素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

ローマは一日にしてならず、桜は一日にして超・満開

2015年03月31日 | 日記
 昨日、「先駆けの桜」を撮った傍示川、今日行ってみたらつぼみだった木もすべて開花し見事な桜並木になっていた。季節外れの暖かさとはいえこのスピードには驚かされる。
  私の自治会では5日(日)に花見大会を企画しているが、担当者は花が持つかどうかやきもきしている。昨年は花の雨と花冷えで台無しになった。自然相手のイベントは気苦労が絶えない。

 ジムでもアッという間の桜の満開の情報が飛び交っていた。いつになく駐車場に空きがあったのは花見に出かけている人が多いせいか?センバツ高校野球の準決勝、大阪桐蔭対敦賀気比のテレビ観戦もジムに来た人の楽しみ。家で見るより皆とワイワイ言いながら見るほうが楽しい。必ず迷?解説者が出てくる。しかし、1回と2回に連続満塁本塁打を浴びて、10対0とリードされたところでテンションは一気に下がり、各自トレーニングに黙々と取り組み始めた。

 桜や野球の話題にうつつを抜かしている私たちとは裏腹に必死になって動いているのが大阪府議選に立候補を予定している人たちである。4月3日告示、12日投開票だから実質終盤戦である。今回の大阪府議選・大阪市議選は5月17日に実施される、大阪市を廃止・再編する『大阪都構想』の賛否を問う住民投票の前哨戦でもあり各党とも力がより入っている。

 各党の主張を聞いていると「ローマは一日にしてならず」という思いに駆られる。

 29日(日)の毎日新聞・日曜クラブの「新・心のサプリ」で、海原さんが『細々とでも長く続ける』というタイトルで自身の水泳の体験を交えて書かれていた。政治問題の話題ではないが、ヒントになる視点が提供されていると思った。

 『・・・以来、もう30年近く水泳が生活の一部になっている。とはいえ泳ぐ時間はごく短い。スポーツクラブが閉館するギリギリにかけこんで、10分位泳いだりすることもある。でも全く体を動かさないのとほんの少しでも動かすのは違うことを実感しているから、わずかな時間でも泳ぐのが好きだ。
 
ただまわりの人は、数分泳ぐためにわざわざスポーツクラブへ行くのは時間のムダ、あるいはどうせ泳ぐならちゃんと長時間泳がないと意味がない、と思っていることが多いことに気づいた。外来で受診する方と話をしていても、「どうせ運動するならちゃんとやらないと意味がないし、そんな時間はないからやらない」という方が多い。全か無か、という思考性である。
 
 しかし、ちょっとでもやってみる、少しでも長く続ける、というのは大事なことだと思う。無はいつまでも無のままだが、ほんの少しずつでも積み重ねていると、変化が確実に感じられる。ただ、ほんの少しずつの積み重ねは劇的な変化にはならないから意味がない、と思われてしまうのだろう。
 
 そう考えていくと、このところ「細々とでも長く続ける」という視点はほとんど顧みられることがなくなってきた。「三日でかわる」というキャッチフレーズのダイエットや「てっとり早く」「最大の効果」という謳(うた)い文句の氾濫(はんらん)である。芸の世界も食の世界も、日本の伝統文化を継ぐ分野以外は一発勝負の人たちが増え、となりのお姉さんが翌日スターになる状況だ。コツコツ続けるのは、この時代にマッチしなくなってきている。
 
さてこんな風潮の現在だが、今一度「全か無か」だけではなく「細々とでも長く」の視点を加えてほしいと思う。ちょっとでもやってみる、のは確実に違う。運動のことだけを言っているわけではない。人生すべてに共通する。・・・』


 大村はまさんの「米粒を毎日1つずつ入れ続ける」という話と通じるところがある。明日から新年度、「細々とでも長く続ける」という視点を忘れずに一歩一歩進んで行きたい。
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先駆けの桜

2015年03月30日 | 日記
 近所にソメイヨシノの満開が近いことを告げる木が2本ある。「先駆けの桜」と勝手に呼んでいる。1本は我が家の斜め裏のYさん宅の桜。道路に形よく出ていて日当たり抜群の場所にあることから開花が早い。そのバックに大きなクスノキがある。そのほのかな若葉の色との取り合わせも好きだ。
 もう1本は傍示川にかかる星田山手橋のたもとの桜。近くの木々のつぼみのピンクを背景に毎年一番に咲き誇るのである。
 服装の感覚がついていけないぐらいの温度の変化である。この勢いだと明日は桜のトンネルができるかも。

