サッカー日誌 / 2011年07月31日


「なでしこ」今後の課題は普及


大住良之さんのお話から

日本サッカー史研究会7月例会
(7月25日 東京・東中野テラハウス)

★「女子サッカー」をテーマに
 日本サッカー史研究会の7月例会は、いつものJFAハウス(日本サッカー協会)の会議室ではなく、ビバ!サッカー研究会がよく借りている東京テクニカル・カレッジ東中野校舎(テラハウス)を使わせてもらった。サッカー協会が節電のため7月~9月は、夜は事務所を閉めることにしたからである。テラハウスも、ロビーなどの照明は最小限にしてあって薄暗かった。
 節電には協力したい。日本のエネルギー政策の今後の課題は、まず節電、ついで原子力依存からの脱却、地域ごとの再生可能エネルギー自給自足である。
 サッカー史研究会の今回のテーマは「女子サッカーの歴史」だった。女子サッカーに詳しいジャーナリストの大住良之さんにゲスト講師として来てもらった。「なでしこ」が世界一になる前から予定していた企画である。

★女子リーグの安定を
 歴史がテーマだったが、女子ワールドカップのすぐあとだったので、「なでしこジャパン」の話も出た。大住さんは「なでしこは世界一になったが、日本の女子サッカーは、まだ世界一ではない」と話した。
 米国、ドイツ、ブラジルの3強にくらべて実力的に差があるだけではない。日本の女子サッカーは、まだまだ裾野が狭い。最大の課題は「普及」だ、ということだった。
 具体的な対策として、第一に「なでしこリーグ」の安定を図らなくてはならない。しかし、女子リーグの完全プロ化は難しい。まずはJリーグの各クラブが「女子」の部門をもつように義務づけてはどうか。Jリーグができるときユース以下の年齢のチームを持つことを義務づけた。そのとき「女子」も加えるよう、大住さんが働きかけたが採用してもらえなかったという。「なでしこ」にスポットライトの当たっている今こそチャンスである。

★中学生年代にテコ入れを
 第二の課題は、中学生年代のテコ入れである。小学生年代では、女の子も男の子といっしょにプレーできる。それによって伸びてきている。しかし、中学生年代になると、そうはいかなくなる。
 ところが、女子サッカー部のある中学校は非常に少ない。登録プレーヤー数は、小学生年代は増え始めているが、中学生年代になると落ち込んでいる。これを何とかする必要がある。とりあえず、中学生年代で、女子のプレーヤーの数が男子の1割になることをめざして対策を考えなくてはならない。
 以上のような大住さんの考えに、ぼくは大筋として大賛成である。全国の女の子たちが、楽しく、いいサッカーができる環境を整えることが、もっとも重要である。今回の「世界一」を、そのための「契機」にしなければならないと思う。


ゲスト講師の大住良之さん。



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サッカー日誌 / 2011年07月22日


森孝慈さんの思い出(続)


浦和レッズ創設の苦労
(7月21日 通夜 東京・世田谷区瀬田)

◇松本暁司さんの語る思い出
 森孝慈さんのお通夜に行くために田園都市線の用賀駅から歩いていたら、松本暁司さんといっしょになった。
 浦和南高の名監督として一時代を築き、のちに埼玉県サッカー協会会長などを務めた方である。
 「森さんは浦和レッズを立ち上げるときに非常に苦労したんですよ」と暁司さんが、
歩きながら思い出を語った。
 森孝慈のオリンピック代表選手として、あるいは日本代表チームの監督としての仕事は、よく知られているが、その後の苦労は、あまり語られることはない。
 日本代表監督を辞任して間もなく、日本にもプロサッカーの時代が来る。森さんは、三菱のサッカーをJリーグに加えるための仕事をした。

