッチをして軽めに筋力トレーニングをする。ピラティスのスタジオにも入り体幹にもしっかり刺激を与えてから最後にランニングマシーンに乗った。

 昨日までとは違い、足がスムーズに動く。もう少し速度を上げられるかなと思ったが、自重した。代表幹事さんの言葉がしっかり頭に入っている。ここで痛めてしまったら元も子もない。きっちり30分4kmで切り上げる。予定通りの回復であったのでホッとした。

 今週はバタバタしないで普通のリズムの生活を送りたいと思っている。そのことが寝屋川ハーフマラソンへの一番の調整だと考える。優先順位をまちがわない生活をするということである。私にとって″走る”ということは、現役時代のクラブ指導と同じ、4番目位に位置するものである。

夜に母からメールが届いた。「さて何事ぞ?」と見ると私の中学校時代の恩師であるN先生が亡くなったという知らせであった。両親とも同僚や友人との永遠の別れが続いていて「歳なんだから」と頭ではわかっていても儚さを感じてしまうと言っていた。

 N先生のことは先日帰った時に桜宮高校のことが話題になった折に話をしたのである。前にもふれたことがあるが小・中学校を通じて精神的にも肉体的にもいろいろな体罰を経験してきた。その中でも強烈だったのがN先生。ついていたあだ名が「左ハンマー」。技術の先生で左利き、怒らすと持っているもので殴るという伝説があった。釘打ちをしていた時怒らせた先輩が金槌で殴られそうになったという。逃げて難をのがれたのだが左手に金槌をふりかざして追いかける姿は鬼気迫るものがあったという。以来、金槌を持っている時は怒らしてはいけないということも含め「左ハンマー」と呼ばれていた。本当かな?と思っていたが、ある日、のこぎりを使っていたN先生を怒らせた同級生がいて、のこぎりをふりかざして怒る姿を見た時「やっぱり左ハンマーは本当だったんだ」と納得した。

 父は学生時代にも軍隊に行っても体罰を受けた経験がないと言ったので、「それは幸せやな。俺なんか・・」ということで昔受けた体罰の話になったのである。親にはいちいち報告していなかったので初めて聞く話に驚きもあったみたいだ。N先生もふだんは穏やかで両親もよく知っているので「そんな面もあったのか」と認識を新たにしたみたいだ。

 偶然話題に上がったN先生の死、先日の夜の思い出話は虫の知らせみたいなものだったのかと母は思ったそうだ。そうかもしれない。
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午前は「環境フェスタin交野・2013」の取材に、午後は「第7回大腸がん死亡ゼロを目指して」へ

2013年02月24日 | 日記
 どちらもこの時期定番のイベントである。去年も参加した。
   広報″かたの”の写真を撮らなければいけないのでゆっくり楽しむゆとりはなかったが、気温2℃という冷えで出足は少し鈍い感じがした。毎年、献血することにしているのが今年は予備検査で「血液がうすいですね」ということでストップがかかった。看護師さんとのやりとり
 「今までにも言われたことありますか?」と尋ねられたが「ドロドロとはよく言われたんですが・・・」
 「それとはあまり関係ないんです。」「鉄分が不足しているとか?」「そういうところです。貧血とないですか?」
 「ないですね」 「お疲れとか?」「自覚はないのですが・・・3日前に30km走りましたが」「それかもしれません。誤差もあることなので気にせずに」とは言われたものの血がうすいと言われると急にダルク感じる。病は気からとはよく言ったものだ。サラサラと言われたらうれしかったのだが。

 急いで帰り、早目の朝食をとった後は本町の御堂会館である「第7回大腸がん死亡ゼロを目指して」のイベントに出かける。ここからは歩き歩きの世界である。ご飯を食べたらだるさも消えた。
 去年と同じメンバーであったが面白かった。

 「70歳台は働き盛り」と言い切る濱崎さん。「60歳過ぎてから急激に大腸がんによる死亡者が増加することが残念でならない」という。年1回の便潜血検査を受けることで死亡ゼロが可能だと強く訴えられていた。「治療のしがいのないガンも部位によってはあるのは確かだが大腸がんは早期に発見すれば治療の効果が極めて高い。みすみす治るものを手遅れにすることはない。大腸がんは自覚症状が出てきたときはずい分進行してからなので定期検診がカギを握っている。」検査嫌いの私には耳が痛い話だ。

 大腸がん診断と治療の進歩を内科医の立場から話されたのが樋口さん。カプセル内視鏡の開発は一歩一歩進んでいるとのこと。「大往生したけりゃ医療とかかわるな」という本のことも話題にされたが、要は十杷ひとからげに考えてはいけないということ。ケースバイケースで多様な選択肢があり、常に患者にとって最善の道を模索し続ける必要がある。ということだった。このことは外科医の奥田さんも繰り返し言われていた。システム化と個別化がキーワードであった。奥田さんの手術の手際の良さは芸術的である。リアルな映像であるが外科治療の最先端の様子がよくわかる。百聞は一見に如かずである。

 ~を食べれば良い。とか~をすれば解決するという万能の食べ物も方法も存在しない。薬にしても治療法にしても個々の患者によってさまざまな選択と組み合わせを考えなければいけないのと同様、日常生活でもバランスということを常に考えていくことが大切であるということが3人の方々の共通するところだった。

 そういう意味では、最後にあったデュークエイセス・スペシャルコンサートはぴったりフィットしたものであった。4人の絶妙なハーモニーとジャンルの広さ、メンバーの個性を生かしつつ1つの世界をつくりあげているステージはプロというものを感じた。3人の医師から感じたものと同じである。昭和30年結成だから、まもなく還暦を迎えるグループ。メンバーは一人だけ変更しただけ。「70歳台は働き盛り」を具現してくれている。
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