サッカー日誌 / 2015年02月28日


サッカー史研究断章(上)


小澤通宏さんと宇都宮高
(宇高同窓会の会報から)

★敗戦直後のサッカー
 ほぼ毎月1度の割合で「日本サッカー史研究会」を開いている。
 昨年(2014年)10月の例会では、小澤通宏さんに来ていただいて、お話を聞いた。
 小澤さんは、1956年メルボルン・オリンピックの日本代表選手だった。
 当時の代表選手の多くは、戦前、戦中にサッカーをしていた人たちだった。そのなかで小澤さんは戦後にサッカーを始めた若い世代だった。
 いまとなっては、敗戦直後の日本のサッカーを語ることのできる数少ない方々の一人である。
 もっと早くに話をお聞きすべきだったのだが、広島にお住まいなので、なかなか機会がなかった。
 サッカー殿堂掲額者として表彰された祝賀会で関東に来られた機会に、研究会でお話をしていただいた

★宇都宮高の優勝
 そのときのお話のなかで、もう少し詳しく知りたいと思ったことが二つあった。
 一つは、敗戦直後の食料も物資も乏しいなかで「どのよういしてサッカーを復活させることができたのか」である。
小澤さんは県立宇都宮高校のとき、1951年度の第29回高校選手権で全国優勝している。また、そのときのメンバーから3人がメルボルン・オリンピックの代表になっている。
 そのころ、サッカーが強かったのは、浦和、藤枝、広島だった。そのなかで栃木県の進学校が強いチームになり、すぐれた選手を生み出すことができたのは、なぜだろうか?
 これが、もう一つの疑問だった。
 そのことを、あとで問い合わせたら、2月になって資料を送ってくださった。
 宇都宮高の全国優勝50年の記念行事があり、あわせて小澤さんの殿堂入り祝賀会が行なわれた。そのときに当時の思い出が掲載されている宇都宮高同窓会の記念誌を手に入れて送ってくださったのである。

★シューズを床の間に飾る
 同窓会誌の小澤さんが寄稿した「思い出」のなかに、こんな記事があった。
 敗戦直後の物資のない時期で、サッカーシューズは売っていない。
 先輩の持っていた古いシューズを見本にして、靴屋さんで革のシューズを作ってもらった。
 しかし、貴重だから、ふだんの練習では使わない。革のシューズは床の間に飾っておいて、練習では「はだし」でボールを蹴ったという。
 そういう血のにじむ苦労のなかから、日本のサッカーは復興した。そのことを、いまの若いサッカーマンにも知ってもらいたいと思う。
 小澤さんから送っていただいた資料は、自分用にコピーをとったうえで、サッカー協会のミュージアムに保管してもらうことにした。

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サッカー日誌 / 2015年02月16日


川淵三郎氏とバスケット紛争


対立2リーグの統合に乗り出す
(2月12日 NBL・bjリーグ代表者会議)

★FIBA作業チームの座長に
 川淵三郎氏がバスケットボール界の混乱解決に担ぎ出されている。元Jリーグ・チェアマン、元日本サッカー協会キャプテンの、あの川淵氏である。
 日本にはバスケットボールの全国リーグが2つある。
 それを「1つに統合せよ」と、FIBA(国際バスケットボール連盟)が要求していた。
 統合がなかなかまとまらないものだから、FIBAは業を煮やして日本バスケットボール協会を資格停止処分にした。
 このままでは、日本のバスケットボールは、7月以降に始まるリオデジャネイロ・オリンピック予選に出られない。
 そう期限をきったうえで、FIBAは直接、介入して統合のための作業チームを作った。
 川淵氏は、この作業チームのチェアマンに選ばれた(1月28日)。

★Jリーグ創設の経験を生かす
 「バスケットボールの問題に、なぜサッカーの人間が担ぎ出されたのか?」
 多くの人が不思議に思っているようだ。
 ぼくの考えでは、川淵氏に問題解決を委ねたのは適切である。誰のアイデアか知りたいものである。
 第1に、スポーツ団体の縄張りにこだわらないで、他のスポーツの人材に目を向けたのがいい。
 第2に、Jリーグ創設のときの理念と突破力を生かそうと考えたのがいい。
 バスケットボールのリーグ統一が難航しているのは、プロのクラブによるbjリーグと、実業団(企業チーム)に未練を残しているNBLとの考えが対立しているためである。
 Jリーグ創設は、実業団から転換して地域に根ざすクラブ組織によるプロを目指したものだった。
 Jリーグ創設のときの川淵氏の経験と力量が、バスケットボールでも役に立つことを期待したい。

★高いハードルを設ける
 2月に開かれたNBLとbjリーグ代表者会議で、川渕チェアマンは、2リーグを統合するための私案を示した。
 1部16チーム、2部20チーム、その他は3部とするプロ化構想である。
 川淵私案は「1部のチームは5千人以上収容の本拠アリーナを持たなければならない」という、現状では非常に難しい条件を含んでいる。
 高いハードルを設定して、それを乗り越えようとしないチームを振り落とす。これは、Jリーグ創設のときにも、川淵氏が使った「手」である。
 Jリーグ創設のときは「国立競技場は本拠としては認めない」というハードルを掲げた。
 そのため、東京のチームは、みな近県に本拠地を求め、Jリーグ発足のときには東京のチームはなかった。
 今回も、この荒業が成功するだろうか?


