素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

三浦しをん『まほろ駅前番外編』読み終わる&新10kmコース1時間5分35秒

2012年05月31日 | 日記
 “多田便利軒”“番外編”と続いた「まはろ」シリーズ、今後も続いていく気がする。映画やテレビのドラマでもシリーズとして継続して行くものにはエンディングに必ず余韻を持たせている。

 “番外編”も脇のキャラクターに視点を当てつつ主役を浮かび上がらせ、7つの話はそれぞれ完結はするのだが、その中に心にくいまでの布石が打たれている。楽しみにしておこう。

 ラストの“なごりの月”では言葉にならない、言葉にできない思いというものの存在が見事に伝わってくる。今週あった鬼平の中での名セリフと重なるものがあった。

 鬼平への勤めと昔の義理ある人との間で板ばさみになった蟹江敬三扮する小房の粂八が事件がすべて解決した後、「親方様だけにはすべてを打ち明けておかなければ」と心に決めて鬼平の屋敷の庭で重い口を開けようとした間際にそれを制して

 「いくら言葉を重ねても・・・心の奥は語れまい。・・それを言っちゃ。味ない、味ない。」

 ジムの5連休中に1度、外でまとまった距離を走っておきたいと思っていた。5月の連休明けからそのことを意識しつつジムでのトレーニングを積んできた。一昨日はころころ変わる天気に翻弄され、昨日は霊山寺に出かけ、明日と明後日は志摩の実家に帰ることが急に決まったので、今日しか走る日がない。

 新10kmコースにチャレンジしてみた。体のほうはとても軽く、ジムで感じた心身のワンランクアップは本物であることを実感した。出だしの下りでやや抑え気味に入ったので結果は1時間5分35秒と新記録とはならなかった。ただ、1時間1分55秒を出した時は交野マラソンの10日ほど前で、一番攻めの姿勢になっていたときだから仕方がないという気持ちはある。

 次につながる走りができたのでスッキリとした。
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デジブック 『登美山鼻高 霊山寺』

2012年05月30日 | 日記
霊山寺は我が家から生駒を越えて富雄川沿いに車で行くと30分余りの所にある。バラの寺として有名だが、見頃の時期は混雑するので避けていた。歴史のある寺でバラのほかにも見所があると聞いたので行くことにした。

 見て、歩き、拝み、食べてと半日楽しめた。


デジブック 『登美山鼻高 霊山寺』
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一度ならず二度までも雨と雷との競争になるとは

2012年05月29日 | 日記
 昨日の東海・関東地方の雷雨のニュースは他所ごととして見ていたが、今日は我が身にふりかかってきた。いつもの火曜日のように、朝の仕事が一段落ついたあとの午前中にTSUTSYAに定期購読の“和時計をつくる”を受け取るために自転車で出かけた。雲行きが少し怪しくなってきていたが往復で40分足らず、大丈夫だろうと高を括っていたが店に近づくにつれ急速に黒雲がたちこめ、雷鳴も聞こえてきた。

 家には誰もいないので洗濯物のこともあり、断念して引き返すことにした。帰り道はほとんどが上り、急ぐ時にはこたえる。昨日、ジムでがんばったので今日は休養日と決めていたのにとんでもないハードなトレーニングとなった。かろうじて降りだす前に家に着き、休む間もなく洗濯物を取り入れたり、開いている窓をしめることに追われた。落雷で家電製品がアウトになることを心配するほどであった。

 1時間余りでうそみたいに天気は元に戻った。95%乾いていた洗濯物を外に出し、完全に乾くまで雑事の合間に三浦しをんさんの『まほろ駅前番外地』を読む。『まほろ駅前多田便利軒』の続編のようなもので主役の多田をとりまく人間、押しかけ相方の行天、やくざの星良一、病院暮らしをしている90を越えた曾根田のばあちゃん、お得意さんの岡夫妻、小学5年生の田村由良などにスポットをあて物語の世界を広げている。7つの物語があるが“岡夫人は観察する”が一番面白かった。

 洗濯物も乾いたので再度、TSUTAYAに出かけた。西のほうに怪しげな雲が出てきていたがさっきので峠は越えているとふんでいた。いつものようにプラス1冊の本を求めて店内をぶらついたが今日は飛び込んで来る本がいない。そういう時はさっさと切り上げたら良かったのにグズグズと見てまわっていつかは必ず読むだろうと万城目学さんの『ホルモー六景』を一緒に買った。

 しかし、このグズグズで時間を使ったことが仇になった。店を出ると雲行きが最悪の状態になっていた。昼の時より切羽詰った感じで雷雨との競争となった。考えうる最短のコースを突走った。こういう時頭の中で鳴るのは♪お祭りマンボ♪

 二回目は一回目以上にこたえた。「勘弁してくださいよ~」が口癖の人がいたが、家にたどり着いた時思わず使わせてもらった。

 ニュースによれば、落雷で亡くなったりケガをした人、増水した用水路で流され骨折した人、落雷でテレビや信号が駄目になった地域などけっこうな被害が出ていた。なんか今年は多いような気がする。

 花だけは喜んでいるみたい。

 

 
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杜鵑花(サツキ)の花がだんだん見頃に

2012年05月28日 | 日記
 例年だと躑躅(ツツジ)の花が終わる頃には杜鵑花(サツキ)の花のつぼみがふくらみ始めるのだが、今年は2週間近く間が空いた。剪定が失敗したのかなと少々あせっていたが5月も終わりに近づいてようやく花が咲き始めた。ホッとした次第である。
 情報誌MONOQLOプライムの“日本のしきたり”に『皐月という名は、一般に早苗月(さなえづき)が語源といわれている。早苗とは苗代で育った稲の苗のことなので、この頃が田植えの時期だという意味になる。躑躅(ツツジ)の仲間のサツキは、4月に咲く躑躅の後を追って開花することから同じ字を当て、正式には皐月躑躅(サツキツツジ)という。』とある。

