3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

2020.3.11 バルコニー便り 再び3.11がやってくる

2020-03-11 18:09:58 | 日記
新型コロナウイルスで日本中が騒然としているさなか、再び3.11がやってきた。
あれから、9年も経ったのである。9年の年を重ねあの時子どもだった人も成人となり、50代だった人は老境に達している。
大地震、大津波、フクシマの災害、あまりに多くの犠牲者。
寒い日だった。
世界があの技術大国、信頼の日本で原子力発電所がコントロール不能になるとはと驚愕したのだった。
私はそのとき家族がヨーロッパに行っていて、春休みを利用しちょうど渡欧しようとおもっていた矢先であった。
ルフトハンザは仁川空港で飛行機を変えるという。しかも成田からは飛ばず中部国際空港からという知らせを航空会社のHPで読みあわてて予定変更。成田ではなく、東京駅にタクシーで乗りつけ名古屋に向かった。
日本全体が緊張していた。フクシマの爆発があり、チャイナシンドロームの映画さながらでこれで日本も世界も終わるのかという最終場面が頭をよぎったことを思い出す。
東京は晴れていて相変わらず大通りは誇りっぽかったが、そのほこりの中に放射能はまぎれ、生命を脅かす可能性もあったのだとおもうとよくぞ生き延びたとおもうのである。
フクシマ50という映画をやっているらしい。決死の努力で炉心のメルトダウンの危機のなか、惨禍を食い止めようとした人びと、原子力発電所の吉田所長もすでに今はいない。

原子力政策そのものは戦後の自民党の産業政策の中心であった。
子どものころは原子力は夢のエネルギーといわれていたのだし、多くの優秀な理系の学生が関連企業に就職し技術開発を担っていた。
3.11がなければ今頃はまだ、原子力発電に依存していたのだろうか。
温暖化の切り札ともいわれていた原子力。

しかし、3.11以後はもうそれはない。再生エネルギーにシフトしていかざるを得なくなった。世界も日本の高い技術をもってしても原子力発電はリスクが高くコントロール不能なのであるということを学び、ドイツはいち早く脱原発政策に転換した。
そういう意味で世界のエネルギー政策を大転換した3.11、大きな出来事だったのである。

そして、今人類が対峙すべきはウイルスである。
放射能もウイルスも国境を越え、人種や貧富の差も越え、生命と生活を脅かす。医療が整っていない地域はなおさら危機に晒されやすい。

我々は自国のことのみ考えればすむという時代に生きてはいないのである。
世界はつながっていて、リスクもなにもかも一緒、運命共同体なのであることを認識すべきなのである。





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