◇練習場を探し歩く
 三菱重工人事部の仕事に戻っていたが、重工のビジネスは大企業や官公庁が相手である。サッカーのプロ化を認めてもらえそうにない。そこで、サッカー部を三菱自動車に移し、みずからも籍を移した。一般消費者相手の自動車ならプロサッカーによるPRのメリットもあるだろう、という読みである。
 いろいろないきさつがあって埼玉に本拠地を求めてクラブを立ち上げることになった。受け入れ側の埼玉県サッカー協会の役員として暁司さんが協力した。
 「スタジアムは浦和駒場を使えることになっていたんですけどね。練習場がない。二人いっしょに車で浦和近辺を回って候補地を探したこともありました」と暁司さんはいう。
 大三菱が背景にあってもクラブ創設は容易ではなかった。6万3千人収容の埼玉スタジアムと周辺の芝生フィールドを使っている現在の浦和レッズからは想像出来ない話である。

◇ドイツとの縁が深かった
 葬儀会場には多くの供花の札が並んでいた。そのなかにルンメニゲなどドイツのサッカー関係者の名前も目立った。
 森孝慈は日本代表監督に就任する前に、ドイツへコーチ留学に派遣されている。その前にも、日本代表チームの選手として何度もドイツに遠征している。三菱では二宮寛監督が協力を求めたボルシア・メンヘングラッドバッハのバイスバイラー監督のサッカーも学んでいる。ドイツとの縁はとくに深かった。
 ドイツのスポーツのクラブ組織とプロのあり方をよく知っていたから、浦和レッズのクラブを立ち上げるときにも、それをイメージしていただろう。
 東京オリンピックの直前に代表選手に選ばれた事情、ドイツのスポーツ事情についての考えなど、聞いておきたいこことが、たくさんあったのだが……。




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サッカー日誌 / 2011年07月21日


森孝慈さんの思い出


プロ導入を提唱した先覚者
(7月17日 ガンのため死去、67歳)

★女子W杯決勝の日に悲報
 女子ワールドカップ決勝戦の日に、森孝慈さんの死去をドイツで知った。女子の日本代表が世界一の晴れ舞台に立とうとしているときに、男子ワールドカップの入り口に日本のサッカーを立たせようと苦労した仲間の死を聞いて胸の痛くなる思いがした。
 「森ちん」(とみんなから呼ばれていた)は、1964年東京と1968年メキシコの二つのオリンピックの代表選手として、また1980年代の日本代表チームの監督として知られている。しかし、ぼくとしては、日本のサッカーにプロフェッショナリズム導入しようと苦闘した先覚者一の人として、森孝慈の名前を歴史に留めたい。
 1980年代までの日本のサッカーは、ワールドカップの決勝大会の入り口が遠くに見えるところに立ち止まっているレベルだった。日本代表の監督として、森孝慈はなんとか、その入り口に近づこうと苦労した。

★協会に抗議して監督辞任
 日本代表監督には1981年に就任、少しずつチームをまとめた。しかし1986年メキシコ・ワールドカップの予選では、あと一歩のところで晴れ舞台への扉を開けなかった。「いいチームになった」と評価する人は多かったのだが、韓国に勝てなかった。
 森監督は「日本のサッカーもプロにならないと世界の扉は開けられない」と考えた。ライバルの韓国のサッカーが3年前にプロ化されていたこともあった。
 しかし、そのころ日本体育協会は偏狭なアマチュアリズムに支配されていて、世界に類を見ない奇妙なアマチュア規程で加盟団体を縛っていた。そのため日本サッカー協会はプロを認めることができなかった。
 森監督は「競技者(選手)が無理でも、せめて監督は専従に」とプロ契約を求めたが、協会が認めなかったため、1986年3月で日本代表の監督を辞任した。

★浦和レッズの創設に尽力
 この間の事情を森孝慈さん自身の口から話を聞きたいと思って、ぼくが幹事役をしている「日本サッカー史研究会」で話をしてくれるよう頼んだことがある。森さんは快く引き受けてくれたのだが、喉頭ガンの手術をしたあとで「大きな声が出ないから、回復するまで待ってくれ」ということだった。しかし病はしつこかった。約束が実現しないまま、永遠のお別れになってしまった。
 森ちんが日本代表の監督を辞任した直後に、日本のアマチュアリズムは崩壊し、体協アマチュア規程は撤廃され、Jリーグ創設への道が開けた。
 その後、三菱サッカー部のプロ化、浦和レッドダイヤモンズの創設に尽力し、1992年に
レッズの監督を務めるなど、生前にプロ化の時代を味わうことができた。それは、せめてもの慰めである。



