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橡の木の下で

俳句と共に

草稿03/26

2017-03-26 10:18:39 | 一日一句

供花に来て虻も日差をよろこびぬ  亜紀子


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「春日」平成29年『橡』4月号より

2017-03-26 10:15:35 | 俳句とエッセイ

 春日    亜紀子

 

朦々と赤土埃空つ風

ローカル線皆黙しをる寒戻り

人慣れの柄長訪ひ来る冬籠

春風や呼気が要の笑ひヨガ

帰りたる鶇が日差残しけり

草木のごとく春日を喜びぬ

たはやすく心の弾む四温かな

雨ながら唄ふ目白も旅の途次

駅頭の孟母幾たり大試験

春禽となりし雀に目を覚ます

蟻んこのやうに砂場の幼どち

雛祝ふ地産の貝の出の遅き


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「一割」平成29年『橡』4月号より

2017-03-26 10:11:09 | 俳句とエッセイ

 一割      亜紀子

 

 行きつ戻りつしながら春はだんだんと近づいて来る。気温は低くても日差しは昨日より確実に明るさを増している。一日一日の寒暖差に一喜一憂しながらも、全体として季節が動いていくのが感じられる。

 父は毎月の誌上の自句について、一つか二つくらいしか納得のいくものはないんだよと話していた。また、一つか二つあれば良いのだとも言っていた。星眠先生にしてそんなものだろうかと訝しく思ったこともある。さてこの頃になって自分を振り返るとその通りと思う。それぞれの句の質は父の作とは比べようもないのだが、数のみに注目すれば成る程と思うのだ。否、それすら覚束ないことも多く「月に一、二句」が何よりの目標になっている。

 

 星眠著『俳句入門のために』に次の文章を見つけた。

 

〜句会のとき出される句で一人前になっているのは一割くらいあれば良いほうです。

〜一つの句会で二、三句の良い句を脳裡に刻み込むことができれば良いのです。

〜俳歴二十年の人と五年くらいの人との差は余りないものです。良い句因に恵まれ心境が澄んでいるかいないかの差があらわれ、必ずしも句歴の長短には関係しません。五年もすれば皆一線に並ぶものなのです。

〜初心者でも月に一句は佳句があります。初心者に比べて年期の入った人はどうでしょうか。たしかに俳句になっていて巧い句はあるでしょうが、初心輝く句は少ないものです。中くらいの句が多くて、厳格に考えればやはり一句あればよいほうでしょう。その一句と残りの数句の比率を考えれば、新しい人も古い人も似たようなものです。

 

 常々父から聞いていたのはこれらのことを指すのだろう。小句会、七、八十名くらいの例会、橡集など、どの場合も不思議にこの一つ二つ、即ち一割くらいの勘定が当てはまるように感じている。まさか俳句の評価が確立や統計の数字に従うとも思えないのだが、不思議の符牒だろうか。

 ひとつ考えるのは、複数の句を並べて見た場合、無意識のうちに相対評価をしているということ。自分の十の句を並べて選ぶとそれぞれ比べて一番か二番くらいに良いと思えるものに納得がいく。翌月の句でも同じこと。また前月と次月と比べればそこにも相対評価が生じるので、前の二つと、今の二つが同じくらいに良いとは思えない。自得することがない。

 だから何なのと言われそうである。俳句に関して父は講釈や論のような話しはしなかった。「この句は分るか。こっちとこっちはどちらが良いか。」などと実作を示し単純明快な質問をすることはあったけれど。

 心がけているのは詠みたいと思ったものは手を抜かず、とにかく丁寧に一句に仕上げること。結果たいした成果がなくとも、その作業を続けている間には、父が書いていたように良い句因に当たり、心澄み、佳句が生まれるチャンスもあるだろう。希望を持って楽しみたい。

 

 再び『俳句入門のために』から。

 