 また、日本の歳時記には“杜鵑花(さつき)〈皐月つつじ)”とある。『躑躅と同じツツジ科で、正式名称はサツキツツジ。杜鵑(ほととぎす・時鳥)が鳴く旧暦皐月(6月)頃に、小ぶりの花を多数つけることから、この字をあてた』

 見慣れていてあまり気に留めていなかった花だが、少しいつもと開花のタイミングがずれたため意識的に調べた。サツキの他に目に留まるのが“ヒメフウロ”
 
それと“シャクヤク”。古来、中国では牡丹を「花の王」、芍薬をそれに次ぐ「花の宰相」と呼んだらしい。私には牡丹はやや重く感じる。少し控えめで優しさを感じさせる芍薬のほうが好きである。


 季節は夏に近づいているということを感じる。明日からジムは5連休となる。今日は少し負荷をかけてみた。NHKEテレの“趣味DO楽”「3ヶ月でフルマラソン」も悪天候の中2人とも5時間を切るタイムで完走して終わった。久しぶりに20kmを走ってみようかなと思った。 
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座右の銘~人生を支える言葉~

2012年05月27日 | 日記
 今日の毎日新聞『日曜プライムクラブ』の平松洋子さんの“小鳥来る日”は座右の銘にちなんだ話である。枕は政治家3人のもの「素志貫徹」(野田佳彦)、「至誠通天」(前原誠司)、「不易流行」(馬渕澄夫)これを受けて「・・・・・・気持ちだけはわかる」という落とし方には一本!という声をかけたくなる。「6個の・の間」が絶妙。志の輔の噺も「間」が絶妙。3秒であったり、6秒であったり時には間髪を入れずとこのさじ加減が1時間半近くの“中村仲蔵”の噺の世界に1000人もの聞き手を引き込んでいく要だろう。おっと脱線。平松さにもどすと、その後彼女の知人の座右の銘を2つ紹介する。それは「三百六十五歩のマーチ」。崖っぷちに立たされたとき決まって頭の中で鳴り出す曲だからだそうだ。もう1つは「連帯保証人は引き受けるな」。“起““承”ときて“転”としてふっと思い出した小学生のときの卒業記念の寄せ書き。「人生あきらめが肝心」小学生のぶんざいですでに人生を舐めているという理由で担任教師にはたいへん不評であったが、平松さんには忘れられない言葉となった。ただし、書いた男子の顔は半分忘れかけている。

 そして“結”、平松さんにとってのだいじなひと言を紹介する。

『「ふきんの汚れは揉み出す」 
  目を見開かされるとはこのこと。
  敬愛する老料理人の口から聞いた瞬間、雷鳴がバリバリと鳴り響いた。雷といっしょに瀧にも打たれた心地を味わいながら、そのときわたしは思ったものだ。だいじな言葉と邂逅した瞬間、ひとはこんなはでな衝撃を受けるものなのか。』


 この言葉を平松さんは“ものごとに取りくむときは、仔細に、丁寧にやれ。”と勝手に解釈を広げているという。

 同じ言葉でも受け手の側の状況によって与えるインパクトは違う。何かの折に自分にとって座右の銘となる言葉に出会えた人は幸せなのかもしれない。

 本紙には“ストーリー”という特集で、今度四代目猿之助を襲名することになった市川亀治郎さんをとりあげていた。三代目猿之助さんを巡る人間模様にはなかなか複雑なものがあることが垣間見えた。亀治郎さんの座右の銘は「至誠天に通ず」。オッ!前原誠司さんと同じやん。政界と歌舞伎界と住む世界は違うが共通点みたいなところはあるんかなという余計なことを考える。

 「私は一生懸命やっているのに、世間はどうしてわかってくれないの」という気持ち?

 また、昨日の独演会でもらったさまざまなイベントのチラシの中に、立川談春のものがあった。今年の1月から始まった神戸・大阪での12ヶ月連続独演会の宣伝なのだが、2012年3月19日付デイリースポーツ20ページに掲載された紙面まるごとというもの。そこでの質問の中にも座右の銘はあった。談春の答え「負けるけんかはするな」

 ついでに、いま一番ほしいものという問いには「強い声帯」と答えている。インタビューでそのことに関蓮している部分。談志しかやらない『つまらなくて難しい』とされる噺をあえてやろうと思ったくだり、

「あとね、こういう噺は、楽器の部分がすごく大きいんです。楽器てのは、声ね。その噺に合う声、テンポ、トーンというのがあるんです。だから、自分の声をチューニングしなきゃだめですよね。噺に合うトーンに」

 それと、これはどんな噺でもそうですけど、その日の小屋、湿度とかでも声は微妙に違いますし。その噺にあったチューニングと、その日の状況に応じた細かいチューニング、この二重のチューニングが必要でしょうね。とか言ってるけれど、本当の楽器のチューニングってのはしたことないけど(笑い)」
 “間”と“声”は表裏一体。昨日の志の輔の声の使い分けが思い浮かぶ。またまた脱線。座右の銘にもどすと、わたしの場合は3つかな。

 高校の漢文の授業で出会った「人間万事塞翁が馬」大学時代に読んだ山本周五郎の“赤ひげ診療譚”での「徒労に賭ける」教師になったばかりの頃に読んだD・カーネギーの“人を動かす”にあった「盗人にも五分の理をみとめる」である。

 他にもあるがこの3つの存在は大きい。さまざまな局面でこの3つ言葉には支えられてきた。これからも変わらず支えられていくと思う。

 

 
 
 
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