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サッカー日誌 / 2011年07月19日


「なでしこ」世界一と今後の課題


女子ワールドカップ観戦日誌(25)

7月18日(月)
 最優秀選手:澤 穂希(28.4%)
 得点女王:澤 穂希(5得点、1アシスト)
 オールスターチーム:MF 澤 穂希、大野 忍、宮間あや
GK 海堀あゆみ
 フェアプレー賞:日 本
 
★澤穂希が個人賞独占
 一夜明けると、決勝戦の激闘も、「なでしこ」を黄金色に包んだはなやかな表彰式も、夢のようである。
 表彰式では個人賞の発表もあった。最優秀選手のゴールデンボール賞、得点女王のゴールデンブーツ賞をともに澤穂希が獲得した。
 最優秀選手は、FIFAの技術委員があげた候補の中から、1位から3位までを取材記者の投票で選ぶ。澤の得票率28.4%は低すぎると思った。投票は決勝戦終了のときが締め切りだが、多くの記者は決勝戦が始まる前に投票したのだろう。決勝戦を見れば文句なしに澤のはずである。2位はワムバック(米国)の17.5%、3位はマルタ(ブラジル)の13.3%だった。
 フェアプレー賞を優勝と合わせて日本がとった。すばらしい。

★ドイツの新聞でも一面を飾る
 翌朝のドイツの新聞では「なでしこ」の大きな写真が一面を飾っていた。地元の高級紙、Frankfurter Algemeineもスポーツページのフロントは「なでしこ」一色だった。日本のスポーツのレベルの高さを示し、女性の地位が低くないことを欧州の大衆に認識させた点では、オリンピックの金メダルよりも、女子ワールドカップ優勝のほうが、はるかに上だろう。世界のスポーツ、大衆のスポーツのサッカーならではのPR力である。
 日本からは文部副大臣、米国からは副大統領夫人が決勝戦のVIP席に駆けつけたらしい。この点では、女性を送った米国のPRのほうが上である。日本も首相夫人を送りこむくらいであって欲しかったが、国内の政局多難で世界に目を向ける余裕がないのだろう。
 「なでしこ」が帰国したあと、首相官邸で管直人総理が会うらしい。遅ればせながら、日本政府もスポーツの世界一の価値を認めたのだろうか?

★女子サッカーの地位向上
 日本の決勝進出が決まったあとの記者会見で、ドイツ人の記者が「ドイツの選手は、優勝すれば一人6万ユーロ(約670万円)の賞金をもらえるはずだったが、日本選手は優勝すれば、いくらもらえるのか?」と質問した。佐々木則夫監督は「記念の腕時計くらいはもらえるでしょう」とユーモアで答えた。
 「なでしこ」の世界一が決まったあと、日本サッカー協会のスポンサーである「キリン」が、一人100万円を提供すると申し出たというニュースを聞いた。これも[遅ればせ]である。
 「なでしこ」は、決勝戦の翌日、午後の早い便で帰国した。男子の日本代表「サムライ・ブルー」の海外遠征の航空機の座席はビジネスクラスだが女子はエコノミーだという。
 日本の女子サッカーの地位を向上させるのは、これからの課題である。
 

ドイツの新聞を飾った「なでしこ」。



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サッカー日誌 / 2011年07月18日


「なでしこ」、自主性の世界一


女子ワールドカップ観戦日誌(24)

7月17日(日) 
決勝
日本 2対2(延長 PK) 米国(20:45 フランクフルト) 
[得点]後半24分(米)モーガン
    後半36分(日)宮間あや
  延長前半14分(米)ワムバック
  延長後半12分(日)澤穂希

★壮絶、激闘、最高のドラマ
 これほど壮絶でドラマチックな試合は、めったにない。スポーツの取材を50年以上続けて、男子のワールドカップは1970年メキシコ大会以来、11回連続で見てきたが、そのなかでも指折りの激闘だった。日本の試合では文句なしに最高である。
 断然の優勝候補だったドイツ、米国を破っての世界一。「なでしこジャパン」の快挙は、世界の女子サッカーの歴史のなかで、いつまでも語り継がれることになるだろう。
 立ち上がり20分間以上の米国の強攻をしのぎ切り、前半を0対0に持ちこたえたのが、まずよかった。米国の2度のリードに屈せず、落ち着いて反撃して延長、引き分け、PK戦に持ち込んだ粘り強さがすばらしかった。
 PK戦では米国の1人目と3人目のキックをゴールキーパーの海堀あゆみが見事にはじき出した。2人目のキックはバーを越えた。3人連続失敗は珍しい。これもドラマだった。

★選手たちが考えてプレー
 120分以上にわたるドラマを生んだ要因は、いろいろある。そのなかで「なでしこ」たちが、自分たちの判断を強い意志の力とチームワークで生かしたことを、まず取り上げたい。
 後半21分に佐々木則夫監督は、ストライカー2人を新戦力として交代出場させ、それまでトップに置いていた川澄奈穂美をサイドに出した。その直後に米国に先取点を奪われた。
 川澄は監督に「もとのポジションのほうがいい」と提案した。「選手たちが自分たちで考えてプレーしているんです。監督としては話したくないことですけど……」と佐々木監督は冗談まじりに明かした。
 ゴールキーパーは海堀だけが使われたが、控えの山郷のぞみ、福元美穂と3人でいつも反省や対策を話し合っていた。フォワード、中盤、ディフェンダーも、それぞれグループで選手だけの話し合いをしていたという。

★日本のスポーツを変える契機に
 2度目のリードを奪われたあとの延長後半、米国は後方を固めて守りに入った。「なでしこ」は疲れが極限にきているから、走ってパスを組み立てたり、ドリブルで突破しようとしたりしても、力も技術もある米国の守りを崩せない。
 そのとき「なでしこ」は、米国の守備網の頭越しに放り込みを始めた。背の高い相手に放り込みをするのは、ふつうは適当でない。しかし、この場合は相手のゴール近くにボールを送ってチャンスを作り出そうという考えである。それが成功してコーナーキックになり、宮間のキックをニアに走り込んだ澤が決めて2度目の同点になった。
 選手たちの自主性と、それを認めた監督の包容力が、世界一をかちとった「なでしこ」の基本にあったのではないか? この世界一が、日本のスポーツに多い「おれについて来い」式の指導を変えるきっかけになれば、画期的である。


黄金の光のなかの表彰式。





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サッカー日誌 / 2011年07月17日


女子は三決もおもしろい


女子ワールドカップ観戦日誌(22)

7月16日(土) 
3位決定戦
スウェーデン 2対1 ランス(17:30 ジンスハイム) 

★勝って手放しの喜びよう
 スウェーデン対フランスの3位決定戦を見て「女子の3位決定戦はおもしろい」と思った。男子では優勝を逃した「抜け殻」同士になって真剣さに欠けることもあるが、女子は金メダルを逃しても、勝負にこだわって、けんめいにプレーするようだ。
 試合が終わった瞬間、勝ったスウェーデンは全員飛び上がって手放しの大喜びだった。一方、負けたフランスは地面にへたり込んだり、ぶっきれて怒鳴り散らしたり、悔しさをぶちまけていた。「3位にそんなにこだわっているのか」と、びっくりした。
 なかなかの好試合だった。前半29分にスウェーデンが先制、後半11分にフランスが追いついて、せめぎ合いになった。スウェーデンは後半23分にレッドカードによる退場者が出て10人になったが、後半37分にコーナーキックからつかんだチャンスを生かして決勝点を挙げた。

★フランスはリヨンが主力
 フランスは「オリンピック・リヨン」(FCF Olympique Lyonnais)のメンバーが主力である。先発メンバーのうち7人がリヨン所属、守備ラインは4人ともリヨンだった。前半32分にゴールキーパーが負傷退場し、交代で出てきたのがリヨン所属だったので、後方の守りは全員リヨンになった。
 スウェーデンはエースのロタ・シェリンのワントップだった。シェリンの所属クラブは、フランスの「オリンピック・リヨン」である。つまりフランスは、クラブの得点王を、同僚たちが寄ってたかって防ぐ形だった。
 フランスの2人のストッパーのうちの1人には、身長1m87㎝のレナードが起用されていた。知り尽くしているシェリンへの対策として起用されたに違いない。
 欧州勢同士の対戦のおもしろさである。

★ツボにはまると鋭い
 フランスのストッパーは2人ともアフリカ系である。シェリンのスピードと足技をよく押さえていた。
 フランスは前半、リードされると32分にトーミスを交代出場させた。これもアフリカ系である。後半に入っての同点ゴールは、このトーミスが決めた。俊敏でスピードがある。
 スウェーデンの決勝点は、後半17分に入ったハマーシュトロームだった。判断もプレーもちょっと遅いように見えていたのだが、1人をかわしてシュートしたときの、すばやさと巧さは見違えるようだった。
 「なでしこ」に比べると、スウェーデンもフランスも、全体としては、ボール扱いが巧いとは言えない。しかし、自分のツボにはまったときには鋭い武器をもっているようだ。
フランスは毛色の違う選手が加わっているところもおもしろい。


VIP席に上がってメダルを受け取ったスウェーデン選手。


※前日の日誌の訂正 女子チームスポーツで、日本が世界的大会の1位になったものに2008年北京オリンピック金メダルのソフトボールがありました。訂正、追加します。

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サッカー日誌 / 2011年07月16日


日本スポーツ史の「なでしこ」評価


女子ワールドカップ観戦日誌(22)

7月15日(金) 
試合なし

★「本当の世界一」争い
 「なでしこジャパン」の決勝進出は、サッカーだけでなく日本スポーツの歴史全体からみても最高の出来事である。
 サッカーのワールドカップは、ほかのスポーツとは違って、プロもアマチュアも参加する「世界選手権」である。ほかのスポーツでは、世界選手権以外の国際大会を「ワールドカップ」と称しているが、サッカーのワールドカップは本当の「世界一のタイトル」を争う大会である。タイトルの重みが違う。
 チームスポーツで、日本が世界一になった例としてはバレーボールがあるだけである。女子ではオリンピックで2度、世界選手権で3度の金メダル獲得がある。男子はオリンピックで1度、金メダルを獲得している。しかし、いずれも1970年代まででアマチュアだけの大会だった。また、バレーボールの世界的な普及度が低い時代だった。

★歴史は古く、普及度は高い
 世界的にはメジャーなスポーツとはいえないバレーボールでも、30年以上にわたって世界一争いから遠ざかっている。そのなかで「なでしこ」がワールドカップの決勝に進出したのは、日本の女子スポーツにとって、また日本のチームスポーツにとって、歴史的なできごとである。
 ぼく自身は、長い間「サッカーは男のスポーツ」という考えにとらわれていて、女子サッカーについて不勉強だったが、今回の女子ワールドカップを取材して、女子サッカーの歴史が古く、また欧州と米国での普及度が高いことを改めて知った。各国のメディアガイドを読み、準決勝と決勝の間の休日にフランクフルト市内の書店で女子サッカーの本を買ってパラパラッとめくってみた程度の知識だが、日本では女子スポーツについて、いや、スポーツの歴史について、ほとんど知られていないように思う。

★選手の自主性を尊重
 1960年代に新聞社のスポーツ記者として、女子バレーボールを取材したことがある。
 1964年東京オリンピックの大松博文監督は日紡貝塚のチームを主力に「おれについて来い」をモットーに厳しい練習でチームを金メダルに導いた。
 その次の山田重雄監督は綿密な練習スケジュールで日立武蔵を主力にチームを作り上げ、1968年メキシコ・オリンピックで銀メダルを獲得した。
 今回「なでしこジャパン」の佐々木則夫監督は、まったくタイプが違う。監督がチームを作り上げるのではなく、いろいろなクラブ出身の選手たちが、自分たちのイニシアティブでチームをまとめ、監督はそれを助けて、試合の用兵で手腕を発揮している。「おれについて来い」は遠い昔である。
 それが成功した点でも「なでしこ」の決勝進出は画期的だった。


「なでしこジャパン」を応援するフランクフルト市内の屋台の日の丸。



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サッカー日誌 / 2011年07月16日


米国の武器はスピードと多様さ


女子ワールドカップ観戦日誌(21)

