新聞と名のつくものを4社とっている。だから、少し油断するとリビングは新聞だらけになる。そのほか、月刊誌やら仕事関係の雑誌もあり、リビングは情報の渦のようだ。それに加え、家族それぞれの関連雑誌やらなにやらがあるので、これらの情報を処理するのは大変である。おびただしい数のクラシックCDとオペラのDVDなどもあり・・・。断舎離が頭をかすめるのだがなかなか着手できずにいる。
日曜の朝は各社の書評欄やエッセイに必ず目を通す。「毎日」の日曜版でいつも楽しみにしているのは、伊東光晴先生の書評だ。高齢になられ、最近はご登壇の機会がめっきり減ってとてもさびしいのだが、先生が何を取り上げどう切るか、とても楽しみにしている。伊東先生は日本を代表する経済学者としてあまりに有名だが、いつも幅広い知識と教養、そして厳しい批判精神に基づくまことに的確な書評なのだ。書評とはこのように書くものかと毎回学んでいる。
それから、やはり「毎日」だが、浜矩子氏の「時代の風」も楽しみにしている。
これもまた幅広い教養に裏打ちされたウイットに富むエッセイ。世界を飛び回り、経済の現場を生で経験してきたという経歴から生み出される時代を視る分析視点の広さと鋭さ、説得力ある文体にいつもうなる。
2011.5.29の「時代の風」は、「アプレ・フクシマの世界」というタイトルだった。G8の開催にあわせフランスの国営放送は「今回のG8サミットではアプレ・ゲールならぬアプレ・フクシマが大きなテーマとなる」と報じたという。このアプレ・フクシマを引きながら、浜氏は、次のように述べる。
戦前と戦後はすべてが違う。戦争という分水嶺にすべてがかわり、もう二度とあの境界線の向こうへには戻れない・・・・フクシマの前と後では何がどう変わるのか。変わるべきなのか。変わるべきではないのか。アプレ・フクシマの世界を我々はどう生き抜いていくべきなのか・・・」
フランスのメディアのフレーズを引きながら、日本の政策責任者たちにどのような構想を抱き、どのような気構えをもって臨もうとしているのか、と問う。
もう二度と我々はフクシマ以前にはもどれないのだということなのだ。これはわが国だけでなく世界的にももどれないということだろう。
フクシマ以後の枠組みを考えなければならない。わが国はフクシマの当事者の国としてなおさら、以前と同じ政治枠組み経済枠組みではいけないのだ。これまでの政治的権力抗争を続けるようではこの難局を乗り越えられないのだ。平時ではないのだ。平時でやりすごしてきたことはやり過ごせないのが今なのだ。というより、むしろ平時にやりすごしてきたからこそ、今になってその問題が露呈してしまったといってよいのかもしれない。
政治的再編はせざるをえない。エネルギー政策をどうするか。社会保障制度をどうするか。消費税をどうするか。借金をどうするか。連立の場合の政策的すり合わせが必要な論点は多々ある。なかなかまとまりそうにない。
エネルギー政策は、既存の原子力発電所は安全強化、次第に廃炉でフェイドアウトさせる。その間自然エネルギーの普及のための補助制度で、太陽光発電、バイオマスやパッシブハウスを普及させる。スマートグリットなどの研究開発普及につとめる。
社会保障制度はセイフティネットを充実させ、生活の基盤の安定をはかる。震災津波原子力発電所事故で生活の基盤は揺らいでいるから、今こそ社会保障の充実が必要だ。雇用の安定と住宅保障、それから教育機会の平等化も社会保障関連政策として組み込む必要があろう。わが国はこれを期に、手厚い福祉国家にすべきだ。
原子力発電所をどうするか、社会保障をどうするか、この2点の扱いによって消費税所得税のスタイルが変わってくる。
3.11以後の日本を真剣に考えるなら、政治家は私利私欲を捨てよ。ポスト管はその仕事ぶりによって決まるのである。
日曜の朝は各社の書評欄やエッセイに必ず目を通す。「毎日」の日曜版でいつも楽しみにしているのは、伊東光晴先生の書評だ。高齢になられ、最近はご登壇の機会がめっきり減ってとてもさびしいのだが、先生が何を取り上げどう切るか、とても楽しみにしている。伊東先生は日本を代表する経済学者としてあまりに有名だが、いつも幅広い知識と教養、そして厳しい批判精神に基づくまことに的確な書評なのだ。書評とはこのように書くものかと毎回学んでいる。
それから、やはり「毎日」だが、浜矩子氏の「時代の風」も楽しみにしている。
これもまた幅広い教養に裏打ちされたウイットに富むエッセイ。世界を飛び回り、経済の現場を生で経験してきたという経歴から生み出される時代を視る分析視点の広さと鋭さ、説得力ある文体にいつもうなる。
2011.5.29の「時代の風」は、「アプレ・フクシマの世界」というタイトルだった。G8の開催にあわせフランスの国営放送は「今回のG8サミットではアプレ・ゲールならぬアプレ・フクシマが大きなテーマとなる」と報じたという。このアプレ・フクシマを引きながら、浜氏は、次のように述べる。
戦前と戦後はすべてが違う。戦争という分水嶺にすべてがかわり、もう二度とあの境界線の向こうへには戻れない・・・・フクシマの前と後では何がどう変わるのか。変わるべきなのか。変わるべきではないのか。アプレ・フクシマの世界を我々はどう生き抜いていくべきなのか・・・」
フランスのメディアのフレーズを引きながら、日本の政策責任者たちにどのような構想を抱き、どのような気構えをもって臨もうとしているのか、と問う。
もう二度と我々はフクシマ以前にはもどれないのだということなのだ。これはわが国だけでなく世界的にももどれないということだろう。
フクシマ以後の枠組みを考えなければならない。わが国はフクシマの当事者の国としてなおさら、以前と同じ政治枠組み経済枠組みではいけないのだ。これまでの政治的権力抗争を続けるようではこの難局を乗り越えられないのだ。平時ではないのだ。平時でやりすごしてきたことはやり過ごせないのが今なのだ。というより、むしろ平時にやりすごしてきたからこそ、今になってその問題が露呈してしまったといってよいのかもしれない。
政治的再編はせざるをえない。エネルギー政策をどうするか。社会保障制度をどうするか。消費税をどうするか。借金をどうするか。連立の場合の政策的すり合わせが必要な論点は多々ある。なかなかまとまりそうにない。
エネルギー政策は、既存の原子力発電所は安全強化、次第に廃炉でフェイドアウトさせる。その間自然エネルギーの普及のための補助制度で、太陽光発電、バイオマスやパッシブハウスを普及させる。スマートグリットなどの研究開発普及につとめる。
社会保障制度はセイフティネットを充実させ、生活の基盤の安定をはかる。震災津波原子力発電所事故で生活の基盤は揺らいでいるから、今こそ社会保障の充実が必要だ。雇用の安定と住宅保障、それから教育機会の平等化も社会保障関連政策として組み込む必要があろう。わが国はこれを期に、手厚い福祉国家にすべきだ。
原子力発電所をどうするか、社会保障をどうするか、この2点の扱いによって消費税所得税のスタイルが変わってくる。
3.11以後の日本を真剣に考えるなら、政治家は私利私欲を捨てよ。ポスト管はその仕事ぶりによって決まるのである。