なかなか釣りに行けない

なかなか実釣出来ず、稀の釣行を夢見て、机上の空論を重ねる備忘録です。

脳天気(20240514)

2024年05月14日 21時42分49秒 | 机上釣

脳天気(20240514)

30kg近い装備で入渓するのに、こう言ってしまうのは何だけれど、脳天気すぎる。
しかも年休扱い自費の宮城遠征、その上、完全C&R、脳内が馬と鹿のパラダイス。
残念すぎる度を越していて、これを「脳天気」というのだ一般的には。

「夫元気で留守が良い」という言葉がある。
この真意は、現状維持できる一番快い日常を指す、らしい。
夫が亡くなったら家計や日常が急変するので、それは困る。
でも、いつも居られると迷惑だ。
なので稼ぐ夫は「元気で留守が良い」となる。
こういう「お天気」もある。

私は日常生活を現状維持しながら、30kgの重い装備で、ただ逃すだけの魚釣りに遠征する。
たとえ釣れても釣れなくても、即物的な見返りは何一つない。
ただ「行って帰った」体験しか残らない。
30kgの重い荷物を担いで広い河原に立って。
ただ一言、「頭の中がお天気」だ。

この「頭がお天気」には「無責任」という意味もある。
「夫元気で留守が良い」も無責任極まりないし、「大金叩いて行って帰るだけ」も無責任の極み。
でも、現状維持できる見通しの上で、そう言い、そうする。
その意味で、確かに無責任で自分勝手だけれど、それもヒトの創造性かもしれない。
積極的で見通しのある「脳天気」は、実は自由な創造性を意味するのかもしれない。
そうすると、「30kgの荷を持って行って帰るだけ」な今回の遠征も、あながち馬鹿なことではないかもしれない。
全ては仮定の仮定でしかないけれど。

それでも、30kgの荷物で行って帰るC&Rの釣り、そこに何か新しい発見がきっとある、そんな漠然とした見通しが立つ。
まるで登山や冒険のように。
ある程度見通しはあるけれど、何が起きるか行ってみないとその先に踏み出さないと、絶対わからない。
前へ進み初めて見える世界、その体験に憧れる。
まだ観たことのない作品、日常から離れて鑑賞する芸術、その新鮮な感動に想いを馳せる。
たぶん、それと同じ世界がある。
30kgの荷物で立つ河原に。

馬鹿げている。
もちろん、そんなことは分かっている。
けれど、そんな「脳天気」が持ち望むところに、心から酔う。
本当に馬鹿の極み。
でも、他人から見た「愚の骨頂」は、実は当事者の「創造性の結実」だ。

ピカソやダリの絵を、笑うなら笑え。
ロダンの考えるヒトを笑え。
そして河原に立つ私を笑え。
当の本人は、最高の気分だ。

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