3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

八重の桜見てます15:伊藤博文=半沢直樹の灰田

2013-10-15 15:31:59 | 日記
八重の桜、話がどんどん進んで、ミネは結婚しちゃった。お相手は伊勢氏。
この伊勢氏は

横井 時雄(安政4年10月17日(1857年12月3日) - 昭和2年(1927年)9月13日)である。
日本の牧師、ジャーナリスト、編集者、元逓信官僚、元衆議院議員、同志社第3代社長(現・総長)。一時期、伊勢時雄を名のる。
父は横井小楠。金森通倫・徳富蘇峰・徳冨蘆花は、母方の親戚にあたる。妻は山本覚馬の次女で、妹は海老名弾正の妻。

安政4年(1857年)、熊本藩士・儒学者の横井小楠の長男として肥後国に生まれる。熊本洋学校に学び、明治9年(1876年)には熊本バンドの結成に参加、同年に上京し開成学校に入学するが翌年に同志社に転入。
明治12年(1879年)に同志社を卒業ののち伝道者として愛媛県今治市に赴任、新島襄により按手礼を受けた。明治19年(1886年)、今治教会牧師を辞任。同志社の教師を経たのちに、明治20年(1887年)、再上京し、帰郷した義弟海老名弾正に代わり、本郷教会の牧師をつとめる傍ら、『基督教新聞』、『六合雑誌』の編集にも携わったほか、内村鑑三を支援した。また、この頃から自由主義神学思想に傾倒していき、明治27年(1894年)にはその思想を鮮明に打ち出した『我邦の基督教問題』を著した。

ミネは長男を産むがそのあと亡くなってしまう。
短い薄幸の人生だ。




八重もだんだん貫禄がでてきた。

京都の槙村と覚馬の民主主義のあり方をかけてのせめぎあい。

それにしても、伊藤博文が半沢直樹に出ていた例の灰田だっただなんて、面白い。

そもそも伊藤博文はいろいろある人でセクハラ男なので、ぴったりの配役かもしれない。

史実によれば、伊藤博文は、人妻にも魔の手を伸ばし、大変だったそうだ。

第一回の総理大臣だなんていったって、実はセクハラ男。

当時は、女なんか性の対象か子どもをうむ機械ぐらいしか考えられなかったから。

来週は、ミネと会津に行って、そこで、母と娘の再会があるらしい。
この話になると涙涙。

実の母と生き別れ、父とその愛人の家に身を寄せ、愛人との間にできた子がいて・・・・、ミネはどんなにか苦しかったかと思うと、切ない。
伊勢氏との束の間の愛の家庭は短い薄幸の人生の最後の華だったんだろう。



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