 今日は自転車のスピードメーターのタイヤ設定が27インチにすべきところを26インチにしていたことに気がついた。前の自転車で使っていたものをそのままにして取り付けたためである。ランニングコースの距離をそれで測定していたので修正することにした。寝屋川公園往復コースと打上治水公園往復コース合わせて20kmになる。1kmごとのポイントも確認しながらの走行はそこそこ神経を使う。汗ばむ陽気の中、いい運動になった。

 4月からは修正したニューコースで記録をとっていきたい。気分一新である。
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コブシの花満開

2015年03月29日 | 日記
 昨夜遅く大阪へ帰った。3日間でソメイヨシノのつぼみがずいぶんふくらんで樹全体がピンクになってきた。日当たりの良いところでは五分咲きといったところ。未明から雨。天気に恵まれた3日間でよかったとあらためて思った。実家と伊勢の間を行ったり来たり、その合間に網戸の張替えや買い物、父親を歯科医院へ連れて行ったりと忙しかったので午前中はゆっくりとした時間を過ごした。こういう時の雨は幸いである。

 午後は汗を流すためにジムへ。一汗かいて風呂に入ったらすっかりリフレッシュできた。雨の方も3時過ぎには上がってきたので1時間ほど散歩した。この3日間でコブシの花が満開になっていた。「コブシ街道」と勝手に名づけているところ、25日(水)に走った時はまだ枯れ木状態だったので変化の早さには少々驚く。
  まだ少し曜日感覚がズレている。
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納骨の日に思う

2015年03月28日 | 日記
 戦後70年という節目の年を迎えた。人間としての記憶は5歳ぐらいからあると考えると現在75歳前後以上の方は直接、戦争というものに何らかの形で巻き込まれた記憶を有している。80代の人は多感な時期を戦渦に巻き込まれて生きてきた。90歳以上は兵役を経験しているひとが大多数である。

 私は昭和26年生まれ、記憶にあるのは昭和30年前後からである。それ以前の父母、祖父母、叔父叔母の人生の歩みは知らない。その記憶のギャップについては前に書いたことがある。

 25日の夜、昼間ジムに行っていた時間に父から電話があったことに着信履歴を見て気がついた。父からの電話は珍しいうえに明日は昼前には到着すると伝えてあったので「何か緊急事態が起こったか!?」と緊張した。すぐに電話をして昼間気がつかなかったことを詫びて用件をたずねた。私の気配を察したのか父親は照れたように「大したことではないのだが」と切り出した。

 文藝春秋が戦後70年企画で「太平洋戦争の肉声」という臨時増刊を文春MOOKで出している。 第1巻は「開戦百日の栄光 」、第2巻は「悲風の大決戦 」、 第3巻は「 特攻と原爆」、 第4巻は「テロと陰謀の昭和史 」と4冊あり、第3巻を読みたいので本屋に頼んでいたら第4巻を間違って持ってきた。母親に言わせれば「間違いやから第3巻に替えてほしい」と返せばいいのに、黙って受け取ってしまい後悔している。情けないとなる。

 それで、明日志摩に来る途中で本屋があったら第3巻を探して買ってきてほしい。ということ。少し、拍子抜けをしたが、この雑誌に限らず戦争を扱った小説はほとんど読んだのではと思われるほどである。何を思い読んでいるのかを聞いたことはないが戦後70年、父の中には戦争へのこだわりがずっとあることだけは確かである。

 101歳で亡くなった叔母のお母さんと私が初めて会ったのは小学校の5年ぐらいだったと思う。どういういきさつかは忘れたが志摩の土産を持って、叔父と一緒にフィアンセの家に行くという大役を仰せつかったのである。初めてのおつかいという緊張した気分は覚えている。和服姿で凛として上品な言葉遣いに別世界に来たという思いであった。私が預かったお土産が数匹のナマコで、台所で悲鳴が上がり一家大騒動となったことも当時の私は理解できなかった。当時は真珠関連の事業をされていてとてもリッチな印象があった。初対面の印象が強烈で、叔母さんのことを良家のお嬢様だとずっと思ってきた。

 しかし、そうではなかったということが今回の法要に出席してわかった。梅香寺で納骨のための読経と焼香をすませ、墓に出向く前に長男の方から挨拶があった。叔母の両親は大分県に生まれ、そこで結婚をして長女にあたる叔母と挨拶をしている長男が小学生の時に満州に移ったという。満州の大連で妹と弟が生まれ、一家6人で生活が軌道に乗り始めて来た時に終戦となり、一晩にしてロシア軍に街を包囲され、大混乱の中を九死に一生の思いで日本に戻ることができたという。親戚をたよって伊勢に身を寄せた。長男は小学校5年、叔母は女学校に通学したが、伊勢の言葉を喋ることができないためにからかわれ、疎外感を味わったという。

