耳新た乙女とビール酌みかはし
梅雨晴の杜も鴉も眩しかり
亜紀子
あぢさゐの雨 亜紀子
濃き影を落してゆきぬ蝶ひとつ
若楓花の爪紅ほのかなる
鵯の子のそよぐ若葉を見てをりぬ
なりふりを構はぬ雨の薔薇手入
満々と青葉の池や鳰現るる
蟻出でて看取りの部屋に動きをり
十薬やものの音絶ゆる路地の昼
春夕焼いまは帰らぬ人ばかり
巣立子の雨に泣かうか泣くまいか
はつかなる陰に沿ひゆく暑さかな
巣を守る椋鳥と思へぬ声あげて
悼秀風先生
あぢさゐの雨鳥どちに声もなく
秀風先生 亜紀子
買物帰り、近くの大学のキャンパスのフェンスに沿って歩く。青葉の桜の木のまわりで椋鳥たちがしきりに騒いでいる。こんな時期にも群れるのだろうかと不審に思い立ち止って見上げれば、一羽の小柄な鴉が何やら狙っている様子。電線から電柱へと少しづつ移動する。その度に椋鳥はじゃーじゃーと濁声でがなり立てる。中に二羽、ピッピッと鋭く高い警戒音を発する者がいる。厳しいがどこか美しく、且つ痛々しい声だ。鴉の方はうんともすんとも言わず、椋鳥の威嚇など痛くも痒くもないようである。いささか小憎らしいが、去年も同じような場面に出会った気がする。その前の年も。これが自然の摂理というものなのだろう。運動部の学生のランニングが近づいて来て、私は退散。
島崎秀風先生の訃報。このところのご病状は伺ってはいたが、どうにも寂しく、頼りない心持ち。昨年父が亡くなった時、ご自身は奥様を亡くされたばかりであった先生は、母へのお悔やみの電話口で男泣きに泣かれた。今年の新年例会には出席なさり、知り合いの杣に山中で猿を紹介された話など語られ、飄々としていつもと変わらぬようにお見受けした。ご無事にお送りしますからと、八王子句会のご婦人方に付き添われ代々木の銀杏並木を帰って行かれた。別れ。何者にも留め得ぬこととは知りながら、誰かに留めて欲しいと願うのである。
秀風先生の背広姿はなかなかのジェントルマンであったが、例会参加の折のバンダナ姿は風狂の徒。野の鳥や獣を愛し、釣をよくした先生はどこか浮き世離れしていた。
自身が一病を抱えていらしたことは存じ上げなかった。奥様の看病をされていた日々を想像し昨年来の句を振り返る。
声もなく輪をくり返す山別れ 平成二七・一月
目の前の鷹の山別れを描きながら、これから訪れるであろう、またこれまでに繰り返されて来た、先生自身の「別れ」というものを述べられているように感じられる。如何ともしがたい人の世の有様であり、もはや声もない。
霜夜子が母の笑顔を見に見舞ふ 平成二七・二月
ご子息方が先生のお宅のすぐ近くに住まわれているそうだ。晩方に母上を見舞う日常であったろうか。笑顔と母親とは同義だろう。
底冷えの夜鳥の声をひとり聞く 平成二七・四月
初雪は別れの白さ妻逝けり 同右
奥様との別れ。これ以上身にしみる底冷えはなく、これ以上胸締め付ける白さはない。
家を守る九官鳥や万愚説 平成二七・六月
母の日や九官鳥は妻のこゑ 平成二七・八月
とにかく生き物好きの先生。独り居となって、もの言う鳥をやや複雑な表情で眺めている。母の日の句は前掲の九官鳥の句のふた月後の発表。思わず言葉を呑んだ。
悲しみの句ばかりではない。仙人然とした田園の暮し振り。
小鳥らに負けず熟柿を啜りけり 平成二七・一二月
鳥好き高じて鳥になってしまわれたようだ。
穴まどひ追ひつめられて力づく 平成二七・二月
不思議なり大紫蝶の鳥を追ふ 平成二七・九月
