素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

続・小1の宿題に苦戦

2023年07月29日 | 日記
 「サマースキル」には付録で、たしざんとひきざんの計算カードが各1個ついている。表面に問題、裏面に答えという反復ドリルの定番のものである。これを毎日してその回数を記録するというのも宿題の一つである。「どちらのカードをする?」と尋ねると必ず「ひきざん!」と言う。私は「たしざん」を好むかなと思っていた。しかし、2つのカードをやってみて「ひきざん」を好む理由がわかった。

 問題を見ると、両手を後ろに回しコチョコチョしながら考えるポーズをとり答える。指を使って計算する方法を習っているみたいだ。ただ、手を前に出して数えるのは恥ずかしいみたいで、隠して「あたまで考えて」と唱えながら指の数を数えては答えを言う。

 この方法から、10人いたら7人ほどはすぐに抜け出して頭の中で処理できるようになるのだが、孫はまだ抜け出せない3人の中にいる。だから、答えの数が大きくなる「たし算」より小さくなる「ひき算」の方が指の操作が簡単なので好むのだと納得した。

 「サマースキル」で、娘が「何で間違えるのやろ?」と言っていた問題を見ると共通点があった。それらは9+1,2+8、6+4,7+3と答えが10になるものばかりである。数に慣れ親しんだ大人から見れば5+4=9ができるのになぜ?となるが、ここの間には「繰り上がり」という大きな壁があり、7割の子はうまく越えるが3割の子はつまずいてしまうのである。

 計算カードの表紙には「くりあがりのない たしざん」「くりさがりのない ひきざん」となっているのに1+9,2+8、・・・、9+1のカードが入っている。私はこれはダメだと思う。

 0から9の間で答えが収まる問題をもっと徹底した後にすべきだし、指を道具に計算をする方法は問題点も多いと思う。しかしである。私は孫にとって「じいじい」でしかない。担任の先生に習ったことが孫にとっては全てである。無碍に否定しても始まらない。勉強に付き合えるのも1週間ぐらい。この間に矛盾を含んだ内容だが「できるんだ感」をもたせてやりたいと頭を悩ませる。

 数字を1~10と思い込んでいた子が、「じゅういち」を漢数字の「十一」と同じように「101」と表現したという有名な話がある。今、孫が習っている流れは、「位取り記数法」の要、「くりあがり、くりさがり」の段階になった時混に乱する子どもが出て来る危険性が大である。さあどうなるのか2学期以後に少し注視しなければと思いつつ、対処療法に追われている。
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小1の宿題に苦戦

2023年07月28日 | 日記
 小1の孫が1週間、我が家で暮らすことになった。宿題について娘から説明してもらった。アサガオの観察、一行日記、国語は読書と音読。算数はたし算、ひき算である。我が子の小学校の頃の宿題の記憶はまったく無くなってしまったが、大きく変わってないように思えた。

 定番の『サマースキル」(さんすう・こくご)を娘が取り出し、「全くわかっていないところがあって難儀している。」と言った。「さんすう」の最初のページを見た時「これは!・・・」と不吉な思いにとらわれた。
【めあて】のところに、●10までの かずを すうじで あらわす ことができる。●10までの かずの おおきさを くらべる ことができ、じゅんじょが わかる。とあったのだ。

 私は、数字を最初に教える時は、0,1,2,3,4,5,6,7,8,9とすべきで10は入れるべきでないとずっと思ってきた。人類がものすごく長い年月をかけてたどりついた数の表し方は「10進位取り記数法」である。10ずつひとまとめにしていくという点では漢数字も同じだが、
決定的に違うのは「0」の存在。これによって0~9までの数字でどんな大きな数でも表現できるのに対して漢数字は、一、十、百、千、万、億、兆、京、垓、秭、穣、溝、澗、正、載、極、恒河沙、阿僧祇、那由他、不可思議、無量大数と新たな字を作り続けないといけない。

 それぞれに長所、短所はあるが、総合的に「インド数字」が原点の「10進位取り記数法」が世界に普及した。それでも12で1ダースとか60分で1時間のように取りまとめる単位の違うのも生活の場では残っているが、限られた範囲の話である。急速に発展しているコンピューターの世界は、2ずつまとめ「0」と「1」だけの2進法だが、これは別の話として、とりあえず現代社会を生きる人間は「10進位取り記数法」を獲得しなければいけない。

 不吉な予感が当たり、その入口に立った孫は「10」がらみの問題でつまづいていた。娘は「何でできないのやろ?」と不思議がるが本格的に数を習い始める者にとっては、すでにその壁を乗り越えた人間にとって「当たり前」のことがものすごく高い壁となって立ちはだかっていることを理解してあげなければいけない。

 入念な計画とドリルで基礎力をつけながら壁を乗り越えるルートを案内しなければいけないが、私には時間がない。1週間の滞在中に、矛盾は矛盾として置いておいて何とか「10」がらみのつまづきを解消してあげないといけない。その糸口を見つけるのに四苦八苦している。

 偶然だが事前に「言葉の本質」を読んでいたことが幸いだった。孫は人類が営々と築いてきたエベレスト級の高い文化の山を登ろうとしているのだという目で見て、どうすればガイドできるかと考えることができるからだ。
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夕焼け雷雨

