素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

「仏教の大東亜戦争」(鵜飼秀徳著・文春新書)

2022年10月31日 | 日記
 8月21日のブログで書いたように、佐藤優の書評を読んで是非読みたいと思った本だった。しかし、注文すると「在庫切れ・入荷の見通し未定」となっていた。同じような思いの人が多いのだと思った。待つこと1ヶ月余り、9月末にようやく手にすることができた。 

 その頃には安倍晋三元首相の銃撃、殺害された事件も、山上容疑者の動機、旧統一教会への高額献金による家庭崩壊から政治家と旧統一教会との関係に視点が移っていた。関連団体を含め教会との関係を指摘された政治家の釈明が続いた。

 10月中旬になると「旧統一教会への質問権の行使」という解散命令を視野に入れた新しい局面を迎えた。その間の国会論議、マスメディアの報道を見聞きすると8月21日のブログで抜粋した佐藤優さんの危惧が、私の中ではますます膨らんでいる。

「・・・この反省に立って戦後は国家が宗教団体の教義、人事、財務などに関与できないとする政教分離原則が確立した。なお日本の政教分離は国家が特定の宗教を優遇もしくは忌避することが禁止されているので、宗教団体が自らの価値観に基づいて政治活動を行うことは認められている。仏教の寺やキリスト教の教会が国家から独立して活動できるtsめに重要なのは独自の経済的基盤を持つことだ。旧統一教会問題で宗教団体への献金に制限を設けようという主張をする政治家と有識者がいるが、そのような事態になれば憲法で保障された信教の自由が実質的に担保されなくなる。この点についてのマスメディアと有識者の感覚が鈍いことに評者は危惧を覚えている。」

 古今東西を見れば宗教と政治の関係こそが、人類の永遠の課題に思えてならない。宗教が政治(政治家)を取り込もうとするのは必然のことであって、旧統一教会が政治家とのコンタクトに力をいれてきたことは驚くに値しない。問題は政治家側の脇の甘さだろう。でも、このことは旧統一教会だけに限ったことではない。公明党と創価学会、日本会議と自民党、靖国参拝問題など宗教と政治の関係は根深いものがある。

 鵜飼さんの本を読み進めると仏教界が明治維新政府によって出された「神仏分離令」(1868年)によって、幕藩体制の下での寺請制度で過剰に庇護されてきた権限を失ったことが国家体制へのすり寄りという動きを産み出したことがよくわかった・

 この法令を拡大解釈した「私的な」仏教弾圧である廃仏毀釈に加え、明治政府による「公的な」仏教弾圧「上知令(あげちれい)」(1871年、1875年)によって、全国の寺領が宗教儀式にかかる主要な境内地を除き、すべて没収され大打撃を与えられた。

 このあたりの宗教界の動きを資料をもとに書かれている部分を今読んでいる途中だが、「う~ん」と唸ることが多い。そして今起こっている旧統一教会問題も一筋縄ではいかないぞという思いを強く持った。

 たくさんの示唆を与えてくれる鵜飼さんの本である。
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ホトトギスの花満開

2022年10月30日 | 日記
 ホトトギスの花はたくましい。サツキ、ナンテン、サルスベリ、モチノキなどに囲まれ、ツワブキとも同居している中からたくましく茎を伸ばしフェンスの上に独特の花を咲かせ、道行く人の目を引きつけている。

ホトトギスは日本の特産種で主に太平洋側に自生する多年草。名前の由来は夏を告げる鳥、杜鵑から、花の紫色の斑点を鳥の胸にある斑点に見立てて名付けられた。
  花言葉は「秘めた思い」「永遠にあなたのもの」

 
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恥ずかしながら「とり」違い

2022年10月29日 | 日記
 秋日和なので買い物で車を使うのはもったいないと思い、自転車ででかけた。行きは下りが多く快適だが帰りはその逆。4つほどの上り坂がボディーブローのようにきいてくる。最後のひと坂はすっかり秋色に。自転車のスピードだからこそ見える景色もあると改めて思った。車では毎日走っているが前後左右の安全ばかりに注意がいきがちで景色を楽しむ余裕がない。枯れ葉の上を走る音が心地よい。坂を半分ほど上がった法面にイチョウがスクッと立っている。
  

 思わず自転車を停めて見上げた。27日(木)のNHK「ニュースホット関西」で恒例となった坂下さんのクイズのことが思い出された。クイズは4択問題で「鶏冠木」とはどの木か?というもの。選択肢は①カエデ ②イチョウ ➂クヌギ ④ケヤキであった。

 即座に私は「イチョウだろう」と自信満々に声に出した。「ほんとう?」といぶかる妻に「短歌にあったやん、金色の小さき《とり》の形してイチョウ散るなり・・・だからいちょうやで」とドヤ顔で答えた。2分後に正解がわかった。
 「変だと思ってた。やっぱりとさかの赤やで」と妻。「あの《とり》は鳥で鶏やなかったのと違う?」とダメを押された。

金色の ちひさき鳥の かたちして 銀杏ちるなり 夕日の岡に
」大好きな歌でとんだ「とり」違えをしてしまったとイチョウの木を見上げながら思い出し笑い。


ちなみに環境教育授業用のプレートの解説、イチョウは次のような改定案にした。
「生きている化石」と呼ばれる木です。約2億年前に生まれ、氷河期を生き抜いて今でも道沿い、公園、寺、神社などに多く植えられています。実のギンナンも料理に利用されてます。火災に強いという特性があります。
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言葉による解説は難しい