 叔母やそのお母さんから感じる芯の強さは、語ることはなかったがそのあたりの体験があってのことだと聞いていて初めてわかった。お墓に納骨を済ませた後、みんなで昼食をとったが、隣に座った叔母が「これでやっと一区切りがついた」という言葉には万感の思いがこもっていた。

 聞くと、30年余り暮らした松山の家を処分して、神戸の方で終の棲家を構えるとのこと。3人の子供が広島、東京、三重で居を構えているので10年後を見据えると松山にいても意味がないと考えたらしい。新幹線と名神という幹線交通網を考えたとき神戸がベストだという結論に達したらしい。

 ケア付きの分譲マンションで東南海地震の津波も考え10階の部屋を購入したらしい。引越しをしたら参考のために見学させてもらおうと思っている。一寸先は闇と言われている世の中であるが、それでも布石をきちっと打っていく大切さを考えさせられた。

 叔父叔母の末っ子が松山東高校を出ているので、センバツの話題でも盛り上がった。叔母は香里園から松山に引っ越したばかりの頃は大阪の高校を応援していたが今やすっかり愛媛贔屓になりましたと笑っていた。私が昨夏、三重高校と大阪桐蔭の決勝の時、複雑な心持ちになったという話をした。18年住んだ三重県か40年近く暮らしている大阪府のどちらが自分にとっての「ふるさと」なんだ?ということである。叔父も「なんとなくわかる」と同意してくれた。「わしも伊勢には18年しか住んでないからな」とふるさと論のようなものになった。「ふるさと、ふるさと」と強調するのはいかがなものかということになった。『人間到る処に青山あり』という心持ちで生きていけば良い。聞いていた叔母は「私にはふるさとがないんだ」とつぶやいた。大分から満州、引き揚げて伊勢で7年、その後結婚して石川、京都、大阪、愛媛と叔父の仕事の関係で移り住んで来たという。一番長いのが愛媛の30年余り。だから今度の神戸行きも抵抗がなくむしろ楽しみという。

 墓の問題が全国的に起こっているのも時代の区切り目を迎えたということかと昨日、今日と話をしながら強く感じた。
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母の実家のある伊勢市・徳川山に約50年ぶりに行く

2015年03月27日 | 日記
 母の実家は伊勢市の二俣にある。小さい頃は極自然に「山の家」と呼んでいた。今思うとこの『山』には2つの意味合いがあったように思う。1つは、田の家。今でこそ伊勢市と言っているが、古くは内宮周辺地域は宇治、外宮周辺地域は山田と呼ばれ、両地域は激しく対立していた。その2つが合併して宇治山田町になったのが1889年(明治22年)である。1906年(明治39年)に宇治山田市と市政を施行した。伊勢市と名前が変更されたのは1955年(昭和30年)である。

 もう1つは、徳川家康が宮川以東の神領を管轄するため慶長8年(1603年)山田奉行所を山田吹上に置いたこともあり、実家のある地域に徳川家の係累が住んでいたということで徳川山と呼ばれていたまさに。山というよりは岡だが小さい頃に祖母の家へ行く時ダラダラ続く上り坂が大変だっと記憶している。まさに山の上にある家だったのである。

 現在は、末の弟である叔父夫婦が住んでいる。6年ほど前に脳内出血のため半身が不自由になりリハビリなどで大変だと聞いていたので訪問することをずっと遠慮してきた。松山に住んでいる兄の叔父夫婦が納骨のために伊勢に来たついでに立ち寄りたいとういうので私が車で送迎することになった。およそ50年ぶりである。小学校時代までは祖母が暮らしていたこともあり年に数度は泊まりに行っていた。そのかすかな記憶をたよりに車を走らせた。

 外宮前を通り過ぎると観光地としての顔は消え、昔ながらの町の姿となる。古びた二つのトンネルは子供心に怖かったことは鮮明に覚えている。このトンネルは昭和の初期にあった伊勢電気鉄道のためのものであったことは後で知った。1942年(昭和17年)に山田線(現在の近鉄大阪線)と競合するという事情で廃止した新松阪 - 大神宮前間の軌道が道路になっていた。当時はもっと狭く照明もほとんどなかったように思う。
  このトンネルの上のあたりが徳川山と呼ばれていた。すっかり宅地化されて昔のひなびた感じはすっかり消えていた。

 2人の叔父と一緒にゆっくり話をするのは初めてぐらいだ。小1時間、思い出話や近況について語った。その中で、墓をどうするか?ということで兄弟の意見が違った。墓の問題はこれからの大きな課題になるだろうなと話を聞いていて思った。「お前はどうする?」とたずねられても即答はできなかった。

 78歳と81歳の叔父二人、あと10年を見据えていろいろ考えていることがよくわかった。とても参考になった。
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