素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

「ニュースウォッチ9」でミドリガメ問題特集

2013年07月31日 | 日記
 子どもが小さい時夜店でミドリガメ釣りをして、家で飼ったことがある。最初の頃は可愛いものだが半年もするとグングン成長を始め次の年には家の水槽では窮屈になるほど大きくなった。幸い長女の通っていた小学校の大水槽に引き取ってもらったので助かったが、今日本各地で、ペットとして飼われていたミドリガメが大繁殖していて生態系や農業に影響を与えるほど深刻な事態になっていることを「ニュースウォッチ9」で特集していた。大きくなって手に余った飼い主が河川、池に捨てることが大きな要因である。

 ひょんないきさつから「亀蔵」を世話しているが、基本的にはペットを飼うのは嫌いである。幼稚園のころカナリアを蛇に食べられたことと転居のため犬と強制的に別れさせられたことが大きい。

 ペットを飼うということは育てる責任はもちろん、別れを覚悟することを引き受けるということである。あえて積極的に引き受けようとは思わないが縁というものがある以上かかわらざるを得ないこともある。

 縁日のヒヨコ釣りもそうだった。大きくなって簡易温室がニワトリ小屋になった。オスなので卵の楽しみもなく、目覚まし代りのコケコッコーの鳴き声にへきえきした。近所の方が寛容であったことが救いだった。今の家に引っ越す時に妻の勤務していた小学校の飼育小屋に引き取ってもらったが、捕まえて箱に入れての移動が大変であった。

 ペットとして飼っていた外来生物を遺棄する問題はミドリガメ以外にも数多く報告されている。ゴミ問題と同じ。売らんかなの入口だけではなく、出口までのことまでしっかり見据えたシステムが必要になってきていることを痛切に感じた。

 自分の子どもまでペット化しているのでは?と思える事例も多々見受けられる。ペットは嫌いだと言いつつ亀蔵に関わっている毎日。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

3日間室内にこもると身体が重い

2013年07月30日 | 日記
 土日はシンポジウムで朝から夕方まで天満研修センターに缶詰。昨日はジムの休館日、ジムでの走り仲間Hさんが生駒山の管理道に案内してほしいというので一緒に走ることになっていたがあいにくの不安定な天気、「こんな日に無理はしなくてよい。我々には時間がいっぱいある。生駒山は逃げていかない。」ということで延期。読書、片付け、家事、昼寝という定番の引きこもり生活。

久しぶりのジム、なんとなく身体が重い。最低限のことをしてやめる。ここで無理をするとダメ!というポイントはわかってきた。一定の生活リズムを取り戻すには2,3日はかかる。ボォーと過ごすことも時には必要。

 ここ数年各地方を狙い打ちするかのような集中豪雨が続いている。津和野は去年の萩石見空港マラソンの時に途中下車して歩いただけに身近に感じてしまう。『方丈記』を時々読んでいるが、昔から風水害の絶えることのない日本だったとつくづく思ってしまう。私も床下浸水を2度経験している。5歳と9歳というはるか前のことだが頭の中に映像はしっかり残っている。高台の土地を選んできたのにも関係しているかもしれない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日の≪余録≫を読んでいて久々の「これだ!」経験をする

2013年07月29日 | 日記
 夏の節電対策としての緑のカーテンはずい分浸透して来た。私の通っているジムでも衣替えの季節ぐらいからプランタに植えたゴーヤーで緑のカーテンをつくり始める。去年はよく育ち立派なカーテンが出来上がった。

 今年も同じようにつくっているのだが途中から通るたびに違和感を感じるようになった。明らかにゴーヤーとは違う葉が目につきはじめたのだ。かぼちゃらしきものである。「変化をつけるために植えたのかな?」と思ったりしたが、育つにしたがいゴーヤーのほうは去年のような勢いはないし、カボチャはカーテンにならずプランター付近でグロテスクなものになってきた。現在はこういう状態になっている。
  最近は慣れて気にも留めずに歩いているが、頭の隅には「いったいあれはどういうことだろうか?」という疑問が居座り続けてきた。

 今日の余録はこうである。のんびりと読み始めた。

『「団地の狭いベランダでゴーヤーを育てている」。これと同じ一節を2年前の今ごろ、この欄の書き出し
に使った。その年のゴーヤー栽培は順調だったが、去年は失敗だった。▲ある朝の水やりの時、ふと見る
とゴーヤーとは明らかに違う葉が交ざっている。その葉は次第に数を増やしながら大型化し、黄色い大きな
花を順繰りに咲かせた▲「カボチャの花に似ている」と思ったが、丸い実がついてもすぐ傷んで落果する。
これを繰り返した後、ようやくゴーヤーを少し収穫したものの、食べてもうまくない。大きな葉は隙間が
多くて日照を遮る力が弱く、「緑のカーテン」も出来損ないに終わった▲失敗の原因は今年の挑戦前のネッ
ト検索で判明する。昨年買ったゴーヤーの苗は連作障害対策のための「接ぎ木苗」だったのだ。この場合
台木の芽を伸ばしてはいけない。そんな初歩の常識も知らず、まさに台木だったカボチャの花を眺めていた
のだから我ながら情けない▲・・・』
 「これだ!」である。頭の隅に追いやられていたジムの緑のカーテンが一気に頭の中いっぱいに広がった。連作嫌いとは聞いていたが、こんな手で回避していたとは知らなんだ!ジムの担当者は知ってか知らずか?今日は休館日だから明日にでも確認してみることにする。

