3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

『悲しくなったときは』(寺山修司・中田喜直)を歌う

2011-09-17 19:04:30 | 音楽ノート
時節柄というわけではないが、『悲しくなったときは』(寺山修司・中田喜直)を歌いたくなった。
1964年に作曲されたソプラノとバリトンの2人のモノローグによる歌曲集「木の匙」の第10曲。

3年ぐらい前に寺山修司の短歌が好きな私は、彼の詞にだれか音楽をつけていないかと探したところでてきたのが、この歌。
被災地でも歌われることがあるようだ。

 悲しくなったときは 海をみにゆく
古本屋の帰りも 海をみにゆく
貴方が病気なら 海をみにゆく
心貧しい朝も 海をみにゆく

あぁ海よ 
大きな肩と広い胸よ
おまえはもっと悲しい
おまえの悲しみに
私のこころは洗われる

どんなつらい朝も
どんなむごい夜も いつかは終わる
人生はいつか終わるが
海だけは終わらないのだ

悲しくなったときは 海をみにゆく
ひとりぼっちの夜も 海をみにゆく

 子どものころから両親の影響で俳句や短歌に親しんできた。寺山修司の代表作といえば、とりあえず「マッチ擦るつかの間の海に霧深し 身を捨つるほどの祖国はありや」だろう。
 20歳を過ぎたころ、寺山修司の『われに五月を』を読み、衝撃を受けた。現代短歌に引き込まれ、歌を詠み始めた。当時、研究修行などは上の空で、青春の愛と苦悩を歌にこめていたことを思い出す。

寺山の世界にはいつも海がある。たとえば、戯曲『血はたったまま眠っている』の中の一場面、若い革命家が追い詰められ、袋小路に逃げ込む場面。絶体絶命、と、そこにひとつの扉、それをあけると青森の冬の荒海・・・。どんなつらい朝もむごい夜もいつかは終わる。そう、それはたぶん死ということなのだろう。

ハイネが思い起こされる歌集『空には本』のなかの一首、
 吊るされて玉葱芽ぐむ納屋深く ツルゲーネフを初めて読みき

寺山が亡くなったのは1983年の5月4日、あの頃、私はどこにいたのでしょう。だれといたのでしょう。

寺山は鬼才だ。盗作事件もあるし、のぞきでとっつかまったこともある。
でも、みずみずしい青春を歌わせたらぴかいちだ。

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