橡の木の下で

俳句と共に

選後鑑賞平成24年『橡』12月号より

2012-11-28 10:00:02 | 俳句とエッセイ

橡12月号選後鑑賞        亜紀子

 

萩剪りて移公子の句碑の現はるる  斎藤博文

 

 馬場移公子(大正七年~平成六年)昭和二十一年「馬酔木」入会、昭和二十五年同人。句集『峡の道』『峡の雲』結婚とともに東京に出たが、夫の戦死により故郷秩父に戻り、生家の養蚕業を継ぐ。肺に病を得て、生涯秩父に暮らしその自然、生活を詠む。主宰星眠が「橡」創刊の後も、折り目正しく淡き交わりが続いていたように覚えている。

 掲句の句碑はどこにあるのだろうか。萩の葎が刈り括られ、それと知られたのであろう。辺りに零れ散った萩の花。その一連の動きのなかで石ぶみの句を詠むと、あたかも馬場移公子その人そのものを見たような感慨を覚えたのではなかろうか。

 十六夜の桑にかくるる道ばかり

 花咲きぬ峡は蚕飼をくりかへし

 亡き兵の妻の名負ふも雁の頃

 いなびかり生涯峡を出ず住むか

           馬場移公子

 

青鷺の身をすくめをり初あらし  宮崎安子

 

 秋到来を感じさせる強い風が野を吹き分けていく。いつもは堂々たる風格の青鷺も今日はその長い首をすくめ、耐えているようだ。冠毛が風になぶられている。川の中州の葦の間にでも立っているのだろうか。景の実感が確かであると同時に、青鷺と初あらしの二語の語感がよく響き合う。

 

喪に急ぐ露けき髪を束にして  服部朋子

 

 露の世ながらさりながら、取るものも取り敢えずの態で急ぎかけつける喪であろうか。焦燥のなかで、引っ詰めにしようと我が髪に触れたとき、ふと露結ぶ頃の冷たさを感じたのであろう。露けき髪とは女性でなければ詠えぬところであろう。

風立ちて落葉のひとつ蝶となる  井上裟知子

 

 一陣の風が落葉を攫ったかと思う間に、両の翼を羽ばたく蝶であることが知れた。秋も更けた頃だろうか、日差しさえあれば蝶も活動する。タテハチョウの仲間には羽を閉じるとまるで木の葉にみえるものがあるから、そうした蝶のひとつかと想像される。花の頃、散る花と蝶を見紛うことがあり、こうした景は古来から詠まれている。落葉と舞う蝶は作者の観察と体験の結果で、散文調にまとめられた一句のリズムはそのまま秋の蝶のはかなげな飛翔のようでもある。

 

ゴンドラに一番乗りや野分晴  保崎眞知子

 

 台風一過、澄み渡る空。その空目指すかのごときゴンドラに乗って、秋の一興。昨日までの空模様に案じられた今日の旅はすっかり雲を払われたように心も弾む。一番乗りやの童心に返った調子に秋空の清々しさが溢れている。

 

噛んでみる青はしばみに朝の露  篠崎登美子

 信州の植物園でツノハシバミの不思議の実を見たことがある。掲句の青いはしばみの実は形が異なるが、いずれも食用になる。黄熟したものは固い殻に包まれているそうであるから、ここではまだ若く熟す前と思われる。朝露に濡れた緑の果実、お味の方は想像できぬが、辺り一帯の清々しい初秋の林の様子が目に浮かぶ。ヘーゼルナッツは西洋はしばみだそうだ。小説などでその季節になると森にはしばみ摘みに行く描写があったように思う。

 

寧日や噴煙落葉焚くに似て  川南清子

 

 錦江湾を抱く桜島の姿は、遠く暮らす者にとっては憧れの景勝である。とはいえ、世界有数の活火山である。時を選ばぬ噴火、降灰が人々の日常の隅々に及ぼす影響は傍目には本当のところは分らぬであろう。掲句は穏やかな、平和な得難い一日を描き出している。このような日の桜島の親しさはいかばかりかと想像する。

 

 

 


