3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

1959年小津安二郎「お早う」

2016-05-04 14:19:00 | TVノート
先日、小津の映画をNHKでみた。

原節子などは出ていない。
原節子、秋日和をみたが、白いマニュキュアがどぎつく、ちっともキレイとも思えなかった。

お早うは子役がよいので、とにかく、面白い。

高度経済成長がはじまるときの日本の風景

東京の郊外、八丁縄手あたりらしい

郊外に団地と一戸建てが建つころの話。
土手の下の一戸建て群。洗濯物がはためく。
少子化はすでにはじまっていて子どもは、一人か二人になっている。
サラリーマンのお父さんと専業主婦のお母さん、子ども二人。
お父さんの妹が同居していて、働いている。高度経済成長スタートの前夜。

醤油やビールの貸し借り、お勝手から奥さんたちが出入りしていて、鍵なんかかけていない時代の話。
地域の相互扶助が成り立っている。プライバシーはないけれど。

お父さんは笠 智衆、お母さんは三宅邦子
隣のお父さんは東野栄次郎。

テレビを買ってくれと子どもがねだる
笠 智衆のいえ、電気炊飯器はあるが、テレビはない。
おとなりの杉村春子のうちは洗濯機がある。月賦でかったとか。

父親の権威は次第に失墜し、電気製品が家庭に入ってきて、主婦の仕事は楽になった時代である。
学校の先生もやさしい。給食費がはらっていないということで家庭訪問をしていた。

小津はこれでなにをつたえたかったのか。

東野栄次郎が定年をむかえ、再就職先を探している。
しみじみと赤ちょうちんでつぶやく。
一色懸命は働いても定年をむかえればおしまい。会社なんてつめたいもんです・・・。

少子化と定年と専業主婦の話。電化製品が普及して大きな生活の変動があった時代。
でも、まだ、ご近所のつながりが深くて、子どもは素直。テレビのある家に集まってみている。ほほえましい。
テレビを街頭で見ていた時代から個人の家に入り込んでくる変わり目の時代。

日本の夫婦、家族、地域、社会の在り方がおおきく変わる変革期だったんだなあとしみじみと思うのである。
1959年の日本、あれから幾年立ったのだろう。
あのころの子どもたちも今は還暦をとうに過ぎ、あの時のお父さんたちは、もうなくなったのだろうか。

三宅邦子のおかあさんが実に良い味を出していた。サラリーマンの奥さん、女学校か女子大出の雰囲気である。
久我美子と佐田啓二の若々しいカップルもみていてすがすがしい。

あの頃のまま、とまってしたら、どんな日本になっていたのだろう。
高度成長がもしなかったら、別の日本もあり得たのではないだろうか。
とふと思ってしまう。

あれから、狂乱的な大量生産大量消費の時代に入り、我々の心は荒んでいく。
共同作業より一人勝ちをよしとする時代。
なによりももうけ。
嫌な世の中になったものである。

もう一度1959年に戻ってみたいのである。








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