素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

第4週に入っている朝ドラ『カーネーション』欠かさず見ています

2011年10月25日 | 日記
 第1週“あこがれ”は、少女時代から女学校入学まで、第2週“運命を開く”は、町のパッチ屋で偶然見かけたミシンに魅せられ、放課後のパッチ屋通いから女学校を中退してパッチ屋で働くことになるまで、第3週“熱い思い”は、パッチ屋での3年間と不況のためクビになるまで、そして、第4週“誇り”は、新しい仕事を探している時に、東京からミシンの実演販売に来ている洋裁の先生との出会いである。

 和から洋へと大きく移り変わっていくダイナミックさと不況の影が宿る昭和初期の世相がよく出ているとともに子供から大人(社会人)へと目覚めていく過程をさりげない会話の積み重ねの中でうまく伝えている。
 また、各週のタイトルは“花言葉”からとっているらしい。
 第1週“あこがれ”は“ひまわり”第2週“運命を開く”は“プリムラ”第3週“熱い思い”は“カンナ”第4週“誇り”は“アマリリス”の花言葉である。

  “足踏み式ミシン”がよく登場するが、見るたびに小学校時代の家庭の授業を思い出す。

 エプロンをつくる授業だったが、ミシンが家になかったのは私を含めて3人であった。今とは違って、材料を用意するのも、授業で出来ない分を補うのもすべて家庭の責任であった。ミシンのある家の子は、親に手伝ってもらいながら家のミシンを使ってどんどん進んでいく。ミシンのない3人はいつも放課後残されての作業。ミシンがないということはミシンの扱いも不慣れということである。糸通しで散々苦労して、やっと縫える態勢になっても、足を踏むリズムと布を送るリズムのタイミングがとれなくて、すぐに糸がぐちゃぐちゃになってしまう。

 あのどうしようもない糸と布の惨状は忘れられない。

 毎日がそれの繰り返しで、1週間たってもまったく作業は進まなかった。さぼって逃走をしたりしてかわいくない生徒でもあったが、担当の女先生がアドバイスなしの皮肉と叱責100%の人だったので3人にとっては地獄の1ヶ月であった。結局、3人ともエプロンは完成できなかった。それでも苦をともにしたということで3人には連帯感めいたものが生まれた。

 しかし、通知表の家庭の評価は私は2で、後の2人は1であった。3人でなんで?と聞きに行ったら「本当は1をつけたかったけど、1は2人しかつけられないから仕方ない。運が良かったな。」という答えであった。「なんでお前だけが?」という2人のシラッとした感じと「自分も1やったら良かったのに」というこの時の釈然としない思いは長く残った。

 以来、ミシンを見るのも「ダッダッダダダダ・・・・・」というミシンの音を聞くのも嫌になったが、今となってはなつかしい良き思い出になっている。私とは真逆のミシンに恋焦がれている主人公の生きる世界は、私にとって未知の世界でもある。それゆえ新鮮に感じるのかもしれない。


 
コメント
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