 また1つ賢くなった。 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第28回『食と健康を考えるシンポジウム』2日目~成田奈緒子さんの第3分科会~

2013年07月28日 | 日記
 昨日の午後と今日の午前各2時間30分、計5時間の分科会は講師にとっても試練であるとよく言われてきた。さらに13:30~16:00は4人の講師が一堂に介して、各分科会での内容のダイジェストを話し質問を受け付けるというシンポジウムがある。参加できなかった分科会の内容を知るとともに他の講師への質問の機会を得るということで参加者には好評であるが講師にとってはフルマラソンの30km過ぎぐらいの感じでヘトヘトになる。第3分科会の成田さんは1日目終了後、尼崎に行って講演会を1つこなされた。にもかかわらず最後までパワーは衰えなかった。
「先生の元気の源は何ですか?」という質問が出たのは至極当然のことだと思った。「早寝早起き、寝ることです」という明解な答えが返ってきた。

 第3分科会においても、「早寝早起き朝ごはん」寝ることと食べることの生活リズムをきちっと整えることが脳づくりの土台になっているということを脳科学の成果や自身の関わってきた実証例から分かり易く話してくれた。
  成田さんは神戸大学医学部を卒業後米国留学などを経て現在は文教大学教育学部特別支援教育専修教授として教壇にたつかたわら茨城県発達障害者支援センターと茨城県土浦児童相談所の嘱託医として発達障害の教育・医学・福祉を広く包括した支援システムつくりと、子どもの生活習慣を科学的に考える育児、教育への提言を行っている。また、牛久愛和病院小児科での専門外来も開設しており、小児期のさまざまな精神心理疾患の外来診療にも携わっている。

 分科会のスタートは上の写真から、右端は時の人山中教授。そしてその隣が成田さん。医学部の同級生でこの6人がチームを組んで卒業に向けての様々な取り組みをしていたそうである。成田さんの旧姓は山内さんなので出席番号でならんでいたこともありよくペアを組んだそうである。曰く「この時点で山中君が将来ノーベル賞をとるようになるなんて誰も思いもしなかった。20半ばを過ぎた人間ですら将来どうなるかわからないのです。まして、5歳や6歳の子どもの将来なんてわかるはずがない。にもかかわらず最近、早期教育とかにのっかり子どもの将来を早くから決めたがる親が増えてきた。私はこの風潮に違和感を覚えます。脳育ちのキーワードはゆっくり、じっくりです。そして脳の育つ順番は決まっています。そのことをこの2日間で会得してほしいと思います。」抜群のつかみであった。

 その後、・脳のつくり ・脳育てのポイント ・セロトニン神経を育てる大切さ ・子どもの脳のバランスを回復させるコツ ・「発達障害」も脳とこころと身体のバランスで考える などということを自身の経験、豊富な臨床例などを交えながらの話となった。実践に裏打ちされた理論なので現場で悪戦苦闘している参加者にとっては合点のいくものだったと思う。私も自分の受け持った生徒たちのことを思い浮かべて聞いていた。5時間に及ぶ話の内容をまとめ、紹介することは不可能である。 成田さんが主宰する「子育て科学」のホームページ (←クリック)をのぞくと子育てに悩んでいる人、不安な人や教育現場でいわゆる困った児童、生徒に振り回されている方々には解決への糸口を見つけるヒントがあるように思う。ブログを読むと人となりが伝わって来ます。

 退職してから長時間の座学からは縁遠い生活をしていたので集中力が持つかなと心配していたが内容の面白さとパワーとで時間はあっという間に経ってしまった。

 午後からのまとめのシンポジウムでは第4分科会の「子どもの食物アレルギー」の講師の眞鍋さんに質問が集中した。分科会でも40以上の質問があったという。食物アレルギー問題がいかに現場で深刻であるかを実感した。
  ピンチヒッターで参加したシンポジウムであったがとっても濃い2日間を過ごすことができた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第28回『食と健康を考えるシンポジウム』にスタッフとして参加

2013年07月27日 | 日記
 月刊「食べもの文化」(芽ばえ社)という雑誌がある。そこが母体となっている『食べもの文化研究会』が主催して『食と健康を考えるシンポジウム』を始めた。今年で28回となる。最初の3回ほどは東京で開催されていた。夏休みの自己研修の1つとして妻が参加していた。

