橡の木の下で

俳句と共に

選後鑑賞平成28年「橡」7月号より

2016-06-26 11:24:39 | 俳句とエッセイ

選後鑑賞    亜紀子

 

花を見しあとの車座みな老いて  和田ミヨ

 

 上五中七で花見の後の宴の始まりが告げられた。さぞ賑やかにという予想に反して、下五が老い人の静かな集いであることを示した。これにより「花を見しあと」という出だしの措辞も意味を持って響き合っているのが分る。観桜の句に奥行きが与えられた。仮に上下を逆転して「みな老いて花見しあとの車座に」としたら掲句の深みは消えてしまうだろう。

 

蛇の衣貌より裂けて脱ぎにけり  貞末洋子

 

 貌より裂けてにどきっとする。いかにもくちなわらしい表現。考えてみれば蛇の脱皮は頭部から脱ぐのか、尾から始めるのかという問題。顔から脱ぎ始めることが分った。目を逸らさずよくぞ観察されたと思う。蛇の衣を拾ったり、梢に吹かれていたりという句は散見するが、掲句の「裂けて」は珍しい。

 

雪解けの沢にくぐもる赤蛙    市村一江

 

 水音に紛れるように赤蛙の小さな鳴き声。産卵の季節が来た。「くぐもる」がいかにもこの蛙らしい。雪解けの清冽な水。春まだ覚めやらぬ辺りの景が一瞬に浮かぶ。

 

くちぐちに予後いとしめと百千鳥 藤崎亮子

 

 「予後いとしめと」とは優しいこころ。見舞いの友人の誰もが我が身を案じてくれる。「くちぐちに」と「百千鳥」の語が呼応し合う。美しい季節が始まった。

 

赤蛙ひたすらに啼く神の池    武藤ふみ江

 

 赤蛙の声は可憐である。他の蛙よりも産卵時期が早いので、辺りはまだ冬の様相。その寒さの残るなかにひたすらな声。自然はまさに無心。「神の池」が静けさを際立てる。

 

たかむなの顔出す地際濡れてをり 釘宮幸則

 

 筍掘りはちょっとコツがいるようだ。先ず広い竹林のなかで掘り頃の筍を探すのが難しそう。調べてみると、手がかりは親竹から少し離れたところで、土が盛り上がったり、地割れしたりしたところ。一つ見つけたら周辺に群がっている事が多いらしい。顔を出す地面は足で踏みしめていくと分るのだそう。作者は野菜栽培を職人的に追求している人。筍掘りも造詣が深そうである。筍が生えてきた地面は中の土が盛り上がり黒く濡れて見えるのだろうか。雨後の筍と言うくらいだから、昨夜は雨だったかもしれない。朝の篁の瑞々しさ。

 

青梅のころりと籬こえきたる   竹上淑子

 

 若葉のかげに青梅が福々しく育ってきた。ころりと垣の向うから我が家の庭へ。あちらの庭も、こちらの庭も緑清々しい季節。お隣との付き合いも清々しい。

 

林檎咲き信濃の空はやはらかし  石井素子

 

 冬の厳しい信州も林檎の花の咲く頃はやさしい季節。四月半ばから終りにかけてが見頃だろうか。旅人の目に空の色さえ柔らかに映ったようだ。

 

大鍋へ炉の灰掬ひ蕨炊く     大野藤香

 

 よほど大きな鍋で大量の蕨をゆがく。農家の庭先であろうか。炉の灰を掬い入れるという動作に活き活きと情景が描き出された。

 

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