橡の木の下で

俳句と共に

「選後鑑賞」令和6年「橡」4月号より

2024-03-28 11:33:36 | 俳句とエッセイ
選後鑑賞    亜紀子

ぬくめ酒咽せて飲み干す病み上がり  泉川滉

 ぬくめ酒、すなわちあたため酒。温め酒は陰暦九月九日重陽の日に酒を温めて飲むこと。病難を避けることができるといわれる。作者は病を克服し飲酒も許されたものの、咽せて飲み干す様は薬を呑む様にも見える。百薬の長の効き目はいかに。もっとゆるりと熱燗を楽しむ日も間近いことと思われる。
 ところで、お恥ずかしいことにこのぬくめ酒という季語は掲句で知るところとなった。広辞苑の見出しが「あたため酒」でもあり、ちょっと迷ってしまった。先日惜しまれて逝った女性歌手のヒット曲の一節が思い浮かび、最初は単純にぬるめの燗と解釈していた。単なる熱燗なら冬の季語。温め酒は冷や酒から温めた酒が美味しく感じられるようになる晩秋の季語。なるほどと納得した。

黒々と鋤かれ春待つ減反田      岡田まり子

 七〇年代から始まった減反政策は二〇一八年に廃止された。政策は終了したものの、米をめぐる世の中の状況の様々な変化で我が国全体としての米作りは必ずしも順調には進んではいないと聞く。
 掲句の減反田はかつて生産量調整の為に米を作らなかった耕地にこの春から稲の作付けを開始する田と解釈した。黒々の措辞に豊かな土を思い、黄金に稔る稲穂の波を想像する。ひとたび何かが起きた時、最も必要となるのは食料だ。食べる物なくしては我々の体はどうにもならない。かつての減反田の美味しいお米を期待する。

骨正月浜焼鯛の身をこそげ      今村さち

 骨正月、もしくは二十日正月。東日本生まれの私は馴染みがなかったが、西日本では一月二十日を正月の祝い納めとするそうだ。飾り物など片付け、正月用の塩鰤や荒巻鮭などのあらを料理して食べるところから、骨正月と呼ぶとのこと。掲句の作者は瀬戸内の鯛の浜焼きを召し上がったようだ。骨の周りの身がことに美味しそう。身は和え物に、骨とお頭はスープに。

怯えもせず海鼠切る妻面妖たり    佐藤雄治

 海鼠は冬季。季節になると時折近所のスーパーの売り場にも並ぶ。酢なまこなど酒の肴に好まれるようだだが、山家育ちの私には手が出ない。誰が買っていくのだろう。掲句作者の奥様のようだ。ちゃっちゃと料理される奥方を面妖などと評しているものの、夕べの一献にご自分の好物を供してくれることに感謝していると思われる。

外套を脱げば半袖異国びと      奥村綾子

 コロナパンデミック収束、円安加速、外国人観光客急増。日本の冬に備えてダウンコートでやって来た彼らのその下はTシャツ一枚という姿はよく目にする。思わず体の出来が違うのかしらと不思議に。いや多分、自国では室内は常に暖かで真夏の格好でOK。エネルギー潤沢のお国柄なのでは。

切り通し出づれば香る春の潮     木野内八重子

 日差しの輝きが増し、春の海はその匂いも変わる。藻の香りだろうか、何なのだろう、生き物が活動し始めた匂いと呼ぶべきか。鎌倉の春、新しい季節の潮風に心軽やか。

鬼やらひ子らは喜び打たれけり    岩下和子

 子供の追儺、大抵のところでは大人が鬼に扮し、子供たちが豆を打つのだが。掲句は子供同士で役割分担しているのだろうか。豆をぶつけられるなんて滅多にない体験。きゃあ、きゃあ、嬉々として騒ぎ回る姿を想像。喜び打たれるの措辞が秀逸。
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