3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

国立大学でなぜ卒業式に君が代をうたわなければならないのだろうか

2016-02-22 10:41:50 | 現代社会論
2016.2.22

馳浩文部科学相は21日、金沢市で記者団に、岐阜大学の森脇久隆学長が卒業式などで国歌「君が代」を斉唱しない方針を示したことについて、「国立大として運営費交付金が投入されている中であえてそういう表現をすることは、私の感覚からするとちょっと恥ずかしい」と述べた。

 卒業式や入学式での国歌斉唱は昨年6月、当時の下村博文・文科相が全国の国立大学長らに要請していた。岐阜大は前身の旧制学校の校歌を式で斉唱しており、森脇学長は今月17日の定例記者会見で、これまで通りの方針で臨む考えを示していた。

 馳氏は21日、金沢市内での講演で「岐阜大学の学長が国歌を斉唱しないと記者会見した」と指摘。その後、記者団に「(下村氏の要請は)大学の自主的な活動についてああしろ、こうしろと言うものでもない。学長が(斉唱しないことに)言及することはちょっと恥ずかしい」と語った。


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国立大学だけでなく、私立大学も多くの税金が投入されているので、国立大学ばかりが標的になるのはどうもおかしいと思うのだが。とにかく国立大学の運営には国費が投入されている。だからといってそれが君が代をうたうかうたわなかに影響するのだろうか。君が代をうたわせるために国費を投入しれいるわけではあるまい。

大学は高等教育機関である。世の中の文化、科学技術、政治経済、あらゆる分野の礎を築くのが仕事である。
国費が投入されるのは当たり前である。未来をになう人材を作るのだから、昨日今日結果がでるわけではないし、教育とはそういうものである。

国歌をうたうかうたわないかとはまったく関係ないと思われる。

そんなこといったら、大学の自治は奪われる。
大学自治を奪うやり方、それは、北朝鮮や中国ならいざ知らず、成熟した民主的な国家である我が国にはふさわしくない。

教育、文化には金は出すが中身には口をださない、それが、文化国家のあるべき姿である。

文科省があれこれ言うのはおかしいのである。
大臣が岐阜大学の学長の発言に「恥ずかしい」といっているらしいが、そういう大臣こそ大学の自治を知らないようで恥ずかしいのではないかと思ってしまう。

戦前期の治安維持法の時代に逆戻りするつもりなのか?
それだけは避けたいと思うのである。
強権的に国歌をうたわせる、そいういう文科省の姿勢は、アカデミックな世界には禁じ手である。
ますます、反発を食らうのである。
ますます、岐阜大学の学長を応援したくなるのである。
岐大につづく国立大学はないのであろうか。
国立大学の学長は、がんばってほしいのである。
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