橡の木の下で

俳句と共に

「緑陰」令和4年「橡」7月号より

2022-06-28 12:03:54 | 俳句とエッセイ
  緑陰   亜紀子

頬白の樹上天辺まだ暮れず
飛び飛びの緑がつなぐ蝶の道
花は葉にけふもノルマの一万歩
ひもじいと泣いて子鴉達者なる
糸とんぼ浮葉かすめて離着陸
釣竿を振るや緑の森動く
夜のかはづ父母とほくなりしかな
緑陰に我いつの間に老いしかな
深山の響きありけり夜の添水
今日ひと日八女の新茶に始まりぬ
丈そろひいまだ蕾の百合の園
囀や出だしやや異な四十雀
夕焼けや犬友達の影も消え
夜々つどひ祭囃子をさらふ子ら
噴水やさらふダンスはボリウッド


「紙上五月大会講評」 令和4年「橡」7月号より

2022-06-28 11:55:37 | 俳句とエッセイ
 令和四年紙上五月大会講評   亜紀子

特選

幸せな名前ばかりや入学児  高沢紀美子

 昔小学生の雑誌のテレビ広告に「ぴっかぴかの一年生」というのがあった。二十年くらい前のことと思うが、現在また復活しているようだ。ぴっかぴかの入学児童の名簿はキラキラネームのオンパレード。そもそも珍しい名前や、その音に漢字を宛字した難読名前だ。古より人名にも流行があるようで、キラキラ全盛期は二〇一〇年前後とのこと、現在は既に沈静化しているらしい。
 橡会報に掲載の橡の芽投句欄ではこのキラキラ世代の中学生がたくさん投句してくれる。パソコンで名簿を作る時が面白い。宛字を音読して打ち込むと、ごく一般的な名前ならコンピューターソフトが適当に漢字変換して提示してくれる。しかしキラキラは自動変換ではなかなか出てこない。私のソフトが古いせいかも知れないが、それにしてもAIの上をいく藤井聡太の将棋のようだなどと呟いてしまう。
 掲句ではっとした。キラキラでもそうでなくても、皆幸せな名前だ。幸せな親心が一人一人の子に思いを込めた名。作者の純で素直な把握で、入学という門出に誕生の日の喜びを思い出す一句となった。

二重丸の中から

曽孫とは年の差九十山笑ふ  本図恵美

 雪も消えて季節は開かれてゆく。曾孫さんの誕生も、九十になる作者も、めでたさひとしお。

道問うて道連れとなる彼岸入 細川玲子

 袖振り合うものご縁。佳き人に道を尋ねた。しばしの道連れ、穏やかに語らいつつ。

初燕風の明るき港町     石井素子

 燕が季節を連れて来る。明るい風が吹くのは、東は横浜、西は神戸のイメージ。

スマホして孤独の集ふ春休み  水本艶子

 若者が皆小さな液晶画面に見入っている。傍から見るとまさに掲句の通り、集いながらの孤独。
 
一重丸の中から

嶺ざくら山の駅員一人のみ   浅野なみ

 山懐の駅舎に駅員はただ一人、しかしこのご時世で無人でないのが床しく感じられる。高嶺に咲く花、嶺ざくらが趣を添えて。

非正規のままの十年花は葉に  小川信子

 掲句の非正規雇用は不本意な十年ということと解する。自然の運行には滞りがないのに。

括りおく古き手紙も雁供養  山下誠子

 ひととせ身ほとりに置いた手紙の束。古きの措辞は一年の整理という以上の年月の長さも暗に感じさせる。今も心惹かれる雁のたまずさではあるが、一区切りここで焚くことに。一見技巧的とも取れるが、どこか不思議に哀切な響きを持つ季語が作者の真情と自ずと一点に結ばれたことと思う。

 
 三度目の正直、二度あることは三度ある、紙上五月大会三回目にはいささか遣る瀬なき思いがあります。
しかし今年もまた大勢の参加を得、たくさんの句を学べる宜しさに感謝しました。ありがとうございます。来年こそはと期待しています。健康に留意して、次の青葉の季節を待ちたいと思います。

