素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

上野動物園が開園した日

2022年03月20日 | 日記
 今日の「余録」で、140年前の今日、3月20日に上野動物園が開園したことを知った。遠いということもあり私にとっては馴染みのない動物園である。三重、愛知に住んでいた頃は動物園といえば「東山動物園」(1937年開園)で、大阪へ来てからは「天王寺動物園」(1915年開園)である。

 1番古いのが上野、天王寺は3番目。2番目は1903年に開園した京都市動物園。京都の岡崎は一番よく出かけた場所だが中に入ったことはない。基本的に動物園は苦手である。檻に入れられて本能を遮断させられた動物を見ていると切なくなってしまう。旭山動物園の取り組みの成功もあって人間本位の形からより自然に近い状態での飼育環境になってきているというが、多くの人間の好奇な目にさらされていることには変わりはない。自分がそういう立場になったら嫌だなと思うからだ。

 そうは言っても小さい子供は動物園に行きたがるので連れて行かないわけにはいかない。上野動物園に行ったのは末の娘が4歳になった頃だと思う。夏休みにある妻の研究会が東京であった時、家族旅行も兼ねて箱根、東京に泊まった。妻が研究会に参加している間、11歳、9歳、4歳の子どもを連れて時間をつぶしていた。記憶にはほとんど残っていない。地下鉄の一日乗車券を利用したり、山の手線を回ったりと電車によく乗っていたことは覚えている。

 1972年にジャイアントパンダ「カンカン」と「ランラン」が来園して空前のパンダブームになっていたので子ども達の一番の楽しみは「パンダを見る」ということであった。昼近くに入場したので動物という動物が昼寝をしていた。ライオンの無防備な大の字は子供たちのイメージを大いにこわした。パンダも昼寝中。早朝か夕方時には活動している姿を見ることが出来るという主旨の看板があった。4歳の末っ子も昼寝タイムとなったので一度宿に戻ってから夕方タクシーで駆けつけ、ようやく動いているパンダを見せることができた。子供をなだめ四苦八苦した思い出が上野動物園にはある。

 余談だが、3人を連れて公園を歩いていた時、突然大きな声を上げて40~50人ほどの少女の集団が私たち目がけて走ってきた。正確に言えば私たちの後方30mに停車しているワンボックスカーに向かっていたのだが、思わず子供たちを引き寄せ防御した。つむじ風のように通り過ぎた先に目をやるとワンボックスカーのサイドに「光GENJI」と書かれてあった。その時は???だったが、その年(1987年)4月にデビューしたグループだったと分かったのは、秋以降爆発的な人気でテレビでたびたび見るようになってからである。

 上野動物園の開園140年を取り上げた「余録」を書き写しながら蘇ってきた古い記憶である。
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