蜻蛉の触れゆく田の面穂を孕む 亜紀子
半夏雨 亜紀子
新しき墓濡らすなり半夏雨
長崎揚羽扇づかひに失せにけり
幣なして貴船の道の鴨足草
梅雨霧も京へと下る貴船川
貴船川水清ければ鮎棲まず
つちあけび一茎咲きて梅雨暗し
青鷺の眉の涼しきひとりぼち
地下鉄のちょん髷力士名古屋場所
蝉と湧く野球少年雨一過
就活も受験も無休蝉しぐれ
熊蝉の煮え湯を浴ぶる路のあり
蚊の毒にいささか慣れて草を引く
新保育士子らの夏風邪もらひたる
細長き実を結び初め西瓜なり
炎天やナゴヤドームのまろき腹
足音 亜紀子
星眠の名のとおり、父は良く眠る人だった。処女句集『火山灰の道』を繙く。
日出づと雲海よぎる鳥﨧し
翅澄みて蛾は春暁の野にかへる
凍天を焔つらぬく日の出前
朝の佳句に触れるので、若かりし頃は早朝吟行、深夜吟行どちらも精力的にこなしていたのかもしれない。
夜蛙や高嶺をめざす人に逢ふ
暮れかねて白樺淡き蛾を放つ
お花畑ゆふべ眞紅の霧を噴く
短夜の昻に降る花はみな白し
手袋に息つゝみ立つ夜の落葉
春星やしみじみ暗き蜑の露路
湖凍り林をのぼるオリオン座
それでも『火山灰の道』の印象深い作品は圧倒的に夕暮以降の時間帯に多いように思われる。私の知る父は早起きは好まぬのんびり屋であった。
故群青君の植ゑし一本あり
天あふぐゆうすげに汝が星灯れ(営巣期)
あるいは父はひと日の終り、夕菅の花の開く時間帯からの、もの寂しい鎮静した情趣を好む体質のようなものを持っていたのかもしれない。情趣云々はともかく、寝坊助の体質は息子、即ち私の弟に遺伝した。弟は朝が遅いのはもちろん、昼間でも暇さえあれば眠っていた。お互い家庭を持ち、往き来も疎になって久しいのでその後どうなったかは不明だが、多眠体質は私自身の息子にも及んでいるようだ。受験生の今は悩むところだが、眠りが足りないとどうにもならないらしい。体質は仕方がない。
新聞配達春の夜明の靴の音 葉貫琢良
(平成二七年六月号)
少しづつ夜の明けるのが早くなりつつある。床の中にあっても厳しい寒さが緩む気配を感ずる。ああ、春だな、夢うつつながらも小さな喜びと安堵の心。東北福島の春。近づく足音はいつもの新聞配達人。その耳慣れた靴音さえも春を運んで来るような。想像するに琢良先生も朝は得意ではないのでは。
白地着て燭に圍まれ新発意 葉貫琢良
(平成二五年十一月号)
この句を発表された頃、弟子を持つと寝坊ができないから大変だよと笑っておられた。早朝のお勤めから何から面倒を見られるそうであった。
焦げ臭き法の燻る戻り寒 小野宏文
(平成二七年六月号)
鼻をつく硝煙の匂い。宏文先生の句に聞えてくる靴音はざっくざっくと重く禍々しい。夏休みを前にして、高校三年の息子個人宛に防衛省から自衛隊のリクルート案内が届いた。驚いた私に、息子は自分には興味はないしお母さんが慌てることではないでしょうと笑う。いやいや、笑って済む子たちは幸いである。進んで志願する子たちもまた幸いである。糊口を凌ぐために進む子たちを想像する。焦げ臭い法が罷り通る中でのその子らの将来を憂う。現在多くの若者たちが学費稼ぎ、生活費稼ぎのために働いている。大人の夢の風船は弾けて、若い人達のアルバイトや派遣が支える世の中となった。その上さらにことが起これば先ず身を挺することになるのはそうした若者たちなのではと。
