3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

ボランティアを単位にすべきか否か―3.11世代

2011-06-12 10:59:21 | 被災地支援
今回の大震災で多くの大学生が被災地に入りボランティアとして活躍している。
6月10日の「朝日」の社説は「もっと!ボランティア―3.11世代」だった。大学生たちの活動をもっとと鼓舞している。
Youth for 3.11は大学生自身が立ち上げた被災地に若者を送る仕組みだ。まるで、トインビーホールや帝大セツルみたいだ。

大学生はある意味、時間的にも体力的特権階級なのだから、全力で被災地支援に活動するのはよいことだろう。
社会人ともなれば、生活に追われ、行きたくても行けない。

阪神・淡路大震災のとき、多くの若者が被災地に入り、大活躍した。1995年は「ボランティア元年」といわれた。その後、さまざまな社会活動グループに法人格を与え、活動しやすいようにという声があがり、NPO法が成立した。

ボランティアは損得なしの無償の奉仕活動だから、すばらしい。若者は活動から多くを学ぶことができる。意味なく笑顔を振りまかなければならないファーストフードのアルバイトで得られるいくばくかの金銭よりずっと貴重な体験のはずだ。

そういった被災地支援のボランティア活動に大学が単位を与えるか否かということになると賛否両論だ。
単位を与える?

20年ぐらい前の大学は出席などとらなかったが、最近の大学は出席に厳しいようだ。
講義開講数について文科省のコントロールが厳しく、なぜ、厳しいのかこれも意味不明だが、15回の講義、休講はご法度、補講せよ、ということにいつのまにかなっている。

あほらしい。

大学での出席欠席が、大学教育の非常に大きなウエイトを占めるようになるなんて大学の権威の失墜以外のなにものでもない。


大学で出席をとるなんてナンセンスだ。その考えは基本的に間違っている。大学はものの考え方、社会の在り方の方向性を議論を通して、自ら考える力を養うところだ。断片的な知識、昨日今日で終わってしまう小手先の技術などを教えるところではない。

ボラ活動に単位なんて与える必要はないというのが私の意見。

大学生の諸君、出席にこだわり、超つまらぬ講義を聞いているより現地にいこう。
自給1200円のバイトに汗をながすより、現地にいこう。
授業のことについては大学教員に直接交渉せよ。現地から学ぶことを奨励しないような教員の単位は落としてもよい。
大学教員は若者の特権をうらやましく思っているのだ。必ず理解を示してくれるだろう。そういう流れが出席回数や開講回数にこだわる文科省のやり方を崩していくだろう。そういうきっかけにもなる。それは大学教育の在り方をゲリラ的に改革していく最初の一歩なのだ。

単位にしてやりたい分野もある。
保健医療福祉系の大学生、つまり医学部や薬学部や看護学部や福祉学部などを学ぶ学生こそ、ボランティアとしてどんどん活躍してほしい。こういった資格系の学生に対して、厚生労働省は柔軟に対応すべきだ。またとない3.11世代の医療系の学生の鍛錬の場として、被災地支援のボラを奨励すべきだ。文科省よりもっと硬直している厚労省の態度が気に入らない。深い人間理解が必要な医療従事者こそ、若いときに震災ボラとして活動すべきなのだ。それが医療者としての原点になるはずだ。厚労省こそ、ボラ活動をなんらかの実習単位として認めるとかそういう柔軟な態度をとるべきだ。

3.11のような大震災に見舞われる機会はそう多くはないだろう。それに我々はもう3.11以前にはもどれないのだ。放射線医学はじめとして、多くを学ぶことができるはずだ。

3.11を境に大学教育も大きな転換をすべきなのだ。それ以前の平和ボケしているような全入時代の大学教育こそ変わらなければならない。





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