歳末の夜の街抜けてジョギングへ 亜紀子
冬たんぽぽ 亜紀子
さわやかや奏楽堂に鳩あげて
今朝足らぬものに鶲の火打石
ボージョレヌーボー農園主も来てさばく
新調のコートをさなき冬木の芽
帯なして山かひつなぐ冬の靄
付知峡ともしく低き掛大根
木守柿日に三本のバスが来る
地芝居や恵那山頂に雪の衣
駐在と掛け声かかる村歌舞伎
みしみしと板廊冷ゆる芝居小屋
歌うたふラジオ厨の霜の朝
万両の路地ひとつ入るしづけさよ
冬たんぽぽこころ素直に葉をひらく
黒ジャケツ着し俤の濃かりけり
悼木村馨氏
あたたかき越前訛冬ざくら
希望 亜紀子
住宅街を抜ける並木道に紅白のアメリカハナミズキが植えられている。道沿いに中学校や高校、女子大などへ横道が通じていて、花の頃はその下を初々しい一群の学生たちが列を成していた。秋が来れば複雑な淡い色合いを呈した紅葉がやがて深い暗紅色になり季節の正しい凋落を告げる。ところが今秋は暖かな日が続いたせいであろうか、美しい紅葉を目にすることなく、いつの間に雨続きのあと疎らになって既に大方散ってしまった。その雨の後庭の地面に穴が空いて小さい蝉の幼虫が這い出した。この世は十一月である。何かが行き違い混乱しているのは人間の世界ばかりではないということか。
十一月最後の日曜日、伊與夫妻とその友人のI氏と木曽の山あいの芝居小屋に村歌舞伎を観に行く。明治二十七年より続くこの小屋の公演は例年は九月であったが、今年は改修工事のため霜月となった由。改修は重い屋根瓦を創建当時と同じく栗の木のこけら葺に直したもの。瓦の荷重に小屋が耐えられなくなったらしい。真新しい白木のこけら板に丸い重石を並べた大屋根が素朴に美しい。風の強いこの一帯では昔はどの家も同様の雑木のこけら葺であったそうだ。当時の景色はまたひと味違っていたことだろう。
過疎の進む村での工事には資金集めの苦労が想像される。I氏は長年地芝居の発展に貢献された人で苦労の一端を担われたことと思う。氏曰く、出雲阿国に始まる歌舞伎は河原乞食と呼ばれながら後の幕府の度重なる弾圧も掻い潜り生き残ってきた。庶民のしたたかさ、底力がある。山深いこの村に続く芝居小屋もその血を継いでいるといえるかもしれない。東濃は地芝居の盛んな所ではあったが、時代とともに町に近い所から次第次第に担い手を失い、山奥の小屋のみが残ったという。今日のこけら落し、役者や太夫、三味線はもとより、あらゆる裏方に至るまで地域の住人が支えている。地元の観客は皆役者の脂粉の下の素顔を知っている。大向うから「駐在」と声がかかった時は、ストーブで暖まった六百人ほども入る小屋が笑いどよめいた。村芝居の明日への希望を確認したように感ぜられた。小屋を後にすれば恵那山頂にうっすらと霧氷、名産の栗の木の残り少ない枯葉がからからと風に鳴っていた。
希望ということについて、二人の言を思い出す。
年末も年始もあらず在宅医
手さぐりやスマホに託す年賀状
冬麗のナポリを想ふ和歌の浦
このような俳句を詠まれながら、在宅訪問医療で活躍されたN先生。先生の経験では、余命を宣告された患者さんはたいていその宣告通りの経過を辿る。ところが余命など考えない患者さんは医者のひそかな予想を越えて生きる。曰く、人間の身体の調子は良い日も悪い日も波がある。余命を宣告された者はその悪い日を「成る程これか」と悲観する。一方知らない者は良くも悪くも、食べて寝て起きての日常の繰り返しをその通り維持して、いつの間にか余命というものを越えることになる。してみると、私たちは無意識のうちに希望というものを内に持って暮らしているようだ。
