とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

岡田さんの喜び

2013-09-19 00:15:55 | 日記
岡田さんの喜び






  橋口五葉 「髪梳る(くしけずる)女」(大正9年) 

 日本画に西洋の画風を取り入れていると言われる作品である。「1920年(大正9年)版行の「髪梳き」には、青木繁の感化からロセッティらのラファエル前派の影響がみられ、油絵を学んだことが木版の上に新ロマン派の傾向及び写実的な影を落としている。」

 「雑誌『ホトトギス』の挿絵を描いていた事や、五葉の長兄が熊本の第五高等学校で教え子だった関係で夏目漱石と知り合い、1905年(明治38年)、『吾輩ハ猫デアル』の装幀を依頼される。以来『行人』まで漱石の著作の装幀は五葉がつとめることになる。漱石以外にも、森田草平、鈴木三重吉、森鴎外、永井荷風、谷崎潤一郎、泉鏡花の作品の装幀を手がける。1911年(明治44年)、籾山書店の企画した叢書のためのデザインは、大正2年まで24もの名作の表紙を飾ることになる。その蝶をモチーフにあしらったデザインのために胡蝶本と愛称された。」(『Wiki』)

 
 天啓。・・・私はこの佐山先生の言葉を後で反芻しながら、暫くは身動きが出来ないくらいに考え込んでいました。この言葉の中身には良い意味と悪い意味が含まれていることは分かったものの、それではそれぞれの具体的な事柄は何か、自らの内奥と周囲の状況を自分なりに分析してもなかなか解答は出てきませんでした。しかし、長柄さんが言った所謂プロの世界にど素人が首を突っ込みすぎたということと、自身個人的な興味で動いていたことも何度かあったということは悪い意味として理解できました。ご縁という繋がりで色んな優れた人材が地元に集まり、次第に活性化したこと、これはいい点なのか悪い要素もあったのか一概には判断し難い点もある、いや、もっと分からないのは目に見えない大きな力がたくさんの人たちを動かしているという事実だ、・・・などと考えました。
 ところへまたジュピターのメロデイー。あ、岡田さんだ。私は救いを求めるようにケイタイを耳に押し当てました。


 あっ、夕時にすみません。しばらくよろしいでしょうか。

 どうぞ、どうぞ。

 ぜひ伝えたいことがいくつかありまして・・・。

 どういうことでしょう。

 早速ですが、あの、先日の山火事の件ですけれど・・・。

 見てらしたんですか。

 ええ、すぐ近くの山でしたから、近所の者がたくさん出て見ていました。

 たくさん、ですか。

 ええ、そうです。農場の関係者たちも気づいて出て見ていました。

 そうでしたか。

 それで、その焼跡なんですが、私も行って見て初めて分かりましたが、そうですね、3ヘクタールくらいの面積でした。その山の所有者も一緒でしたので、いろいろ話していて、その方が・・・。

 何か苦情でも・・・。

 いえ、いえ、逆でした。これでさっぱりしましたと仰っていました。それから、使ってください、と仰るんですね。私も突然でびっくりしました。何かよく分からないけど、見事に何かが消火してくれました、ありがたいことです、岡田さん、焼け残った根っこ掘るのは大変だけど、時間をかければいい畑になります、焼畑ですよ、ちょうどいい具合になりました。そう仰いました。これで、ソバの作付面積がぐんと広くなります。

 へぇー、それはよかったですね。災い転じて・・・、ですね。

 ええ、やりがいがあります。

 ああ、それから・・・。

 何でしょう。

 佐久良さんですが・・・。

 ああ、凰さんですね。彼女どうかしたんですか。

 観音様の山に登る姿を何度か見かけました。あの方、頻繁にお参りしていらっしゃるみたいです。最初は信心深いお方だなあと思っていましたが、・・・後では何か悩みでも抱えていらっしゃるのかも知れないと思うように・・・。

 そうですか。・・・この前長柄さんとお邪魔したときは元気そうでしたが・・・。

 そうですか。いや、私の考え過ぎかもしれません。

 ・・・。・・・私は彼女が呟いた「翼」という言葉をふと思い浮かべ、言葉を失いました。

 
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