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橡の木の下で

俳句と共に

「玉虫」令和3年『橡』8月号より

2021-08-27 12:30:18 | 俳句とエッセイ
  玉虫     亜紀子

 新型コロナウイルス感染拡大一途の中、まさかの東京二〇二〇オリンピックが始まった。開会式の絡みで臨時の連休となったこともあって拡大はさらに拍車がかかる。お休みがあれば、誰か彼か、何かかにかで人はいつもと違った動きをするだろう。ワクチン供給は覚束ない。ゲームチェンジャーと繰り返すお上の言葉が虚しい。水疱瘡並みの伝播力を持つデルタ株の蔓延でアジア各国が感染急拡大に苦しむ中、日本だけが特別でないのは分かっていたろうに。政府と国民との危機感の共有というが、この状況下での開催という事実は危機感もへったくれもないのだから共有のしようがない。開催と中止の権限は国際オリンピック委員会(IOC)のみが持っているそうで、IOCは東京が緊急事態宣言下でも五輪は開催すると早々に宣言していたから、まさかの開催も当然の開催だったと言えるけれど。
 五輪誘致の大開発で得をする人、その陰で生活を締め出される人。勝利の会場で自国の国旗を誇らしく掲げる選手、人間としての権利を表明する行動は制限される選手。難民チームの活躍と、そもそもは難民を出さぬ世界をという一義的な問題。開催国、このたびは我が国が赤字を抱えても、開催しさえすればお腹は傷まないIOC。
 四年間を五輪のために捧げて参加する競技者に敬意を。その選手たちは今大会に当たっては、たとえコロナで死すとも、熱中症で死すとも、IOCは一切の責任を負わないことに同意するという一文に署名して来ているそうである。駐車場の持ち主でもあるまいに、命の権利放棄を強いているのでは?緊急事態下の開催でことが起きた際の布石だろうか。これはもうギリシア、オリンピアの祭典というより、ローマ帝国、コロッセオの残酷競技か。そうは言っても「大衆には娯楽を」よろしく、夕飯の支度の台所、ラジオが日本の柔道選手の一本を叫べは、よっしゃと自分も大声をあげて拳を握ってしまう。オリンピックって一体なんだ。
 始終もやもやするのはきっと連日の暑さのせい。そんなある朝、ベランダに玉虫を見つけた。それより二日前の夜、セッコクを着生させたヘゴの柱の影からゴキブリが出てきたのを追い回していたので、最初はてっきりあいつかと思い、眼鏡をかけて急いでサンダルを突っ掛けた。ゴキが私の影に動こうとしないのは不審なこと。なんとなく優雅な体つきだなと寄ってみれば玉虫。ベランダからも見渡せる近くの公園に椋の大木があり、そこに生息しているとは昔からの住人の家人の言。ここ数日激しい雷雨に見舞われていたので、雨風に吹かれ飛んで来たのかもしれない。しばらくの間空の水槽に入れて網を被せて眺める。ゴキブリと違い明るいのが好みらしく、ベランダを向いた方向に取り付いている。
 父の句に玉虫が詠まれているの思い出す。

  星眠

玉虫をこぼす欅や母老いぬ 営巣期
翔び来たる玉虫すでにわが師なき 青葉木菟 
玉虫やことば飾らぬ友二人 テーブルの下に
玉虫に古き虫籠適ひけり  テーブルの下に 

 父の玉虫は実家の裏の崖の欅が住処。その崖の上に父の両親の家があった。玉虫色と呼ばれる美しい昆虫は父の句中ではどちらかというと滋味ある色彩。樟脳の香りの古い箪笥に仕舞われていた趣だ。
 夏休みで遅く起きてきた大きな息子に虫を見せる。開口一番「綺麗だねえ」とあげた声の調子はかつての昆虫少年だった保育園児の頃と変わらない。我々にはどこかに必ず、幾つになっても、素のままの無垢なる心がある。
 今日もまた猛暑の一日となりそうだ。コロナの心配をして過ごしそうだ。お上のやり方に文句を言いたくなりそうだ。しかし吉丁虫とも書かれる一匹の玉虫は、今日という日の幸福を約束してくれているようだ。

