神宮東公園 亜紀子
寒の最中、一句の種を探しにと外へ出る。三キロ程の距離にあるショッピングモールへ買い物のついでに、途中の神宮東公園に寄り道して行こう。こんな日、父星眠なら犬の綱を引いて碓氷川縁を歩き、真白の浅間嶺を仰いだことだろう。
信号をいくつかやり過ごし、なるたけ細い路地、横道を選んで歩く。そうすると軒端の鉢や、寒雀や、ちょっとした景色が見えてくるから。
神宮東公園は大規模工場跡地を整備して造られた。神宮東というのは、南西に熱田神宮が位置しているのである。自動車道をはさんで南北に別れているが、私がいつも行くのは北側。広い芝生、花壇に木立、菖蒲園、子供用の遊具。域内に体育館、屋外プール、テニスコートなどがあり、いかにも都市の公園、市民の憩いの場。ただ、設備はいささか老朽化しているようだ。人工のせせらぎが軽い音をたてて瓢箪形の浅い池に注いでいる。池の周りはあけぼの杉に囲まれ、青葉や黄葉の季節は気持ちが良い。子供の小さかった頃に池中のやごを採って帰り、薄羽黄蜻蛉が出てくるのを見たことがあった。今は骨のような木々が風に鳴るばかり。積もり積もったあけぼの杉の落ち葉が足裏に柔らかい。
子供用プール程の小さな池なのに、三十羽ほどの鴨が漂う。多くは軽鴨。一羽目に立つのは真鴨の雄。皆何をするわけでなく、首を埋めて浮寝の一団。三本の若いあけぼの杉の生えた小島にも眠っている。呑気そうなところ、御同輩と声をかけたくなる。こうした水鳥たちは街中の人口池などをどうやって見つけ出すのだろうか。今シーズンは鳥インフルエンザの流行が問題になっているのでつい熱心に様子を窺ってしまう。大丈夫そうだ。鶺鴒が一羽、忙しなく行ったり来たり、ちょっと鈴を振って飛んでいった。
手当たり次第一句に詠んでおこうか。そういえば、思い付きのようにすぐさま何でも呟いてしまう人がいる。トランプさん。大統領に就任したら、呟くだけでなく実行に移してしまうので大変だ。思い付きが実際になってしまうのだから権力というものは恐ろしい。それを実行力と言って囃す人も多いから、世の中は分らない。どうしていい加減な呟きを無視することができなかったのだろう。注目されなければ自滅しただろうに。トランプさんの後を追いかけて視聴率や販売数を稼いだマスメディアが、今はそのトランプさんの攻撃を受けている、狐と狸。
呟きにも満たない五七五であるが、手当たり次第では句にならない。心が動かなければ、本物の言葉が生まれない。もっと良く見なければ心が動き出さない。
土曜日だからか、父親の子供連れが多い。あちらにもこちらにも、若いお父さんが小さな子供を遊ばせている。お母さんは街へお買い物か、家で家事に励んでいるのだろうと想像。漫然と風景が過ぎていく感、心ここに在らずかもしれない。メモ書きだけ持って帰ろう。星眠先生はメモを取らぬ記憶力の人だった。私はメモを取らないと大事なことを忘れてしまう。
買物のメモを持って、公園を後にモールへ移動。特別どうというショッピングモールではないが、東日本大震災の折、東京で帰宅難民になった翌日に来た場所。都内の夜のコンビニの食料棚があっという間に空になったのを見た目に、ここの陳列棚の明りが眩しく怖かった。あの時の目が今は無い。常変わらぬ売り場である。
他人の句を選させていただくからには、先ず自身が良い句を生まなければならない。それが始まりで、終りであろう。努力を惜しんではならない。自らを鼓舞する状況を作らなければ。
「自分も含めて皆下手の横好きだよ」
力んでいると、父の声が聞えてくる。まあ、いいか、今日は。また来よう。もっと、よく見よう。返りは寄り道せず、少し近道をして戻ろう。