2022年10月28日 | 日記
 妻が関わっている「ひらかた環境ネットワーク会議」の環境教育部会では、小学校への出前授業を行っている。11月の出前授業では「校庭にある木を通じて環境のことを考える」という内容を予定している。その一環として、校庭の木23種にネームプレートを付けようということになった。当初は名前だけということだったが、簡単な解説も入れた方が良いのではということになり、Sさんが原案を作ってくれた。ウィキペディアを参考にしたので、語句や表現が小学生(高学年)に難しいのではという指摘があった。

例えば、キンモクセイの場合は「秋に橙黄色の花を咲かせて甘い香りを放ちます。名の由来は、樹皮が動物のサイ(犀)の足に似ていることから中国で「木犀」と名付けられ、ギンモクセイの白い花色に対して、橙黄色の花を金色に見立ててキンモクセイといいます。」という案。

 各自持ち帰って次回のミーティングまでに考えてくるということになった。妻からその話を聞いた時、私の気持ちが動いた。「ちょっとやらせてもらっていいか?」と言った時は安易に考えていたが、いざやってみるとなかなか難しい。Hさんの発案でQRコードも付けるので学術的な解説よりも、その木のポイントになることを平易に解説することを目指した。字数もかぎられているので思いの外苦労した。ちなみに、キンモクセイは次のように改訂した。
「秋に小さなオレンジ色の花が、葉の付け根に集まって咲き甘い香りを放ちます。白い花のギンモクセイに対してオレンジ色を金色に見立ててキンモクセイといいます。春のジンチョウゲ、初夏のクチナシとともに強い香りを放つ「三大芳香花(ほうこうか)」です。

 この作業をしている時、三浦しをんさんの「舟を編む」のことが頭に浮かんだ。(2012年1月22日、23日のブログで書いている)辞書作りではないが共通する思いを感じた。この物語は言葉への鋭いセンスを買われ、辞書編集部に引き抜かれた出版社の営業部員・馬締光也が新しい辞書『大渡海』の完成に向け、編集部の面々と歩む長い長い旅の話である。

 23日のブログの中にあった松本先生を支えながら辞書づくりに会社人生を捧げてきた、定年間近のベテラン編集者荒木の言葉「辞書は、言葉の海を渡る舟だ」「ひとは辞書という舟に乗り、暗い海面に浮かびあがる小さな光を集める。もっともふさわしい言葉で、正確に、思いをだれかに届けるために。もし辞書がなかったら、俺たちは茫漠とした大海原をまえにたたずむほかないだろう」が改めて心に沁みた。

 「シラカシ(白樫)は、ブナ科コナラ属の常緑高木、いわゆるカシ類の一種です。和名の由来は、材が白色であることから名付けられています。果実は堅果(いわゆるどんぐり)で、下部は殻斗に包まれ、その年の10月 ~11月頃に熟します」
となっていたシラカシの解説は「ブナの仲間で、材の色が白いことから名づけられています。ドングリのなる木の一つで、ドングリの帽子(穀斗)に6~8本の横縞(よこじま)が入るのが特徴です。日本にある20種類余りある他のブナの仲間のドングリと比べてみるのも楽しいです。」と改訂した。

 夕食後、ほろ酔い気分での改訂作業はいい刺激になった。

 














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木語「核威嚇のなれの果て」を読んで

2022年10月27日 | 日記
 朝刊の会川晴之さんのコラム・木語は「核威嚇のなれの果て」というタイトルであった。ロシアのことかなと思ったが、さにあらず核兵器を脅し道具に使う手法の元祖はアメリカという話。

 最初はトルーマン大統領、朝鮮戦争が長期化する懸念が出始めた1950年11月に中国への核兵器使用をほのめかす。1953年にはアイゼンハワー大統領が、休戦に応じなければ核を使うと中国を脅し、朝鮮戦争の休戦協定をまとめ上げた。この時の副大統領がニクソンで「核の脅しは使える」と確信したという。

 1969年に大統領に就任したニクソンは、泥沼化したベトナム戦争からの「名誉ある撤退」を公約に掲げていた。しかし、北ベトナムとの和平交渉は行き詰まり思うように進まない。核攻撃も考えたみたいだが、国内外の反発を恐れおもいとどまった。そして選んだのは北ベトナムの「後ろ盾」と見たソ連を核で脅す作戦。核爆弾を載せた爆撃機や核ミサイルを積む原子力潜水艦による揺さぶりをソ連に、再三かけたが成果は上がらず「名誉ある」ベトナムからの撤退に失敗した。

 晩年、ニクソン氏はウォーターゲート事件で追い詰められた。泥酔しては核兵器の使用を命じたという。核のボタンの乱用を恐れたシュレシンジャー国防長官は「大統領から軍事行動命令が出たら、実行前に必ず私に連絡を」と、大統領権限を侵す指令を軍制服組トップに出していた。という話は背筋が凍った。

 核の威嚇の効果を信じ、それに溺れた大統領の悲しい末期の話は、今のプーチン大統領と重なったしまった。今のロシアにシュレシンジャー国防長官のような人物はいるのか?はなはだ心もとない。
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