Nonsection Radical

撮影と本の空間

鉄子の部屋

2010年01月05日 | Weblog
某月某日
鉄道マニアのダンシを鉄ちゃんと呼び、ジョシを鉄子と呼ぶそうだが、カメラマニアのダンシは亀ちゃん、ジョシは亀子で、年寄りは亀爺なのか。
鉄ちゃん、鉄子の最終ゴールは鉄道職員ではないかと勝手に想像するのだが、satoboが通勤に使う国鉄線(死語)は現在関連会社が運営しているそうで、そこにも鉄子職員がいる。
疑問なのは鉄道職員になるジョシは、やはり鉄子であるのかという事なのだが、何も興味が無くて車掌や運転士になる事もないだろうと思うが聞いてみた事はない。

車掌には現在数人の鉄子がいるが、彼女らが配属された時に車掌室には指導役のオヤジが乗り込み、あれこれ指導をしていたのをガラス越しにうらやましく覗いていたものだ。
初々しいアナウンスの鉄子達も、いつの間にか自分の喋りを身につけ、アナウンスで車掌の区別がつくぐらいに「個性」が出ている。
この「個性」というのはあまり気持ちがイイと思わない。
アナウンスは個性よりも聞きやすさが一番大事だと思うのだが、滑舌がハッキリしないのやベソをかいているような声、演歌歌手になればと思う節回しの鉄子もいる。

先日たどたどしいが、初々しさのにじみ出たアナウンスがあり、車掌室に目を向けると実習中かと思うジョシがいた。
その指導をしているのは、鉄子であった。
先輩として指導する立場になったのだ。
車掌室に二人のジョシ。
イイ眺めであった(笑)。

でも、オジさんとしてはすごく心配。
失敗しないだろうかとハラハラしてしまう。
アナウンスは間違わないだろうか、発車時刻は守れるだろうか、事故は起きないだろうかと無事を祈るばかりの時間を過ごす。
終着駅に着いて降りた時に、おもわず「おつかれさま」と声をかけたくなったが、車掌さんに声をかける事は踊り子さんの肌に触れるのと同様のタブーなのでやめておいた。
ホームに降り立つとなぜか疲れがでた。
コメント (2)
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