2023年07月27日 | 日記
 連日の酷暑に顔を合わせれば、言い飽きた聞き飽きたけど「暑いなあ」である。特に、今日はきつかった。夜9時のニュースで枚方市が今年の全国最高気温であったと聞いても「さもありなん」と納得であった。
 
 16時まではクーラーのスイッチを入れずにきたが、今日は12時を過ぎると入れずにはいられなかった。16時近くになると「夕焼け雷雨」とでも言うのか夕日と雷と激しい雨が同居するという見たことがない光景が目の前に広がった。

明日も、同じような暑さになるみたいだ。一気に夏本番となった。
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言葉の獲得

2023年07月26日 | 日記
「言語の本質」(中公新書)を5章まで読み進めている。日常生活の必需品であり、当たり前のように使っている言葉だが、なぜヒトは言葉を持つのか?言葉はどのように進化してきたのか?を突き詰めると興味深い事柄が多くあるということに気づかされ、ウンウン、ワクワク、ホォーッ!ホケキョの連続である。

 子どもはいかにしてことばを覚えるのか?ということを通して人間が長い歴史の中で言葉を進化してきた過程が類推できる。ちょうど6歳の孫と誕生以来ほど良い距離間で接してきて言葉を獲得していく過程をかばり冷静に観察できた。我が子の時は育てることに必死で、今ほどゆとりをもって見ることはできなかった。

 孫や保育園の子ども達の成長の過程を思い起こしながらこの本を読むと「そういうことか!」と気づかされ理解が深まる。6章の導入で筆者は、言語の習得をエベレスト登山をするぐらいの大変なことだとたとえている。

 「エベレスト登山にたとえるなら、オノマトペは装備を整え、特別な訓練をしていない一般観光客が行けるところくらいまで子どもを道案内する。しかし、その後の登頂までの行程は長く、険しい。大局的に見たとき、言語習得においてオノマトペは本当に役立つのだろうか?本章ではちょっと視点を変えて、そもそも最初は自分で立つこともできなかった赤ちゃんが、どうしたら限られた時間の中で、大人に助けられながら山を登り始めることができ、その後独り立ちをして一気にエベレスト登攀に挑戦できるのか考えてみよう。何がそれを可能にするのだろうか?」

 本の展開も楽しみだが加えて、次女が、明日から1週間入院するため小1の孫とべったり付き合うことになる。夏休みの宿題では国語や算数がある。孫はちょうど登山口の入口にいるわけで、どのようにして言葉や数を身につけていくのかを観察する楽しみでウキウキしている。
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人生100年クラブ

2023年07月24日 | 日記
 朝刊くらし面の「人生100年クラブ」では93歳の総務部員・玉置泰子さんが紹介されていた。ギネス世界記録に認定された「最高齢の総務部員」である。ねじ専門商社「サンコーインダストリー」(大阪市)で勤続67年、総務一筋の方である。玉置さんのモットーは平凡なことを徹底的にやり抜く「凡事徹底」だという。私も大切にしてきたことなので嬉しくなった。退職をしてからは、ますますこの言葉が重みを増してきたように思う。

 15歳で終戦を迎え、その後間もなく父が死去。病弱な母と3人の弟妹を支えるために、商業高校を卒業後生命保険会社などを経て、1956年に25歳で今の会社に入社した。まだ従業員十数人の会社だったが、高度経済成長の波に乗り、会社の規模も大きくなり、70年に総務課ができる。その初代課長に任命されたのが当時40歳だった玉置さんだった。

 玉置さんは経理の仕事で使っていたそろばんが電卓になり、51歳の時パソコンが導入され、表計算ソフト「エクセル」を使うことを求められるようになったのが60歳を過ぎてからだという。それに対して億劫がらず「まずはやってみよう」と積極的に使い方を覚えたという。この変化を楽しむ姿勢は、分野を問わず長く生き生きと活動する人に共通することだ。見習いたいと思う。

 また、長く勤めれば同僚はもちろん、上司も年下になる。若い上司とのコミュニケーションについても示唆に富んだ話をしておられる。年下の同僚や上司との関係がギクシャクしないかとという記者の問いに、「ギクシャクするのだとしたら、それは自分中心に考えているからで、仕事はあくまで会社が中心。脇役として自分の立ち位置が見えていたら、『経験を生かしてお手伝いさせていただく』という考え方になるはず」と言い切る玉置さんは70歳下の同僚にも、分からないことがあればためらいなく質問している。自分にない能力を持っている人なら「素直に尊敬できるはず」。年下だからと上司に「ため口」は使わないし、聞かれない限り余計な昔話はしない。

 脇役だけに徹するのではないところに玉置さんの真骨頂はある。「でも」と続ける。「任された仕事に関しては、自分が主役です。受け身になっていると、甘えやミスが生じやすい。自分の事として責任を感じるからこそ、次々とアイデアがわいてくる。特に毎月、毎年繰り返すような仕事ほど”もっと効率的にやれないか””質を高められないか”と創意工夫を心がける。次は何を試してみようと考えるから、ルーティンワークも飽きません。今でも自分は昨日より今日の方が成長しているという実感があります。」という言葉には「生きる極意」が詰まっていると感じた。

 私が「年齢」というものを意識下に持つようになったのは50歳を過ぎた時だった。その時、身の処し方についてずい分考えたが、仕事全体の中では脇役、しかし、自分に任された仕事については主役。この二つの立場を臨機応変に使い分ける。という玉置さんが日々されてきたことと重なるものがあり共感した。

 

 


 

 
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