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草稿11/27

2012-11-27 10:00:02 | 一日一句

落葉みな白紙のままに月のもと  亜紀子


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草稿11/26

2012-11-26 10:00:02 | 一日一句

畑ごとの隅の小菊の照る日和

裏返り忍びの里の葛枯るる

笠ひとつ秋天を負ふ芭蕉像

小春日の玻璃に納むる貝おほひ

遺言の墨枯れかれて翁の忌

咲き初むる芭蕉生家の枇杷の花

蓑虫庵裏手のもみぢ濃かりけり

白腹鶇の黄葉うごくと見れば居り

蓑虫庵目白の群が枝を吊りぬ

翁さへ故郷を恋ふる冬茜

伊賀上野マラソンびより石蕗日和

冬来たる暗き木の間の向ふより


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草稿11/25

2012-11-25 10:00:04 | 一日一句

何欠けし日々か落葉に埋れゆき  亜紀子


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『橡ふくしま合同句集』序

2012-11-25 10:00:02 | 句集紹介

    橡 ふくしま合同句集に寄せて      亜紀子

 

 今年一月八日、東京小石川植物園で橡の新年吟行会が開かれた。空あくまで青く、冷たい空気のぴんと張った朝、葉貫先生を中心に遥々福島から参加された霞城さん、晃祥さん、総子さん、ゆきをさんにお会いした。落葉を敷いた寒林を一緒に歩く。東京の寒さも福島と変わらないななどと言いながら、曙杉の古巣を見上げ、池に漁る小鷺に魅入る福島連からは、もの静かながら喜々と弾む心持ちが伝わってきた。

 東北の人は寡黙、朴訥、純、そして情に厚い。以前に同人総会でお見かけしていた葉貫先生の黙して泰然と座っていらした様子なども記憶にあり、東北の人への固定観念、先入観を持っていた。その日の昼食は会津との縁深い町野先生の肝煎りで福島の皆さんと同席させていただく。思っていた通りであった。主宰星眠と催された福島吟行の思い出、福島の見所、そして俳句への思い、飾り気のない語りに愛着の深さがにじみ出ていた。

 この合同句集を繙けば、読者も了解されることだろう。各々の個性は際やかである。全体としては都市の軽薄さと無縁である。あいうえお順に無造作に並んだひとりびとりの集中に、いくつもの発見がある。福島橡会の日頃の交流のあり方、その中での修練の様子が推し量られる。

 

尾瀬守の墓や黄菅の花の中  伊藤えき

朝靄の月落ちかかる滝ざくら 伊藤霞城

初晴れの乳首山は真白なり  伊藤昭子

桜前線近し勿来の関越えて  宇井真沙子

窓開く天鏡閣に小鳥来る   遠藤静枝

春の炉に子ら薪足せり野鳥館 遠藤忠治

独り居やなだれのやうな凌霄花  大内勝代

全山がつつじに埋もれ田村富士 大越和夫

梅干して日帰り旅の妻未だ  片寄惣吾

病良き夫と茅の輪をくぐりけり  加藤美代子

紅葉蛸ライトてらして選り分くる 金成文子

風評に打つ手もあらず木の葉髪  神馬さとる

霧込めの舟傾けて蓴採      国分俊子

しはがれて謡ひ納めや年の暮   齋藤善隆

引越しの軽鳧の子眉を引締めて  佐久間晃祥

昼の湯に雪掻きの汗流しをり   白岩弘子

大雪を掻く子来たれり安堵せり  鈴木淑子

鎌研ぐやお玉杓子の池借りて   鈴木月

大犬に仔牛たじろぐ厩舎出し   伊達四郎

蔵の軒蛇が首出す秋暑し     大道寺久仁子

牧帰り牛に跳ね橋下ろしけり   内藤総子

収穫のかをり満ちをり林檎村   中山春星

紫苑咲く庭まで試歩のつづきけり 永山栄子

初雪に千の林檎の綿ぼうし    二階堂妙子

旅支度楽しむ妻の夜長かな    根本ゆきを

雪の田に道ひとすぢの農始    野内みのる

夏帽の妻摩周湖を遂に見て    橋本北斗星

浄土絵図桜の風に晒しけり    葉貫琢良

囀や小鳥サロンの楡大樹     本田文子

かぶと虫林中に子の秘密基地   三坂智子

春霰湯かけ薬師に湯のあふれ   南ひろ子

吹き寄せて早苗泳がす青嵐    渡辺俊宏

 

 東日本大震災から一年半、被災地の回復は未だしである。福島は我々日本全てのつけを負わされたかのような困難を強いられている。しかし本集中には各々の生活の当たり前の喜び、当たり前の悲しみが詩となって響いている。私も福島の皆さんに倣い、じっくりとこれらの詩心を噛みしめよう。

                                 平成二十三年九月吉日

 

『橡ふくしま合同句集』非売品

連絡先:

葉貫琢良(はぬきたくら)

福島県本宮市本宮字坊屋敷1

〒969-1113

 

    

 

 


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