腰痛 亜紀子
もともと有るには有った腰痛。ようやく涼しくなって気持ちの良い季節が巡って来たと喜んでいたら、突然に様相を変えてやって来た。前日の晩は十分の睡眠を取り、普段どおりに起床。皆を送り出し、ひと片づけ終わり、さてとテーブルの前に腰掛けて新聞やら、昨日の書状やら、メールチェックなどしてお茶の一杯。今日も今日とて波風もなく。しばらくそうこうしているうちにインターホンの音に立ち上がろうとして、あら、痛い。突然の出会い頭という感じ。手で体を支えながらゆっくりと動いて何とか事なきを得た。動き始めると別段痛みもなく、かつて体験したぎっくり腰ともちょっと違うような。
それからは朝の起き抜けや椅子から立ち上がる折、立った姿勢を屈めたり曲げたりするたびに危うい事態に至りそうな気配が漂う。しかし体を動かし続けていると痛みは失せて何ということもない。その様を見ていた浪人中の息子は、先は長いんだからしっかり頼むよと。腰でなくて、どこか内臓がおかしいんじゃないと、娘。やはり診てもらった方がいいかしら。いい加減たってからとり敢えず近所の整形外科を受診した。
すぐにレントゲン撮影。多少加齢による脊椎骨の変形があるけれどさほどの事ではないらしい。動き初めが痛むんでしょうと指摘されて、はい、その通り。これ読んでねと渡された腰痛対処方の冊子。どの頁を繰っても納得するばかり。外出先で急に痛くなった時の対処の仕方の一つ、どうしても移動しなければならない際には壁に背中を付けて横へ蟹歩きせよとある。まだ体験はないけれど、きっとその通りだろうと身体の奥から合点する。ただ添えてあるイラストが可笑しい。その姿のお母さんに会ったら、俺知らない顔するからねと薄情なる息子。笑いごとではないのだが。
一回りほど歳上の知人とそんなこんなの話をして、つい昨日まではよそ事に気の毒だなあと思っていたことが、今はまさに自分の問題になっていると言うと、本当にそうなのよと肯く。その人は十年ほど前に狭窄症に悩んだそうである。自己流でさまざま運動を始めて筋肉でカバーすることに成功し、現在はほぼ改善、回復。いわば自らの体内にコルセットを常備している態だと言う。私の椎骨も変形を戻すことはできないだろうから、他で補いながら上手く付き合う方向が正解なのだろう。ちなみに次の受診はどうせまた放射線を浴びるだけだろうと、キャンセル。そういえば、腰痛持ちだった父を思い出す。句を見るとやはり季節の変わり目がいけなかったようだ。
わが身にも魔女の一撃冬に入る 星眠
薔薇の芽や紐ゆるみたるコルセット 星眠
腰痛の右肩下がり虫の秋 星眠
ありと聞く腰痛地蔵秋の風 星眠
ところで身体もさりながら、この頃は物忘れや勘違いが気になっている。ことに単語を忘れることが間々起こる。以前ならいつの間にか思い出すこともできた筈なのだが、記憶の道筋を辿ってみても戻れない。さして重要事項ではないが、思い出さないといつまでも気にかかる。忘れた言葉よりも、忘れたという事態が気になるのかもしれない。多分、忘れたことを忘れるのが良いのだろう。
来春父の三回忌が来ると丁度その翌日に私は五十八になる。実は一昨年自分の年を五十八と勘違いして過ごしていたので、そのままであれば還暦になる筈がようやく五十八ということに、少し若返るような心持ちで居られる。とはいうものの、今は呑気だがさらにそのずっと先に同じ気持ちでいられるかは分からない。何となく分かってきたことと言えば、人生には抜手を切って真正面から立ち向かわねばならぬ波もあるが、身をゆだねた時にこそ解放される波がたくさん寄せて来るのだということ。