3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

プール開きと放射線量-夜警国家化する日本

2011-06-07 08:55:15 | 政治の世界
学校のプール開き、フクシマなどの被災地では保護者は悩んでいる。
情報を提供し、それに基づいて、学校が保護者と相談し決定するというようなことになったようだ。
詳しいことは、調べないとわからないが、どうも、すべてを学校現場と保護者に決定させるというのは、一見、自主性を重んじているようにみえよいように思えるが、自己責任に負わせるといういわゆる自己責任論の無責任論に陥っているように思えて仕方がない。

教員も保護者もさまざまなスタンスで統一しがたいだろう。子どもと放射線量と健康に関する基本的な安全基準が確立していない段階、試行錯誤の段階だから、国、文科省としては基準を示すのにはナイーブにならざるを得ないだろうが、やはり、世界的な動向やチェルノブイリの追跡調査等、先進事例や研究結果を参考にしながら、国がきちんと責任をもつ安全基準、スタンダードを示さなければいけないと思う。それが国家の役割である。
それができず、情報はとりあえず出します、学校は保護者と相談して決定してくださいなど、なんて無責任なんだと思う。日本は夜警国家なのか。

なにかあとで問題が起こった場合、責任を取りたくないと国は思っているのだろうが、そういう責任逃れの苦し紛れの政策をだしてはいけない。

教育、医療、福祉、こういったものは国が責任をもつ分野である。それを自己責任やら、市場原理にまかせると国民の安全安心は守られにくい。底辺層では生活の不安定性は顕著になってしまう。

夜警国家から出発し産業化を基礎に成熟してきた福祉国家の発展段階を逆行するものである。ましてや今は平時ではなく、緊急時なのだ。国民生活の最低のベースをかためるため、国、地方自治体は責任をとるという姿勢を持つべきだ。そのほかの部分は多いに自己の選択の自由や市場の原理を活用すべきかと思うのだが・・・。

市場原理主義以外を知らない若者や若いお母さんお父さんたちはやはり自己責任がよいという選択を支持するのだろうね。





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