 軌道にのったのと出席者の要望から関西でも開催することになった。大阪でのシンポジウムの時に現地スタッフとして妻が手伝うようになった。そして参加者の中から主体的に実行委員会がつくられ、妻が実行委員長として大阪でのシンポジウムに関わってきた。

 個々の「よしやってやろう」というボランティア精神のみがたよりなので、毎年20名弱必要なスタッフを確保するのは容易ではなかった。25年間途切れることなく続いてきたのは奇跡と言っても良い。

 今年はスタッフに予定していた人たちに自身の病気やけが、家族の介護、勤務先での都合などで6月に入った時にバタバタと辞退者が数名出てしまい。深刻な人数不足となった。他のスタッフの方の伝手を頼りにピンチヒッターを探したがあと1名がどうしても見つからなかった。日程的にリミットが近づいていたので私がスタッフになるしかないということになった。

 シンポジウムは今日、明日の2日間びっしりとある。参加者は320名。私は受付の仕事を担当。12,000円という参加費を払っているだけのことはあって私がよく経験した御仕着せの研修とは違うものを参加者一人ひとりから感じた。

 10時から12時までは、モンゴル健康科学大学客員教授・前岡山大学病院小児歯科講師の岡崎好秀さんの全体講演。タイトルは「歯科医師からみた‟食”」
 岡崎さんは小児歯科専門で障害を持つ子供を中心に歯科治療に従事されてきた。治療終了時には、子どもを笑顔で帰すことをモットーにして来た。そのことを岡崎さんは「心に貯金をして帰す」という表現をされていた。このことは人間を相手にする仕事全般に通じることであるように思えた。 
 岡崎さんは「楽しい」ことが創造性の原点だと思い、いかにして楽しく仕事をし、自分の仕事と趣味を一致させることができるかを追究されている。その精力的な活動はweb(口の中探検)博物館で垣間見ることができる。 【←クリック】

 一見すると豊かに見える食環境にある今、一方で「食欲が乏しい子」「切れやすい子」「生活習慣病予備軍」が増加している。小児歯科医師の岡崎さんに見えてくるのが、子どもの口腔の変化である。 子どもの口腔の変化は、社会や環境の変化を鋭敏に写し出す「リトマス試験紙(歯)」であると、毎年訪問されている少年院での重い罪を犯した少年や虐待や受けた子どもたちの口の写真を示されての話には説得力があった。

 食べる意欲は生きる意欲であるということを旭山動物園の動物を例に挙げながらの話も面白かった。食欲を満たすことは人間にとって最も基本的な欲求であり、人間は腹を満たすために、色々な道具を発明し使用し進化して来た。空腹感との戦い、空腹感に耐えることが生きるための活力になってきたともいえる。なのに多くの幼稚園をまわると空腹感を経験したことがないのでは?と思える食べる意欲の乏しい子どもが増加しているという現実がある。このことを危惧され「子どもに空腹感を!」と強調されていた。

 岡崎さんは動物にとって大切なのは採食行動なのだ。それを奪うような食事の与え方は「植物的な生き方」を動物に強いることになりストレスをためることになると繰り返し話されていた。私の朝の日課の1つである植物への水やりに動物である亀蔵へのエサやりが加わった。そのことを通じて感じていたこととピタッと一致した。

 最後に「食育基本法」が制定され、全国各地で展開されている現在の食育推進の催しに欠けている視点を指摘された。今の食育は、何を食べるか?という《口に入る前の食育》に偏っているという。いくら健康に良いものを食べても流し込むような食べ方では健康なウンチは出てこないということを見落としている。すなわち《口に入った後の食育》=《よく噛む》という食育も必要であるということを強調された。

 『いくら健康に良いとされる食物を食べても、噛まなければ消化不良を起こすだけである。食育には二つの視点が必要であることをわかってほしい。そもそも歯は噛むために生えてきたのである。むし歯や歯周病になるために生えてきたものでなければ、磨くために生えてきたものでもない。そのことを忘れないでほしい。』という言葉は胸にストンと落ちた。

 午後は4つの分科会。私は第3分科会の担当である。文教大学教育学部教授・小児科医の成田奈緒子さんが講師で「早起きリズムで脳を育てる~脳・こころ・からだの正三角形」というタイトルの分科会である。分科会は今日の13:30~16:00と明日9:30~12:00との計5時間の長丁場なので明日まとめたい。今日だけでもとてもエネルギッシュで刺激になった。明日も楽しみ。

 シンポジウム終了後は18時からある町内のソーメン流し大会の写真を広報用に撮る仕事もあったので急いで帰宅。岡崎さんの話を聞いた後なのでソーメン流しの様子が風流な夏の催しというより動物の採食本能を刺激するものに他ならない。という風に思えた。

  
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする