3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

一橋大学教授 小塩隆士 の 年金制度を考える(2) 横たわる世代間格差 

2015-10-06 13:51:42 | 現代社会論
年金の問題は世代間の対立で語られやすく、なかなか難しいものである。

日経でこのところ年金制度の話が連載されている。

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2015.10.1
経済教室やさしい経済学公共政策を考える 第8章 年金制度を考える(2) 横たわる世代間格差 一橋大学教授 小塩隆士

 年金は高齢層ほど有利で、若年層ほど不利になっていると指摘されることがあります。一方で、世代間格差なんかにこだわるなという意見も根強くあります。

 公的な年金制度が導入される前は、人々は自力で自分で親を扶養してきました。その世代は、年金が導入されると高齢になった際、若い世代から集めたお金を分け合うという形で扶養されることになり、かなり得になります。本人はあまり保険料を支払っていないのに、年金を受け取れるからです。それ以降の世代は、自分でまるまる保険料を払っているので、その分を考えると不利になります。

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確かにそうだが、高齢者の人々は私的な扶養で自腹を切ってきたわけで、途中で年金制度ができてよかったのだから、制度が切り替わる時期の問題なので、仕方ないのではないかと思うんだが。切り替えの時期には少しは得する人もでるだろうにね。

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小塩先生は続ける。 

  年金によって、親の扶養が私的なものから公的なものに移行したのだから世代間格差は軽視してよいという説明で現行制度をそのまま肯定するのは行き過ぎでしょう。総務省の2014年の家計調査によると1世帯当たりの貯蓄残高は、世帯主が30代では610万円なのに対し、60代以上は2400万円を超えていることにも注意が必要です。
 そもそも、不安定な非正規雇用に就き、低い賃金から年金保険料を無理して支払っている若者が、そんな説明で納得するはずがありません。負担が重くなる将来世代も、なんとかしてほしいと思うでしょう。世代間格差の問題は、けっして軽視できません。
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60代以上の貯蓄残高は2400万だとか。
退職金があるからそのくらいはあるだろうに。
その後は、年金生活になるのだから、このくらいはあっても安心できないのである。
60歳で年金生活になったとして、実際には、90歳までいきたとするとどうなんだ。
家計調査なんかをみると毎月5万ぐらいの赤字で年金だけではやっていけず、5万円程度、貯金を切り崩している。
毎月5万×12か月=60万円×30年=1800万円なければならない。
ということで、残りは600万。介護保険の自己負担や医療費など、慶弔費や自分の葬式費用などを考えると600万もあっけなく終わってしまうのである。
2400万円は羨ましい額では決してないのだ。

それに対して、30代世代は610万円の貯蓄は悲しいとおもうかもしれないが、パッと見さびしすぎるようにみえるが、30代はこれからである。
これから汗水たらして働けばもっと貯金はたまるかもしれない。若者と高齢者では、働く機会、期間が全然違うのでこういう比較はバカである。

それに、これは平均であるので、実際、高齢者で2400万円の貯蓄がある人がどれくらいか微妙である。
ゼロの人もたくさんいて、億の人もいるだろう。
年金、貯蓄、一言では語れないものなのである。

そもそも、年金はビスマルクにしてもイギリス福祉国家にしても、まさかの時のために健康時にためておくというシステム、しかも、仲間を募ってというシステムである。多くの仲間がいればいるほど、制度は安定するというもの。

だから、賦課方式なのである。
積立では、危ないのである。

年金医療福祉は歴史的形成過程をきちんと学びあるべき姿を描く必要があるだろう。

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大村智先生のノーベル賞ー東大や京大でないところがいいよね

2015-10-06 13:09:32 | 現代社会論
1935年生まれ、80歳
山梨韮崎のご出身

実家は農家で、農家を継ぐということで、農作業を兄弟で子どものころからやっていた。
80歳で地方の農家の息子となれば、大きな農家であっても農家を継いで行くのだから、大学はなしだ。ふつうは。
しかし、大村先生のお父さんは大学に行きたいならと許してくれた。
お母さんはもと先生で養蚕のノートを丁寧に書いていたとか。

山梨大で農学を学び、墨田工業高校の定時制の先生になった。
定時制高校の理科の先生をしていた。高校生たちが油まみれになりながらも夜の授業に出てくる姿に心うたれ、
自分は大学に行かせてもらったのに、もっと勉強しなければとおもったという。
その後、教育大の研究生、理科大の大学院に進学し、それから、快進撃が始まる。

このころの墨田工業高校の生徒はえらい!
そのころの高校生は今何をやっているのだろう。
こういう定時制高校で大村先生のような先生に学んだ高校生は、その後、日本のものつくり技術大国の基礎になったのではないだろうか。
大学卒ではないけれど、日本のものつくりを支える人々。
こういう地道な信頼できる労働者が確かに日本を支えてきた。

80歳ぐらいの人たちは、行きたくても大学に行けなかった人は大勢いる。
能力があっても農家の後継ぎで終生農業従事者として働き一生を終える人たちがたくさんいた。
大村先生もそのままだったら、農業従事者でおわったかもしれない。
80歳ぐらいの人たちで大学に行った人とそうでない人のその後の人生の違いは相当なものである。
おとこの兄弟はそれでも大学に行かせてもらえたが、女は女学校でおしまいで、結婚していった。


ちょうど日本の産業構造が農業社会から工業社会へ移行する時期だった。
農業を離れ、工場労働者になっていった人もたくさんいるのだろう。
その後日本の農業は廃れていく。
いろいろなことを考えさせてくれる大村先生のノーベル賞である。

地方国立大学は今や沈没しそうである。
地方の優秀な高校生はどこへいくのか。
工業高校も今はなんとなく、暗い感じである。
大学は全入の時代。
日本の教育は混乱しているように思える。
どういう境遇の子どもでも思い切り勉強できる環境を整える必要があるだろう。


中村修二は徳島大学
大村智先生は山梨大学

かつての地方の国立大学の実力を見せつけられる大村先生のノーベル賞である。

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