選後鑑賞令和4年「橡」7月号より

2022-06-28 11:51:16 | 俳句とエッセイ
 選後鑑賞    亜紀子

籾を蒔く一家総出の万倍日  大澤文子

 万倍日とは暦の吉日、物事を始めるのに適う日。 一粒万倍、一粒の種籾からやがてその何倍もの米が穫れる意。今年の暦を見ると四月、五月中にそれぞれ五、六日の万倍日がある。作者の地域の籾蒔きはいつ頃だろうか。ことさら万倍日を選ぶのか、たまたまその日に当たったのか。一家総出、万倍の語にすでに豊かな稔りを目の前にする感あり。

アイリスや物知り顔に咲いてをり  清家由香莉

 西洋あやめ、アイリスには様々な園芸種がありこの季節の庭や公園を楽しませる。一読、物知り博士は葉も茎もどっしりしたジャーマンアイリスの巨花を思い浮かべて膝を打った。一方アイリスはギリシア神話の虹の女神の名。神々の伝令として活躍するから情報通。作者が見たのはスラリとした若い女神を思わせる花だったろうか。
 『俳句入門』の中で星眠先生は擬人的な表現について、相手(対象)が生命を持って働きかけてくるのが自然で、諸々の知識から相手の生命を見出すのは作意を感じさせ、時には不自然になることもある。「三尺の童子」の純真な心、驚きが必要になる所以、間一髪の詩因と書いている。そして細見綾子の石の上神宮の梅の句

真をとめの梅ありにけり石の上  細見綾子

を取り上げて、梅が生命をもって作者に働きかけた例としている。連想といえばそれまでだが、修練や他人の見方を借りた連想ではなく、いきなり働きかけてくるもので、そういう合鍵をもつ詩人の天性と評している。アイリスの作者もまた鍵を持つ人のようだ。

蟻の列密商館へ荷を運ぶ   寳來喜代子

 長崎出島の阿蘭陀屋敷が公に認められていた商館に対して、掲句の商館は鹿児島坊津の密貿易屋敷。南国の濃い夏の影、黙々と荷を運ぶ蟻の列に想像を巡らす。

黄雀風ナポリ通りに蘭咲かす   馬場奈穗子

 ヴェスヴィオ山を望むナポリと、桜島を望む鹿児島は姉妹都市。二つの港町の景色がまさに瓜二つ。鹿児島中央駅から続くナポリ通りでは五月にピッツァやワイン、音楽といったイタリア文化を楽しむナポリ祭が開催されるとのこと。コロナ渦中でこの二年は中止されたようだが。
 黄雀風と港湾都市ナポリの地名にまず納得。しかしながら地中海のナポリと蘭の花、咲かせるという擬人化が少し気になった。調べると、ナポリ通りの街路樹の楠にデンドロビウムを人為的に着生させたもののようだ。掲句から南国の気候に合い順調に花を咲かせているのが分かる。土地っ子としては外せない風物と理解した。

風五月ハーレーどどど島に降り  藤原省吾

 軽量な自転車を畳み、電車内に持ち運びして遠く旅する若者を見かけることがある。一人旅が多いように思う。掲句はハーレーダビッドソン、米国製の重量級のバイク。高級車で若者には手が出ないだろう。一定以上の年配のライダーが多い。そして数名でツーリングする。フェリーか、あるいは橋を渡って島に降り立ったのはそうしたハーレー仲間では。どどどという擬音の臨場感。貫禄のライダーたちに風薫る。

子を連れし軽鳧が真鴨に体当り   小野田晴子

 面白い景に出会った作者。日頃の心がけの賜物か。子軽鳬の危険を己が身を挺して守る状況と解したが真相を知りたいものだ。

雪解の軒は大雨喫茶店   佐藤博行

 春の雪解け時は掲句の感じそのもの。解け始めると一気だ。コーヒーを手に途切れぬ音を聞く。大雨の措辞が面白い。






令和4年「橡」7月号より

2022-06-28 11:48:42 | 星眠 季節の俳句
習ひあふザイルさばきや梅雨の蝶  星眠
                  (営巣期より)

 まさしく命綱、教える方も習う方も真剣だろう。過ぎった山の蝶は荒し。
昭和四十年代、信州あたりでの嘱目と思われる。

                          (亜紀子・脚注)