「サマースキル」には付録で、たしざんとひきざんの計算カードが各1個ついている。表面に問題、裏面に答えという反復ドリルの定番のものである。これを毎日してその回数を記録するというのも宿題の一つである。「どちらのカードをする?」と尋ねると必ず「ひきざん!」と言う。私は「たしざん」を好むかなと思っていた。しかし、2つのカードをやってみて「ひきざん」を好む理由がわかった。
問題を見ると、両手を後ろに回しコチョコチョしながら考えるポーズをとり答える。指を使って計算する方法を習っているみたいだ。ただ、手を前に出して数えるのは恥ずかしいみたいで、隠して「あたまで考えて」と唱えながら指の数を数えては答えを言う。
この方法から、10人いたら7人ほどはすぐに抜け出して頭の中で処理できるようになるのだが、孫はまだ抜け出せない3人の中にいる。だから、答えの数が大きくなる「たし算」より小さくなる「ひき算」の方が指の操作が簡単なので好むのだと納得した。
「サマースキル」で、娘が「何で間違えるのやろ?」と言っていた問題を見ると共通点があった。それらは9+1,2+8、6+4,7+3と答えが10になるものばかりである。数に慣れ親しんだ大人から見れば5+4=9ができるのになぜ?となるが、ここの間には「繰り上がり」という大きな壁があり、7割の子はうまく越えるが3割の子はつまずいてしまうのである。
計算カードの表紙には「くりあがりのない たしざん」「くりさがりのない ひきざん」となっているのに1+9,2+8、・・・、9+1のカードが入っている。私はこれはダメだと思う。
0から9の間で答えが収まる問題をもっと徹底した後にすべきだし、指を道具に計算をする方法は問題点も多いと思う。しかしである。私は孫にとって「じいじい」でしかない。担任の先生に習ったことが孫にとっては全てである。無碍に否定しても始まらない。勉強に付き合えるのも1週間ぐらい。この間に矛盾を含んだ内容だが「できるんだ感」をもたせてやりたいと頭を悩ませる。
数字を1~10と思い込んでいた子が、「じゅういち」を漢数字の「十一」と同じように「101」と表現したという有名な話がある。今、孫が習っている流れは、「位取り記数法」の要、「くりあがり、くりさがり」の段階になった時混に乱する子どもが出て来る危険性が大である。さあどうなるのか2学期以後に少し注視しなければと思いつつ、対処療法に追われている。
問題を見ると、両手を後ろに回しコチョコチョしながら考えるポーズをとり答える。指を使って計算する方法を習っているみたいだ。ただ、手を前に出して数えるのは恥ずかしいみたいで、隠して「あたまで考えて」と唱えながら指の数を数えては答えを言う。
この方法から、10人いたら7人ほどはすぐに抜け出して頭の中で処理できるようになるのだが、孫はまだ抜け出せない3人の中にいる。だから、答えの数が大きくなる「たし算」より小さくなる「ひき算」の方が指の操作が簡単なので好むのだと納得した。
「サマースキル」で、娘が「何で間違えるのやろ?」と言っていた問題を見ると共通点があった。それらは9+1,2+8、6+4,7+3と答えが10になるものばかりである。数に慣れ親しんだ大人から見れば5+4=9ができるのになぜ?となるが、ここの間には「繰り上がり」という大きな壁があり、7割の子はうまく越えるが3割の子はつまずいてしまうのである。
計算カードの表紙には「くりあがりのない たしざん」「くりさがりのない ひきざん」となっているのに1+9,2+8、・・・、9+1のカードが入っている。私はこれはダメだと思う。
0から9の間で答えが収まる問題をもっと徹底した後にすべきだし、指を道具に計算をする方法は問題点も多いと思う。しかしである。私は孫にとって「じいじい」でしかない。担任の先生に習ったことが孫にとっては全てである。無碍に否定しても始まらない。勉強に付き合えるのも1週間ぐらい。この間に矛盾を含んだ内容だが「できるんだ感」をもたせてやりたいと頭を悩ませる。
数字を1~10と思い込んでいた子が、「じゅういち」を漢数字の「十一」と同じように「101」と表現したという有名な話がある。今、孫が習っている流れは、「位取り記数法」の要、「くりあがり、くりさがり」の段階になった時混に乱する子どもが出て来る危険性が大である。さあどうなるのか2学期以後に少し注視しなければと思いつつ、対処療法に追われている。