7月14日(木) 
試合なし

★「高さ」というより「パワー」
 準決勝の日本の試合が13日の午後8時45分から始まる前に、午後6時からボルシアメンヘングラッドバッハで行われた試合で米国がフランスを3対1で破った。この試合をフランクフルトのメディアセンターのテレビで見た。そのあと日本がスウェーデンを破り、決勝戦のカードは、日本対米国になった。
 米国先発メンバーのゴールキーパーを除く平均身長は1m69cm。大型だが必ずしも「高さ」にものをいわせるチームではない。特徴はプレーヤーが疾走するスピードとキックの強さにある。武器は「パワー」である。
 もちろん「いざ」となると「高さ」もある。前線のワムバックは身長1m81cm。準々決勝のブラジルとの試合では、延長戦終了寸前に同点ゴールをヘディングで決め、PK戦に持ち込んだ。

★いろいろなタイプ、いろいろな攻め
 米国の攻め方はいろいろだ。
 準決勝のフランスとの試合。前半9分の1点目は「スピード」を生かした攻めで、オライリーの攻めこみからチェニ―が決めた。
 後半、1対1とされたあと、30分の勝ち越し点は、コーナーキックからワムバックのヘディングだった。これは「高さ」を生かした得点である。
 後半37分の3点目は、フランスの浅い守備ラインの間を通すスルーパスに合わせてモーガンが走り抜け、飛び出したゴールキーパーの頭越しに浮かせて決めた。「技あり」のゴールだった。
 トップは長身、31歳のワムバックと1m63cm、小柄な24歳のロドリゲスのコンビである。いろいろなタイプのプレーヤーがいて、いろいろな攻めができるのが面白い。

★試合開始直後の速攻
 試合が始まって15分以内の先制速攻にも注目したい。グループリーグ第2戦、コロンビアとの試合の先取点は12分だった。準々決勝のブラジル戦では開始2分に速攻を決めた。準決勝、フランス戦の先制点は9分だった。相手を研究して、あらかじめ攻め手を考え、相手がまだ試合になじまないうちにぶつけてみる。そういう攻めをしている。
 守りは、体力にものをいわせる激しい当たりが目立った。グループリーグ第3戦でスウェーデンに1対2で敗れたが、この2失点はPKとFKからだった。準々決勝の2失点ではブラジルの個人技と駆け引きの巧さを防ぎきれなかった。準決勝の1失点は、フランスのサイドからのクロスが直接ゴールにはいったものだった。
 守りが弱いとはいえないが、守りより攻めのチームである。
 優勝をめざして、よく鍛えられ、よく準備されている。


米国チームのハンドブックの表紙。



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サッカー日誌 / 2011年07月15日


日本、実力の決勝進出


女子ワールドカップ観戦日誌(20)

7月13 日(水) 
準決勝
日本 3対1 スウェーデン(20:45 フランクフルト)
米国 3対1 フランス(18:00 メンヘングラッドバッハ)

★史上最高の快挙
 日本がスウェーデンを破って決勝に進出した。すばらしい。日本サッカー史上、男子を含めて最高の快挙である。
 準々決勝でドイツに勝ったのは運に恵まれたところもあった。勝負には勝ったが、実力でドイツを上回っているとは言えなかった。しかし、準決勝は明らかに実力通りの勝利だった。
 スウェーデンのデナビ―監督は「ご覧の通りだ。日本のほうがいいチームだった。日本のプレーヤーのほうが、勝つ意思が強く、パスの組み立てがみごとで、ボール扱いが巧みだった」と語った。
 その言葉通りで、シュート数は14本対4本、そのうちゴールの枠に飛んだのは5本対2本、ボールの支配率は60%対40%と日本が完全に上回っていた。

★勝因は組織的守備
 立ち上がり10分の失点をはねかえして3点をあげたので、日本の攻撃力に注目が集まったようだが、主な勝因は「守り」にあったと思う。
 スウェーデンの選手が攻めこんでくるのを1対1で激しく当たってつぶそうとしても、相手は大柄で力強いから跳ね飛ばされてしまう。日本はチーム全員による守備で対抗するほかはない。
 ボールを奪われると、日本は前線のプレーヤーがすぐに相手の進路を制約する。中盤では2人がかりで、1人が追い込んでミスを誘い、次の1人がボールを狙う。あるいは前線から駆け戻ったプレーヤーが奪う。
 もともと日本が心掛けてきた組織的守備ではあるが、これほど、みごとにやりとおしたのは初めて見た。最高に近い完成度だった。