選後鑑賞 亜紀子
退院の朝髪切りて涼しかり 石橋政雄
長い入院闘病生活を終えて自宅へ戻る日。身だしなみを整え、文字通り身も心もさっぱりと一新爽快。季節は夏たけなわとなり、温度管理された病室から一転して暑い戸外へ出て行くわけだが気分はいかにも涼しいのだ。実際作者は五ヶ月間の病院暮しを終えて、自宅からリハビリに通う生活に入られた。我が家が一番であることは間違いないが、医師、看護士に囲まれていた病院にはなかった不便があるやもしれぬ。今後のリハビリの首尾も気になる。そうしたもろもろを抱えつつ、退院の朝を「髪切りて涼しかり」の簡潔な一言で詠み上げた。その後初めての句会に車椅子で参加。
ザイル負ふ岩魚釣り師とすれちがふ 金子まち子
山道ですれ違った男、登山目的ではないらしいのは荷の釣竿、たもで分る。しかもザイルまで携えて、かなり奥へと登っていくようだ。きっと沢登りもベテランなのだろう。木々の緑、清冽な水。寡黙な男。作者は吟行の途次と思われるが、深山幽谷の気に一息に包まれたことだろう。
子燕の早口ことば復習ひをり 大谷孝子
燕の歌の聞きなしは「土食て虫食て口渋い」、繁殖期にはよく耳にした。子燕が電線で鳴いている。親鳥を呼んでいるのか。まだ親鳥の歌のようにはいかぬが、ずいぶんと舌がまわる。雀、鵯、鴉に鶺鴒、身近な野鳥の中では確かに燕は相当な早口だ。
文字摺草老眼日々にうとましく 寺澤美智子
文字摺草から老眼が導かれるのが自然といえば自然のようであって、実のところ意外な感じを受けた。しのぶもじずりの古雅なイメージ、あるいは花そのものの持つ繊細な可憐さを句にしたものが多いかと思う。「文字」から「老眼」へつなぎ、加速していく日常の不便さをストレートに句にして面白い。私自身毎日感じているところであるので、面白いでは済まされない気持ちの小さな波立ちが共感される。
旅鞄ごろごろ引きて駅薄暑 上村敦子
キャスター付きの旅行用の鞄を我が家ではそのものずばり「ゴロゴロ」と呼んでいる。荷物が多いからゴロゴロで行くわ、といった具合。巷でも一般名詞になっているのかもしれない。掲句はごろごろが副詞と名詞の間を行ったり来たりしているような、作者も鞄の引手を引いて駅舎内を行ったり来たりしているような。季語の薄暑が効いている。
幾千の墓碑に声無き男梅雨 松尾佳代子
戦争の犠牲者の墓は数知れない。声無き、男梅雨の語に、雨中黙して並んでいるのは無名の兵士の墓と知られる。激しい雨音のように、声なき声が満ち満ちている。
海亀の子の犬掻や波に消ゆ 土屋玲子
亀の子の犬掻と言われて、必死の、それでいて何とも愛らしい海亀の子の様が彷彿。波に消ゆに余韻。
雲の峯出羽三山を蘇風師と 長友昌雄
猪島蘇風
雲の峰出羽三山を遠巻きに (平成二三・十月)
蝉塚に佇み汗を鎮めけり (平成二三・十月)
人の訃も秋のしぐれも俄なり(平成二三・十二月)
阿蘇夕焼わが一族の墓並び (平成二五・十月)
平成二十六年一月に逝かれた蘇風先生。宮崎句会を立ち上げ牽引されたお一人であった。掲句はかつて一緒に吟行された作者の回想であり、同時にこの今も、幻とも言い難くありありと浮ぶ景なのだろう。
(訂正)八月号選後鑑賞 瑠璃鶲は小瑠璃の誤りです。