選後鑑賞 亜紀子
秩父往還バス止めて鹿遣り過ごす 太田順子
秩父往還(秩父甲州往還)は埼玉県熊谷市を起点に甲府へ至る街道。甲州街道の裏街道である。現国道一四〇号に重なるようだ。秩父の山並や湖など風光明媚。埼玉、山梨の境、標高二〇八二メートルの雁坂峠を越える。美しい道百選に選ばれているこの道で鹿と遭遇したのはどの辺りだろうか。上五の字余り、中七下五の述語の重なりのややごつごつした語調が、山道での一時の立ち往生の様子を伝えている。
花びらのやうな手袋ひろひけり 橋本瑛子
女性用のあるいは子供用の淡く美しい色合いの一片の手袋。婦人ものと見れば、シンデレラのガラスの靴を拾ったようで持ち主を彷彿する。子供のものと考えれば新美南吉の童話「手袋を買いに」が思い起こされ、落とし主はもしかしたらあの無邪気な子狐かしらと、優しい気持ちに包まれる。
初しぐれ沖より晴るる与謝の海 藤田彦
京都府の日本海側、宮津湾の奥部が天橋立の砂州で仕切られた内海を与謝の海(阿蘇海)と呼ぶ。古よりの名勝。時雨は海から寄せて、海から晴れていく。初しぐれの語と与謝の海の名がゆるみなく納まった。
山積みの高原キャベツ鳥渡る 深谷征子
群馬県吾妻郡嬬恋村の高原キャベツだろうか。七月くらいから十月末まで出荷するそうである。トラックに山と積まれた秋キャベツ。渡り鳥の季節となった高原の空の色、風の音。
路地にさす日のおだやかに一葉忌 石井素子
一葉忌、十一月二十三日。今年十一月はことのほか暖かな穏やかな日が続いた。古き趣きを残す静かな路地。一葉の小説の主人公たちの声が聞えてくるような。
からす瓜古墳まつりの風つなぐ 柴田純子
邪馬台国九州説のあるように、九州地方は古墳文化の栄えたところ。掲句の古墳はどのような歴史を持っているのだろうか。地域文化興しの古墳祭が開催されているようだ。からす瓜の赤い実が祭提灯のように連なっている。風つなぐという表現に詩がある。
湿生花園千草も小さき綿ふふむ 倉嶋定子
湿原の秋、草もみぢに白い綿をふく小さな草ぐさ。いずれ名はあるのだろうが、千草の語に秋の花園がさっと眼前に広がった。
色褪せし竹瓮積まるる浦の秋 布施朋子
琵琶湖沖島での作と聞く。竹瓮は歳時記では冬の季語だが、ここは実景そのままであろう。これから使われる竹瓮か、あるいは既に使われて今はただ漁家の軒先に積まれているものか。浦の秋の鄙びた味わい。
夢二アトリエ雨滴に傾ぐ酔芙蓉 小菅さと子
群馬県高崎市榛名湖町。榛名湖畔の宿記念公園内に資料を基にして夢二のアトリエが再現されているそうだ。彼は湖と榛名富士を見はるかすこの地が気に入り、伊香保温泉に滞在した。雨滴に傾ぐの語に、大正ロマンの絵師夢二の作品の女性像を見る。