とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

あちちこ「SYOWA」 446  季節の中で/ 松山千春 1979

2018-10-14 16:52:38 | 日記
こういう透明感のある声質の歌手が登場したことに少なからずショックを受けました。「あしょろ」という地名も全国に知れ渡るようになりました。いやぁ、いつ聴いてもいいですね。心が澄んできます。


季節の中で  松山千春  1979



松山 千春(まつやま ちはる、1955年12月16日 - )は、日本の男性フォークシンガー。北海道足寄郡足寄町出身。身長170cm。体重55kg。血液型はO型。いて座。


略歴

北海道足寄郡足寄町出身。北海道足寄高等学校卒業。
1975年に「全国フォーク音楽祭」の北海道大会に出場するも落選。
1976年にSTVラジオの竹田健二ディレクターに見出され、同局の「サンデージャンボスペシャル」内の15分コーナー『千春のひとりうた』でメディアデビュー。

1977年1月25日、「旅立ち」でレコードデビューを果たすが、同年8月27日、二人三脚で歩んできた竹田が急性心不全のため36歳で急逝し、一時失意に陥る。 しかしこれが契機となり、同年10月には個人事務所として「オフィス・パンタ」(現在のオフィス・ゲンキ)が設立され(正式な法人設立は1978年1月17日)、 松山をバックアップすることになる。


1977年10月には『オールナイトニッポン』水曜2部のパーソナリティに起用され全国区の人気に。(これに伴い『サンデージャンボスペシャル』からは降板した)。
1978年4月には月曜1部に昇格し全国区の知名度を更に得るようになる。同年に発売したシングル「季節の中で」が大ヒットしたことで一気にスターダムを駆け上り、 以後も多数のヒット曲を出し、ニューミュージック界で確固たる地位を築くに至った。
主な代表曲に「大空と大地の中で」「長い夜」「君を忘れない」などがある。

1982年7月24日には札幌・真駒内屋外競技場にて5万人コンサート「大いなる愛よ夢よ’82」を開催。
1984年には『オレたちひょうきん族』内の『タケちゃんマン』に使用された「ビックリ箱のうた」の作詞・作曲を手がけた。
1985年12月に結婚し、一児(長女)をもうける。 デビュー以来精力的にコンサート活動を続けた。

2007年には、コンサート公演回数が2000回に達した。 コンサート動員数は相変わらず好調で、映画、ラジオ、ドラマ出演、雑誌「月刊松山SAGA」「月刊松山捨石」の発行、論評など、歌手以外の方面へ活動範囲を広げている。

長らく自由民主党北海道連青年部名誉会長を務め、鈴木宗男や明石康らの支援を行なってきたが、鈴木の離党に伴い自らも離党し名誉会長職を辞任。 鈴木と共に地域政党新党大地を結党した。新党大地の名付け親は松山であり、「大空と大地の中で」(着うたフル・ゴールド認定、日本レコード協会)は新党大地のテーマ曲である。(「Wikipedia」より)




最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。