選後鑑賞 亜紀子
吐く息のゆつくり長くみどりさす 釘宮幸則
呼吸で大切なのは呼気だという。ヨガも太極拳もしかり。過呼吸にみられるように息は吸い過ぎれば酸素、二酸化炭素のバランスが崩れ、かえって苦しくなる。息苦しくなったら、吸うのではなくむしろ息を止めるくらいが良いらしい。そして、ちょっと吸ったら呼気に意識してゆっくり十分に吐き切ることが大事とのこと。肺を空にすれば自然に良い気を取り込めるということだろう。作者は美しい緑の季節に、その緑をも味わいながら呼気に注意を傾け、自身の身体全体の隅々をも感じ取っているようだ。しばらくの病気療養を経て、身も心も新たに軽やかな印象。
石走る水の喜ぶ橅若葉 深谷征子
渓流をほとばしる清冽な水。その水自身の喜びが溢れている。周囲は柔らかな橅若葉の緑一色。掲句は確か五月大会に「石走る水の喜ぶ木の芽晴」で出されたもの。木の芽晴の季語を、具体的に木の種類を挙げて印象を強める工夫をされたものと思う。ただ少し季節が動いたようだ。若葉と木の芽の違いはどうだろうか。岩を乗り越え飛び跳ね、声を上げている水の様は、もしかすると原句の芽吹きの頃が相応しいかもしれない。あるいはアブラチャンの花が咲く頃合いか。
ひたひたと水打つ潟や榛咲けり 渡辺静子
新潟には白鳥など冬鳥の飛来で名を知られる潟湖がある。今は水鳥たちも去り、岸辺に寄せるさざ波の音のみ。榛の花が揺れている。ひたひたと水打つという出だしの描写が読者を早春の湖に一気に呼び入れてくれる。
しろかねの月山まどか花菜畑 森谷留美子
出羽の霊峰、標高一九八四メートルの月山は山容なだらか。夏でもスキーのできる山。里の菜の花畑が黄に染まる頃も真白な姿で親しまれているのだろう。美しく懐かしい景、心惹かれる作品。
過疎村に影の遊べり鯉のぼり 中村文子
子供の姿、声はないが鯉幟がのんびりと吹かれているのはこの村に男の子がいる証。影の遊べりの措辞に、過疎の地で一人遊びする幼子の姿が重なって、明るい五月の陽気ではあるが、少しばかり寂しさが漂う。
風に揺れ風に頷くえごの花 山田八重子
初夏、白い小さな釣鐘を吊って風に鳴りそうなえごの花。頷くが効いている。白雲木も同じ仲間だそうだ。
大丈夫かと春眠を覗かるる 服部幸次
春眠曉を覚えず、当人は気持ち良く寝ているのだが。これは長寿を言祝ぐ一句と解釈。どこか畠中順一俳句を思い起こさせる味わい。久しぶりに『うはみず桜』を読み返した。
ちやぶ台の八人家族昭和の日 倉橋章子
ちゃぶ台も八人家族も今では遠い昭和の香り。博物館に行くと昭和コーナーがあり、現代っ子の目には古色蒼然と映るようだ。色黒で痩せているけれど健康そうな子供たち。いささか気難しいお父さん。何でも包み込んでくれるお母さん。おじいさんとお婆さんも一一緒だろうか。まるでサザエさん一家。過去のものは皆幸福そうに見える。しかしながら昭和も一様ではなく変遷を辿りながら現在へと繋がってきた。懐かしんでばかりはいられない。