★「高さ」を生かせなかったスウェーデン
 スウェーデンが「高さ」を生かす攻めを、それほどしてこなかったのにも助けられた。この日の先発メンバーの平均身長は、ゴールキーパーを除いて、スウェーデンが1m72cm強、日本は1m62cm。大会参加の16チームのなかで、もっとも背が高いチームと、もっとも背が低いチームの対戦だった。
 スウェーデンがゴール前への「放り込み」を狙わなかったのは、日本の中盤の守備に、その起点を押さえられたからだろう。また、日本が低いボールをつないで攻めることを心掛けたので、そのペースに巻き込まれたためだろう。
 3対1とリードされた後、スウェーデンは後半25分に、チーム最長身、1m80cmのランドシュトロームを出して最前線に立てた。ベンチは「高さ」を生かそうと狙ったようだが、プレーヤーたちは、それに合わせたプレーができなかった。


日本が決勝進出を決めたあとのフランクフルト競技場。



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サッカー日誌 / 2011年07月14日


優勝を狙って参加したスウェーデン


女子ワールドカップ観戦日誌(19)

7月12日(火) 
試合なし

★準決勝の組み合わせ
 準決勝の組み合わせは日本対スウェーデン、フランス対米国になった。おおざっぱな言い方をすれば、2試合とも「大型対小型」「技術派対体力派」ということになる。
 大型のプレーヤーでも、このレベルになればテクニックもしっかりしているから、この表現は正確ではないが、結果として、この二つのカードは「組織力対パワー」になるかもしれない。
 準々決勝が終わった時点で、スウェーデンはにわかに優勝候補に浮上してきた。もともとFIFAランキングでは、日本に次ぐ5位で欧州ではドイツに次ぐ力が認められていたのだが、3強の評判が高かったので、その陰に隠れていた。
 ところが、地元ドイツが日本に足をすくわれ、ブラジルが米国と当たって姿を消したので欧州勢の一番手になった

★澤穂希とショーグラン
 スウェーデンのメンバーはほとんどが身長1m70cm台。最長身はランドストロームの1m80cmである。一方の日本はほとんどが1m60cm台の前半だ。最長身は熊谷紗希の1m71cm、次がゴールキーパーの海堀あゆみの1m70cm。体格では勝負にならない。
 日本とスウェーデンが似ているところもある。
 スウェーデンの年齢構成は、最年長がショーグランの34歳、最年少がゲランソンの20歳。日本はチームのまとめ役として加わっている36歳の山郷のぞみを除くと、澤穂希が32歳で最年長。最年少が岩渕真奈の18歳。日本もスウェーデンも、ベテランと若手をバランスよくそろえている。スウェーデンのほうが、やや年齢は高い。
 スウェーデンの中心はショーグラン。判断力と速さと労働量。自分のプレーでチームを引っ張っていく。日本の澤に似ている。

★注目のロタ・シェリン
 スウェーデンは女子サッカーの先進国だが、ワールドカップ、オリンピックでは、いいところまで行きながらタイトルに恵まれていない。欧州では1980年代はノルウェー、1990年代以降は主としてドイツに阻まれてきた。今回は2年後、2013年の欧州選手権が自国で開催されるので、代表チームの強化に力を入れ、ひそかに優勝を狙って来たに違いない。
 スウェーデンは女子サッカーのコーチの輸出国である。米国代表のピア・スンダーゲ監督はスウェーデン人である。中国、スコットランド、フィンランドにも代表チームの指導者を送り込んだ実績がある。プレーヤーはドイツ、フランス、米国でも活躍している。
 ロタ・シェリンはフランスの「リヨン」のエース・ストライカーとして、2011年のUEFA女子チャンピオンズ・リーグ優勝に貢献した。鋭く、すばやいテクニックでゴールを狙う。今大会、注目の27歳である。


右からショーグラン、シェリン、ゲランソン。スウェーデンのメディア・ガイド・ブックから。



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