追いつめられて精魂尽きるのでなく、むしろ反撃にでた蛇。そんなこともあるのかと本当に不思議な蝶の行動。常日頃詳しく自然を見る目。
木瓜の咲く岨より望む副都心 平成二七・六月
鶯の籬をつたひやがて鳴く 平成二七・七月
畑人に茶を運ぶ子や冬うらら 平成二八・一月
茶の花や畑の母呼ぶ里帰り 平成二八・三月
畑の二句は、もしかすると遥かな日の郷愁かもしれない。これを書きながら私自身の諸々の感情というものも少しづつ「懐かしさ」に塗られていくような気がする。
選後鑑賞 亜紀子
花を見しあとの車座みな老いて 和田ミヨ
上五中七で花見の後の宴の始まりが告げられた。さぞ賑やかにという予想に反して、下五が老い人の静かな集いであることを示した。これにより「花を見しあと」という出だしの措辞も意味を持って響き合っているのが分る。観桜の句に奥行きが与えられた。仮に上下を逆転して「みな老いて花見しあとの車座に」としたら掲句の深みは消えてしまうだろう。
蛇の衣貌より裂けて脱ぎにけり 貞末洋子
貌より裂けてにどきっとする。いかにもくちなわらしい表現。考えてみれば蛇の脱皮は頭部から脱ぐのか、尾から始めるのかという問題。顔から脱ぎ始めることが分った。目を逸らさずよくぞ観察されたと思う。蛇の衣を拾ったり、梢に吹かれていたりという句は散見するが、掲句の「裂けて」は珍しい。
雪解けの沢にくぐもる赤蛙 市村一江
水音に紛れるように赤蛙の小さな鳴き声。産卵の季節が来た。「くぐもる」がいかにもこの蛙らしい。雪解けの清冽な水。春まだ覚めやらぬ辺りの景が一瞬に浮かぶ。
くちぐちに予後いとしめと百千鳥 藤崎亮子
「予後いとしめと」とは優しいこころ。見舞いの友人の誰もが我が身を案じてくれる。「くちぐちに」と「百千鳥」の語が呼応し合う。美しい季節が始まった。
赤蛙ひたすらに啼く神の池 武藤ふみ江
赤蛙の声は可憐である。他の蛙よりも産卵時期が早いので、辺りはまだ冬の様相。その寒さの残るなかにひたすらな声。自然はまさに無心。「神の池」が静けさを際立てる。
たかむなの顔出す地際濡れてをり 釘宮幸則
筍掘りはちょっとコツがいるようだ。先ず広い竹林のなかで掘り頃の筍を探すのが難しそう。調べてみると、手がかりは親竹から少し離れたところで、土が盛り上がったり、地割れしたりしたところ。一つ見つけたら周辺に群がっている事が多いらしい。顔を出す地面は足で踏みしめていくと分るのだそう。作者は野菜栽培を職人的に追求している人。筍掘りも造詣が深そうである。筍が生えてきた地面は中の土が盛り上がり黒く濡れて見えるのだろうか。雨後の筍と言うくらいだから、昨夜は雨だったかもしれない。朝の篁の瑞々しさ。
青梅のころりと籬こえきたる 竹上淑子
若葉のかげに青梅が福々しく育ってきた。ころりと垣の向うから我が家の庭へ。あちらの庭も、こちらの庭も緑清々しい季節。お隣との付き合いも清々しい。
林檎咲き信濃の空はやはらかし 石井素子
冬の厳しい信州も林檎の花の咲く頃はやさしい季節。四月半ばから終りにかけてが見頃だろうか。旅人の目に空の色さえ柔らかに映ったようだ。
大鍋へ炉の灰掬ひ蕨炊く 大野藤香
よほど大きな鍋で大量の蕨をゆがく。農家の庭先であろうか。炉の灰を掬い入れるという動作に活き活きと情景が描き出された。
山の讃歌乙女等も蟇跨ぐなり 星眠
(火山灰の道より)
上高地徳沢にて。若かりし頃の登山俳句の中から。
それらは山岳俳句と言うより、あくまでも星眠俳句。
(脚注・亜紀子)