素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

明日から志摩の実家へ

2011年12月26日 | 日記
 27日から29日まで実家に帰り、片付けと新年の準備を手伝ってこようと思う。タイミングもいいので年内はブログも止めることにした。
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五木寛之著『蓮如』(岩波新書)

2011年12月25日 | 日記
 金正日総書記の死去で、北朝鮮のことがマスコミに報じられる機会が増えた。その中で、経済政策の失敗で貧困と飢餓に苦しむ地方の民衆の様子をとらえた映像には心が痛んだ。先のワールドカップアジア予選の会場となった首都ピョンヤンの映像では思っていたよりましではないかという印象を受けたが、ピョンヤンは他所向きに見せる特区であるということをはっきり認識できた。

 それらの映像を見ていて、なぜか15世紀半ばの日本のことが重ね合わされた。今、私の中にあるキーワードの1つが“歴史の転換点(端境期)”である。政治混乱と大飢饉の中であえぐ民衆の姿をそこに見たのである。ドラマなどでつくられたものでない“生”の映像の訴える力は強い。

 すると連想ゲームのように、金閣寺・銀閣寺に代表される室町時代の文化とは裏腹の民衆の悲惨な実態というものが意識の上に浮かびあがってきた。天の機、時の利を得たというのか、そういう世相を背景に急速に広まり、力をつけていった親鸞を開祖とする浄土真宗(一向宗)のことへと意識は流れた。

 おそらく、京都の堀川通りを車で走るたびに見ていた、親鸞の750回忌を迎え大修理を終え、大きな旗がなびいている西本願寺や大阪城に行った時に見る石山本願寺跡なども意識の底で働いてのことだと思う。

 急に、以前読みかけてやめていた五木寛之さんの『蓮如』を読みたくなった。2年前ぐらいに買って読みかけたが、おもしろさを感じなくてすぐやめってしまったものである。今回は全く違った。昼過ぎから読み始め、一気に読み終わった。うまく言葉では表現できないが考えさせられることが多かった。

 井沢元彦さんに連れられて古代から現代へと歴史を歩み、NHKの“逆のぼり日本史”で現代から鎌倉までと歴史を行ったり来たりしながら自分の中に欠落していたものを埋めたり、バラバラにあったものをつないだりしてきたが、信長の比叡山焼き討ち、石山本願寺との攻防以前の部分が少し深まったように思える。

 そういう意味合いでも今度のNHK大河ドラマ“平清盛”には少し期待を持っている。
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国の予算が閣議決定される

2011年12月24日 | 日記
 財政赤字の膨張を何とか健全化の方向に持っていかなければと言われだしてから久しいが、閣議決定された予算案の報道を見ている限り、課題は先延ばしにされたという感じである。ただ、金額が大きすぎてピンとこない。前にあったりそな銀行主催のセミナーで、平成22年度の財政状況を身近な家計の単位に例えての資料があり、大変な状況が実感できた。

 税収・税外収入    48兆円 → 手取り年収    480万円
 (収入合計)・・①  48兆円 → (収入合計)・・①  480万円
 
 一般歳出       53兆円 → 生活費       530万円
 国債費        21兆円 → 住宅ローン返済  210万円
 地方交付税      18兆円 → 子供への仕送り 180万円
 (支出合計)・・②  92兆円 → (支出合計)・・②  920万円

 (収支)①-②    -44兆円 → (収支)①-② -440万円

 公債金収入      44兆円 → 新規追加借金  440万円


 公債残高      637兆円 → 住宅ローン残高 6370万円

 結婚して居を構える時、賃貸にするか、借金をして小さな持ち家にするかでずい分悩んだ。就職して2年目だったので収入も借金できる金額も少なく、必死で計算をして見通しを立てた。当時の写真を見ると計算疲れでやつれている。たまたま立ち寄った不動産屋が好意的で小さな持ち家でのスタートとなった。バブル期の終わりの時期に良いタイミングで2回家を買い替えてきたが、一貫して住宅ローンをいかに早く返済するかを最優先に考えた。そのためには我慢すべきところは我慢して元金を減らすための一部繰上げ返済をこまめにした。おかげで50代に入って借金ゼロ生活となり、生活設計にゆとりが生まれた。規模は違うが国の場合でも基本は同じであろう。借金にたよらない。公債残高を減らしていくという方向を定めて20年ぐらいは我慢の生活をしなければいけないのではと考える。

