3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

R.シュトラウスの「春」『四つの最後の歌』を歌うーその2

2013-02-21 00:21:45 | 日記
若い歌手がこの難曲をうたっているのを見聞きするが、中身がない人だとひどく退屈である。
歌うということは人生をうたうので、人生経験が乏しく、思想のない人だと結局技術的には高度でも、聞き手にはなにも伝わらない。
観客に伝えるようにというが、そうではないと思う。
歌手のなかに伝えたいことがあれば、そのように歌うので、観客はそれを感じ取ることができるというものなのではないかと思う。

よい声で発音をきれいに歌ってもねえ、中身がなければ、はい上手に歌えました。さようなら、ということになる。

プロの歌手、またはプロをめざす歌手のたまごには、中身を磨けといいたい。
結局、中身がないからへたっぴなのですよ。そこの音大出の御嬢さん!

ピアノだって弦だってそうです。
芸術なので、結局、思想がとわれるというもの。


歌詞の意味、詩人がどのような人生の時期に、その詩を書いたのか、背景を徹底的に研究すれば、おのずと歌い方はみえてくるだろう。

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