素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

安積得也さんの詩集『一人のために』

2011年10月14日 | 日記
 若い時、朝の通勤の車の中で♪ロッキーのテーマ♪をガンガン鳴らしてテンションを上げなければいけない時があった。そういう時期に出会ったのが安積得也さんの詩集『一人のために』であった。

 安積得也さんは1900年(明治33年)東京に生まれ、東京帝国大学英法学科卒業後内務省社会局に入る。 1942年に東京府経済部長として日本の失業保険の基礎を立案した。1943年に栃木県知事となり、次いで岡山県知事を歴任した。終戦とともに公職を引退し、哲学・思想活動、社会評論活動、詩作活動を行ないながら、自治大学校講師としても教壇に立った。 その後、新生活事業センター理事長や株式会社ナラコムの名誉顧問などを務め、1994年(平成5年)に亡くなられた。

 若さゆえの視野の狭さから生徒、保護者と接する中で無力感、不信感、絶望感に襲われたことがある。そういう時、家に帰って詩集『一人のために』をパラパラとめくり、安積さんの人間讃歌、可能性へのゆるぎない思いにふれて元気をとりもどした。

 詩集に出会うきっかけは、 「明日」という詩を研修会に行った時に聞いたことである。詩集の一番最初にある。

           はきだめに
         えんど豆咲き
         泥池から
         蓮の花が育つ
         人皆に
         美しき種子(たね)あり
         明日何が咲くか


 「手いっぱい」 という詩も肩の力を抜いてくれた。

                     眼前のことで手いっぱいのときも
                  花を忘れまい
                  大空を忘れまい
                  おおいなるものましますことを
                  忘れまい
 


 そして、当時は目に留まっていなかったが、今面白いなと思うのが「定木」       
       わたしは定木が好きですし
       あの棒高飛びのバーのように
       めやすの目盛りをぐんぐん上げてゆくことが
       たまらなく好きですが
       大きらいな定木が一つあります
       公式という名の定木です
       カテゴリーの魔物をのたうちまわらせ
       不必要に人の世を窒息させて
       無限大な成長のよろこびを
       殺してまわる悪漢一人
       汝の名を杓子定木と呼ぶ


 とにかく、明治、大正、昭和、平成を生き抜いたということだけでもすごい。そして、安積さんが最も大切にしている言葉が詩集の最後にある 『未見の我』。25ページに渡って書かれている。

 その中の一節に安積さんの生きる原動力を見た。

 ただ私は
 私の隠れたる可能性を惜しむ
 いざや
 長き旅に上らん
 未見の我の姿を求めて
コメント (2)
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