 予算が決まっていく内幕はまったくわからないが、現状は政治家の選挙を意識した“人気取り”も大きな原因になっているのではないかと推測する。政治主導という言葉はまやかしではないかという思いもある。財務官僚の話も聞きたいものである。マスコミを通じて流れてくる消費税をめぐる政治家の言動は“選挙にどうか”が一番で、国家財政の未来についての視点では考えていないと思わざるを得ない。

 責任のなすりやいをしている場合ではない。マニュフェストが総崩れになろうが、そんなこともどうでもいい。現状打破の知恵を出し合ってほしいと強く願う。

 “歴史は繰り返す。さらに悲劇的な形で。”という言葉が現実味を帯びてきている。
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第3回交野いきいきマルシェ:おりひめの駅へ

2011年12月23日 | 日記
 “交野いきいきマルシェおりひめ駅”は、道の駅設置に向けて、市内産業の活性化を目指して、農業・商業・飲食業などの各種産業団体と交野市の協働によって実施されているテント物産市である。隣の枚方市では大々的なマルシェ(=市場)が開催されているが、交野市は始まったばかりのヨチヨチ歩き、今回で3回目である。“星のあまん”“おりひめちゃん”に加え枚方市の“くらわんこ”、寝屋川市の“はちかづきちゃん”、大東市の“ダイトン”というゆるキャラたちも応援に駆けつけ盛り上げていた。
  天気予報で言うほど寒くもなく家族連れでにぎわっていた。クリスマスマルシェということで、“アンサンブルかたすい”有志による演奏もあり、ラーメンやたこやき、やきとり、さといもコロッケなどを食べながら楽しんでいた。
 300円前後で量も多くなく手軽なので試食気分で食べてまわったが一押しは“しんなべ”の餃子である。タレ不要の餃子と看板にあるがいつわりなしである。
 次回は1月15日(日)である。応援していきたい取り組みである。

 木々の葉はすっかり落ちてしまったが、枯れ枝に春に向けての準備を見るのがまた楽しい。      
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冬至を迎えるとホッとする

2011年12月22日 | 日記
 毎年のことながら冬至を迎えると新しい気持ちになることができる。明日から昼の長さが延びていくというだけの理由だが心がはずむ。寒さはこれからが本番となるが、小さい時から寒さに関しては苦にならない。

 冬のグランドに立つと高村光太郎の詩が浮かび元気が出る。

きっぱりと冬が来た
八つ手の白い花も消え
公孫樹の木も箒(ほうき)になった
 
きりきりともみ込むような冬が来た
人にいやがられる冬
草木に背かれ、虫類に逃げられる冬が来た
 
冬よ
僕に来い、僕に来い
僕は冬の力、冬は僕の餌食だ
 
しみ透れ、つきぬけ
火事を出せ、雪で埋めろ
刃物のような冬が来た


 それにしても民主党、党としての形は完全に崩れているのではないかと思ってしまう。増税のこと、TPPのこと、八ッ場ダムのことなど大事なことすべてが大分裂の大騒ぎ。しかも内向きの論議ばかり。解散総選挙となった時、党として何を訴えるのか皆目わからない。ニュースを見るたび分裂してしまえばよいのにと思う。

 NHKBSプレミアムの20時からの『歴史館:悲劇の内戦リンカーンと南北戦争』も政治といものを考えさせられる面白い番組であった。
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