〜そんなに名句があるわけがありません。しかし日々新しく、深所に達する努力をして遊びを楽しんでいるうちに、たまには八分通りの句の生まれるのが、作者本人にとっては嬉しいのです。誰でも自分はかなりうまいと思う心がありますから、それが救いでもあります。

〜本当に自然を愛して、作句を楽しむという気持を心の中心に置いたか。

〜敬して志を持すという気持ちで、明るく考えなおすとよいでしょう。相当調子がよいと思った時でも空振りが多く、うまくゆかぬものであることは誰でも経験しているはずです。

〜私たちは子供の心で遊んでいるのです。荷崩れをしたトラックの代りに、荷をへらしたリヤカーを引いて田舎道をゆきましょう。

 

 

 


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選後鑑賞平成29年「橡」4月号より

2017-03-26 10:08:20 | 俳句とエッセイ

選後鑑賞  亜紀子

 

夫逝けば客も少なし春の風  田中操子

 

 下五の季語「春の風」にと胸を衝かれた。達観という言葉が自ずと浮かんできた。長年連れ添ったご夫婦。もし別れに満足というものがあるのなら、満ち足りたお別れをされたのだろうと想像される。

 

やすやすと逝く友なげく梅二月  冨田眞規子

 

 この「やすやす」は易々ということと思う。突然の訃報に「えっ、まさか、そんなにあっけなく、何故、どうして、」等々の思いが交錯。綻びかけた梅の花に、却って二月の寒さがこたえる。嘆きは絶えない。時を経て思う時、せめて安々と逝かれたであろうことを救いとする。

 

金盞花まばゆき畑を海女帰る  太田三智子

 

 決して豪華ではないが、愛らしい、馴染み深い金盞花。その畑がまばゆいという表現に素直な春の喜びを覚える。春光溢れ、海も輝く。

 

うたた寝の心地良さから春の風邪  小野田晴子

 

 上五中七の快い調べに乗せられて、行き着いたところが季節はずれの風邪。春の風邪はこうやって引くものと思わず納得する。

 

なやらひの半裸の鬼は僧侶なる  西島秀顕

 

 寺院での鬼やらひか。あられもない姿の鬼役があろうことかお坊様というのが面白い。お勤めの袈裟衣の姿を想像するとなお面白い。

 

読初や体温計をふところに  岩嵜清一

 

 脇に新聞など手挟んで吊革にぶら下がって文庫本を読んでいる男性の姿がひょいと浮かんだ。作者は闘病中。正月も病床で迎えられたのだ。

 

繭のごとみどりご包み福詣  小野田のぶ子

 

 今年の正月は穏やかな日が続いた。そうした日を選んでの福神詣と思われる。真白な、温かな産着ですっぽりとくるまれた赤子を抱いて。

 

立春やまづ来てピアノ調律師  岡田まり子

 

 旧暦でいえば立春の頃が一年の始まり。掲句の「まづ」にこの気分が漂う。実際何を為すにつけても、悴けた寒中よりも日差しの明るくなってきた春立つ頃がやる気が出そうである。作者のところでは音楽が春を告げるようだ。気温、湿度等、この時期が調律に適しているのだろうか。

 

春隣けん玉ひよいと乗りにけり  松岡久子

 

 けん玉は乗せようとして乗るというより、玉の方が勝手に吸いつくかのように乗ってくる。物理的な力の働きが上手い具合に整った時に成功するのだから、無理のない極自然な感じがするのだろう。「ひよい」にその味がある。「春隣」という季語も何とはなし自然に一句の気分を整える。

 

恙なく術後十年梅真白  深谷征子

 

 さらりと詠まれて、梅真白に深い感慨がある。満開の白梅は凛然として静謐。迎える季節はあくまで明朗。

 

 


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平成29年「橡」4月号より

2017-03-26 10:04:57 | 星眠 季節の俳句

花辛夷滅ぶや森に鬨なす芽 星眠

          (営巣期より)

  枯木の森。いち早く咲く辛夷。白い花がくたびれ散ると、いよいよ一斉に春の始まり。

                               (亜紀子・脚注)


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