橡の木の下で

俳句と共に

『河原石』平成23年「橡」3月号より

2011-03-01 10:30:27 | 俳句とエッセイ

   河原石        三浦 亜紀子

 

 今月は句を詠む気がないみたい。母の電話。このところ月に一句を詠むだけの父。あまり周りに頑張ってと言われるのは閉口するらしい。頑張ってるんだがなあと、いつかの電話口の父の調子に嗚呼と思い当たるところもあって、必用以上に叱咤激励はしない。細く長く行きましょうと言うと、そういうことだよなあと得心した声だった。それでも全く一句も発表しないのは寂しい。父の句帳の古いのが送られてきて、その中の未発表の句を使えるか見て欲しいということになった。

 何十とある俳句手帳は表紙に創作年度が記入されて整理されている。一番新しいところから開いてみる。最新刊の句集に載ったところくらいまでの作品で終る。それ以後は手の不自由がつのって、大方は母に口述筆記してもらい、どこか別になっているものと見える。最後のページ近くになると、文字が著しく変形していて判別できない。

 しかし、判別できたものはほとんど完成している。幾度かの推敲の跡があり、最終稿には上に丸印が打ってある。丸のついたものは、おそらく全て橡誌上に掲載済みのように思えた。元気盛んの時は十五から二十句近くを毎月発表していたのだから。一度得たモチーフは投げ出すことなく必ず一句に仕立てているところ、当然といえば当然なのだけれど、はっと胸打たれる。家族は帳面には読み捨ててある句がたくさん残っているだろうと思ったようだが、捨てる句は作っていないのだ。さて、それでも誌上では目にしていないものをいくつか選び出すことができた。内、二、三はよそに出す作品として父本人に意向を尋ねる。まあ、それで良いよとオーケーが出てほっとする。橡誌の締め切りまではもう少し間があるから、できたら何か新しいのを詠んでみてくださいと頼む。

 その待つ間に、時おり俳句の話で電話すると実に明快で、話が通じて、楽しい。そろそろ、どうかなと、できた頃かなと新句の進捗を問う電話のベルを鳴らすと、どうも作句意欲がないらしいのよと家族。再び手帳の登場を乞う。さあ、未発表句を見つけるのが難しい。少数だが未完の作の中に面白いのがあったので、それに手を入れて完成させればいいのじゃないかと思う。

 

風に笛犬のかほして河原石  星眠

 

 足腰の元気だった頃の父は、犬を連れて散歩に行っては句を作っていた。家の南を流れる碓氷川を越えて、田畑を横切り、丘のあるところまで、結構な距離を歩いていたと思う。犬は何代も飼ってそれぞれ可愛がっていたけれど、この句ができた時間からすると最後の黒い大型犬が死んだ後の作と思う。このウィリーは半室内犬で、愛着ひとしおであった。掲句、風の音と犬の姿の河原石が、一瞬にして私に故郷の景を、父を含めた情景を彷彿とさせてくれた。いいなと思い、よく見ると季語がない。上後を木枯にしたらどうかしら、または笛の趣を残して虎落笛としたらいいのじゃないかと考える。

 父本人に尋ねてみた。何やら、締め切りや何処に載せるのか、その辺の話があやふやになるのだが、とにかくこの句の訂正の是非を問う。電話の向こうで急に黙り込む。少し間があって、青嵐にしてくれと、一言。

 

青嵐犬のかほして河原石  星眠

 

 ああ、その通り。飛躍がある。ウィリーの黒い艶のある体と、青嵐こそ相応しい気もする。原句の無季の、風が通り過ぎてゆく趣も捨て難いけれど、少し弱いかもしれない。こちらは俳句の強さが感じられた。

 その後、話は変わるけどねと、父は何故か私がロシア人女性二人に囲まれて写真におさまっていてとてもよく写ってるよという話題に変換。これは初耳。ああ、その写真はまだ見ていないから、あとで見せてもらうわと、話を継ぐ。まるで、俳句から離れているような感じ。しかし五七五になると、ばしっと焦点が合う。一筋に道を追い続ける結果というものがある。普段からどう行動して来たかの結実。中島敦の「名人伝」を思い出している。