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選後鑑賞令和3年「橡」9月号より

2021-08-27 12:26:06 | 俳句とエッセイ
 選後鑑賞     亜紀子

拾ひたる空蝉のまだやはらかし  松尾守

 早朝の散歩道。我々の目覚めは早い。猛暑の日々でも幾分しのぎ易い時間帯だ。壁や樹木、草陰にすがって羽化した蟬の殻が何かの拍子に転がり落ちたのだろう。ふと拾いあげて手に取ると、まだ羽化間もないことが知られた。果たして当の成虫はどこかでじっと黙しているようだ。日が昇ってくれば鳴き始めるはず。夏のまだきの清々しさ。

屋根裏の十日余りの蛇騒動    岩野政江

 昔はこんな事件がよくあったように思う。屋根裏でガサゴソと音がする。鼠かと思うが、ちょっと違うようにも思う。駆除せねばと、バタバタと十日間も音の主とやり合う。途中で青大将と分かったかもしれない。
どのような一件落着があったかは分からないが、屋根の下のユーモラスな人間の様子が思い浮かぶ。

梅雨の夜の沈黙の椅子弟逝きて  山中統子

 弟さんの座。いつもそこに座っていた姿。姉さんにとっては誰より可愛い弟ぎみ。沈黙の椅子という措辞に深い思いが籠る。句稿には括弧付きで「きみ」とルビが振られていたが、ルビなしで「おと」と読ませてもらった。

ワクチンの痛み自慢や梅雨明くる 江竜陽子

 コロナウイルスのワクチン接種。副反応には個人差があるようだが、二度目の接種の折に伴う反応が強いらしい。重篤な場合もあるが、掲句のように自慢話で終わるくらいなら怖くない。梅雨明くるにとりあえずの安心を得た作者の気持ちが乗っている。それにしても、副反応自慢とか、猛暑の暑さ自慢とか、我々は面白い競争をする。

久に会ふ姉妹の好むかき氷    倉嶋定子

 久々に会う姉妹。これはもう女同士の会話が弾む。かき氷は、みぞれ、名古屋ではせんじと呼ばれるシンプルな砂糖のシロップが合いそうな。子供の頃、母とその姉妹たちの尽きせぬお喋りを不思議に見ていたのを思い出した。

コロナ禍の庭のキャンプに招かるる 大井節子

 遠くへ出かけることのままならないコロナ渦中。なるほどこんなレジャーがあったとは。バーベキュの後は庭の夜空を眺めてテント入り。楽しそうだ。

水中花ワクチン了へし控室    石井素子

 接種後十五分間くらいは様子を見なければいけないコロナワクチン。終了した数名が皆マスク姿でお喋りをせず、静かに座っている。水中花に過ぎてゆく時間、次第に落ち着いてゆく心持ちが見える。

早苗饗飛び入り唄に盛り上がる  河原和子

 田植えの無事終了した祝。素朴な宴。飛び入り唄に盛り上がるとは分け隔てのない共同体のよろしさ。稲の成長と豊作を願って。

梅雨明けや推量形で知らさるる  和田至弘

 ○○地方の梅雨は某月某日頃に明けたと思われます。梅雨明けの宣言は過去形。かつ推量形のことも多い。あら、やっぱりと思わされる。目の付けどころの面白い俳句になった。

初河鹿靴脱ぎて乗る渡し舟    平松美知子

 何処の渡しだろうか。河鹿の清流。靴を脱いでの乗船にこれもまた清潔な小舟を思い浮かべた。



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令和3年「橡」9月号より

2021-08-27 12:21:39 | 星眠 季節の俳句
子等睡る晩夏禱りの保姆若し     星眠
                  ( 営巣期より)

 長野県大日向開拓村にあったカトリックの保育園。
 同時掲載句に
 
  蕎麦蒔けりはるかにうるむ旧山河

                        (亜紀子・脚注)

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草稿08/27

2021-08-27 12:15:53 | 一日一句
けふも来てあきつと歩む池の道  亜紀子

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草稿08/26

2021-08-26 12:41:49 | 一日一句
園の道ひと夜に茸そこかしこ  亜紀子

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