歴史学者、市民活動家であったH・ジンは「猜疑と憎悪が混沌として絶えぬ世にあって希望を持つということは単なる楽天家、ロマンティストであるということではない。人が残してきた歴史は残酷さだけではなく、同時に思いやり、自己犠牲、勇気や優しさも残してきたという事実に裏打ちされている。未来というものは絶えざる今現在の連続であり、この今を人が人としてあるべく生きること、行動すること自体が人間の勝利なのである」と記している。
希望とは遥か彼方に見える幻影ではなく、日々の活動に内在しているもの。幻影は映写機の光を落してしまえば一瞬にして消えてしまう。私たちは回り続けなければならない。つまるところ、希望とはすなわち諦めずに行動するということと同義と思う。
選後鑑賞 亜紀子
秩父往還バス止めて鹿遣り過ごす 太田順子
秩父往還(秩父甲州往還)は埼玉県熊谷市を起点に甲府へ至る街道。甲州街道の裏街道である。現国道一四〇号に重なるようだ。秩父の山並や湖など風光明媚。埼玉、山梨の境、標高二〇八二メートルの雁坂峠を越える。美しい道百選に選ばれているこの道で鹿と遭遇したのはどの辺りだろうか。上五の字余り、中七下五の述語の重なりのややごつごつした語調が、山道での一時の立ち往生の様子を伝えている。
花びらのやうな手袋ひろひけり 橋本瑛子
女性用のあるいは子供用の淡く美しい色合いの一片の手袋。婦人ものと見れば、シンデレラのガラスの靴を拾ったようで持ち主を彷彿する。子供のものと考えれば新美南吉の童話「手袋を買いに」が思い起こされ、落とし主はもしかしたらあの無邪気な子狐かしらと、優しい気持ちに包まれる。
初しぐれ沖より晴るる与謝の海 藤田彦
京都府の日本海側、宮津湾の奥部が天橋立の砂州で仕切られた内海を与謝の海(阿蘇海)と呼ぶ。古よりの名勝。時雨は海から寄せて、海から晴れていく。初しぐれの語と与謝の海の名がゆるみなく納まった。
山積みの高原キャベツ鳥渡る 深谷征子
群馬県吾妻郡嬬恋村の高原キャベツだろうか。七月くらいから十月末まで出荷するそうである。トラックに山と積まれた秋キャベツ。渡り鳥の季節となった高原の空の色、風の音。
路地にさす日のおだやかに一葉忌 石井素子
一葉忌、十一月二十三日。今年十一月はことのほか暖かな穏やかな日が続いた。古き趣きを残す静かな路地。一葉の小説の主人公たちの声が聞えてくるような。
からす瓜古墳まつりの風つなぐ 柴田純子
邪馬台国九州説のあるように、九州地方は古墳文化の栄えたところ。掲句の古墳はどのような歴史を持っているのだろうか。地域文化興しの古墳祭が開催されているようだ。からす瓜の赤い実が祭提灯のように連なっている。風つなぐという表現に詩がある。
湿生花園千草も小さき綿ふふむ 倉嶋定子
湿原の秋、草もみぢに白い綿をふく小さな草ぐさ。いずれ名はあるのだろうが、千草の語に秋の花園がさっと眼前に広がった。
色褪せし竹瓮積まるる浦の秋 布施朋子
琵琶湖沖島での作と聞く。竹瓮は歳時記では冬の季語だが、ここは実景そのままであろう。これから使われる竹瓮か、あるいは既に使われて今はただ漁家の軒先に積まれているものか。浦の秋の鄙びた味わい。
夢二アトリエ雨滴に傾ぐ酔芙蓉 小菅さと子
群馬県高崎市榛名湖町。榛名湖畔の宿記念公園内に資料を基にして夢二のアトリエが再現されているそうだ。彼は湖と榛名富士を見はるかすこの地が気に入り、伊香保温泉に滞在した。雨滴に傾ぐの語に、大正ロマンの絵師夢二の作品の女性像を見る。
烈風に白兎の如き初浅間 星眠
(『テーブルの下に』より)
雪白の浅間山は冬毛の兎。信州で吟行に励んだ頃はもとより、往診の途次、犬の散歩の川べりで、その折々に眺めた浅間山は作者の心の山。 (亜紀子・脚注)