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とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

あちこち「SYOWA」 301 ジャネット・リン 1972 Sapporo Olympics

2018-02-17 00:12:58 | 日記
数多いる女性フィギュアスケート選手の中でもこの人ほど人気を得た選手は少ないのではと思います。ジャネット・リン。私もよく記憶しています。

Janet Lynn 1972 Sapporo Olympics



ジャネット・リン(本名:ジャネットリン・ノーウィッキ、Janet Lynn Nowicki, 1953年4月6日 - )は、アメリカイリノイ州シカゴ出身の女性フィギュアスケート選手。1972年(昭和47年)札幌オリンピック女子シングル銅メダリスト。選手としてはファミリーネームを落とした名を使った。


1972年(昭和47年)、18歳の時に札幌オリンピックに出場。フリーではシットスピンで転倒、尻もちをつく失敗があったものの、その美しい演技は芸術点で満点の6.0も出るなど高得点を獲得したが、当時のルールで重要視されていたコンパルソリーが苦手であったため、合計点で3位にとどまった。この出来事は翌年からコンパルソリーの比重を下げ、ショートプログラムを導入する一因ともなった。演技中、着氷に失敗したにもかかわらず終始笑顔で滑っていたことは、全世界で大絶賛された。そのときの髪はヴィダル・サスーンがカットしたもの。

その愛くるしい笑顔から「札幌の恋人」「銀盤の妖精」と呼ばれ日本中で人気を得、カルピスのCMにも出演した。選手村の自室の壁に「Peace & Love」と書き残して日本を離れたが、この建物が分譲アパートとなった後にこの落書きは消えてしまった。しかし翌1973年(昭和48年)に来日して再びサインした「Peace, Love + Life」は消されずに保存されている。また、後年出演したオリリー化粧品のCMでも「Peace & Love」のサインを書いている。

オリンピックでホームシックになり、米マクドナルドが飛行機でハンバーガーを届けたのは有名な話。

1973年(昭和48年)、145万ドルという破格の契約金でプロに転向、同年世界プロフィギュア選手権で優勝。以後10年以上にわたりプロスケーターとして活躍した。また日本での人気も衰えず、1983年(昭和58年)にはTBSテレビドラマ『胸さわぐ苺たち』に本人役でゲスト出演。また1998年(平成10年)に開催された長野オリンピックにおいてはオリンピック親善大使に任命され、マクドナルドのCMに出演。久しぶりに公の場に姿を現した。2001年(平成13年)、世界フィギュアスケート殿堂入り。


コンパルソリーフィギュアについて


コンパルソリーフィギュア(Compulsory figures)は、フィギュアスケートの男子シングルと女子シングルで1990年まで行われていた種目のひとつ。スクールフィギュア、規定とも呼ばれていた。氷上を滑走して課題の図形を描き、その滑走姿勢と滑り跡の図形の正確さを競う種目である。このフィギュアという言葉がフィギュアスケートの由来となった。

  競技方法

選手は、1つの課題に対して左右の足3回ずつ計6回滑る。奇数人の審判員が、滑走姿勢や滑り跡の図形を判定して0.0から6.0の範囲で採点する。この採点に課題ごとの難易度係数を掛けて、各課題の得点の合計がコンパルソリーの得点となる。
ショートプログラムやフリーと違い、音楽はなく、選手は地味な衣装を着用していた。

(「Wikipedia」より)

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