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サッカー日誌 / 2015年02月15日


アギーレ解任と協会の責任


「お手盛り」の幕引きでいいのか?
(2月12日 日本サッカー協会理事会)

★なぜ給与を「自主返納」?
 日本サッカー協会は、代表チームのアギーレ監督解任について、大仁邦弥会長など協会幹部の責任は問わないことを理事会で決めた。その上で、幹部が給与の一部を自主的に返納することになった。この決定を大仁会長自身が発表した。
 この措置は分かりにくい。
 協会に責任があるかないかを、協会理事会が調べて決定するのは「お手盛り」ではないか?
 自己批判して反省するのならともかく、外部から批判されている責任を身内だけで審議して「白」だといって通るのだろうか?
 責任はないとしながら、会長らの給与を「自主返納」するのは、なぜだろうか?
 責任がないのなら、自ら「罰金」を払うのはおかしいではないか?

★「組織の長」の責任
 アギーレ解任をめぐる大仁会長の対応はよかった。
 ぼくは、そう評価している。
 アジアカップの終了を待ち、スペイン司法当局の対応を見極めた上で「今後の代表チーム運営に支障が出る」という理由で、契約を円満に解除した。
 常識的な「おとなの対応」だったと思う。
 しかし、責任のとり方については理解に苦しむ。
 アギーレ監督の八百長疑惑を、契約前に知ることは困難だっただろう。だから「疑惑」を予想できなかったことを追及する気持ちはない。
 しかし、一般的にいって、組織の長は結果について責任をとる立場である。
 いろいろな事情はあったにせよ、アギーレ監督との契約が失敗だったという「結果」は、担当役員とともに大仁会長の責任である。

★契約の経緯と考えは?
 その責任を給料の「自主返納」という形でとって幕引きを図ったのは理解に苦しむ。
 金銭的な問題ではない。
 「お金を返せばいい」という性質のものではない。
 大仁会長が辞任すべきだとは思わないが、アギーレ監督と交渉し契約したときの経緯を明らかにし、結果として契約が失敗だった責任を、はっきり認めるべきだと思う。
 ブラジル・ワールドカップで日本代表が敗退し、ザッケローニ監督の退任が決まったときから、ぼくは後任の人選を急ぐべきはない、という考えだった。
 まず、日本人の監督を検討すべきだと主張していた。
 ザッケローニのあとも、今回のアギーレのあとも、なぜ、外国人探しを急いだのだろうか?
 代表監督探しの方針に問題があるのではないか。
 そうであれば、これこそ協会の責任である。

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サッカー日誌 / 2015年02月13日


石神井公園のサッカー史跡


「サムライ・ブルー」発祥の地
(2月3日 ビバ有志で視察)

★グラウンドと「昭和館」
 東京の西武池袋線「石神井公園」駅の近くに、日本のサッカーの歴史にとって重要な場所が二つある。
 一つは東京都石神井公園内の軟式野球グラウンドである。
 ここで1930年(昭和5年)に、選抜による日本代表チームの初めての合宿練習が行われた。
 もう一つは、その合宿の宿舎になった「昭和館」である。
 石神井公園駅の近くで、現在もビジネスホテルとして営業している。
 このときより前には、東京高等師範学校(現筑波大)の単独チームに他大学チームから数名の補強をして、日本代表として極東競技大会に出場していた。
 昭和5年に初めて、単独チームではなく、多くのチームから優秀選手を選抜して長期の合宿練習をし「全日本」を編成した。
 というわけで、石神井は「日本代表発祥の地」である。

★ユニフォームの色
 初の「選抜チーム」だが、選手の多くはいちばん強かった「東京帝国大学(現在の東大)」の選手だった。
 当時の「アサヒ・スポーツ」という雑誌に載っている石神井合宿参加選手の写真を見ると、多くの選手のユニフォームの胸に「帝大」と書いてある。
 白黒写真だから色は分らないが、東大のユニフォームの色は「ライトブルー」である。
 そういうわけで、このときの「ライトブルー」が、現在の日本代表チームのユニフォームの色の始まりではないか、という説もある。
 そうだとすると「石神井公園」と「昭和館」は「サムライ・ブルー」発祥の地ということになる。
 というわけで、石神井公園と昭和館を「日本サッカーの史跡」として認めてもらおうと考えて、ビバ!サッカー仲間の有志で現地視察に行ってみた。

★顕彰のイベントを
 グラウンドも「昭和館」も健在だったが、グラウンドは広大なので、昭和5年に初代の「サムライ・ブルー」がボールを蹴ったのが、どの辺りかは特定できなかった。
 公園のなかに「ふるさと文化館」という施設があった。
 そこに練馬の歴史年表が大きなパネルにして掲げられていた。ところが、昭和5年のところには何も書いてない。
 日本サッカー史上、特筆しなければならない出来事が、地元の練馬区では、まったく知られていないのである。
 「これはいかん」というので、日本サッカー史の重要な史跡として「石神井公園」と「昭和館」を顕彰する企画を、いま考えている。
 サッカー協会、東京都、練馬区が、ぼくたちのアイデアに賛成してくれることを希望している。
 実を言えば、もともとは石神井公園で「お花見」をしようという企画だった。3月下旬~4月上旬の「お花見」シーズンに、なにかイベントができないだろうか?


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サッカー日誌 / 2015年02月11日


アギーレ監督解任(下)


「臨時編成」で戦える監督を
代表チームとクラブは違う

★ゼロから「やり直し」?
 「W杯への道 ゼロから」「失われた基礎作りの半年」
 日本代表チームのアギーレ監督解任についての新聞の解説記事に、こんな見出しがあった。(2月6日付け。朝日新聞朝刊)
 「考え方が違うな」というのが、ぼくの感想である。
 ブラジル・ワールドカップ敗退のあと、アギーレ監督が就任したのは2014年8月である。
 契約した日本サッカー協会も、それを報じたマスコミも、2018年のロシア・ワールドカップまでの4年間のチーム作りを、アギーレ監督に託す考えだったようだ。
 4年間のつもりが半年で挫折したので、アギーレ監督による「基礎作り」がムダになり「ゼロからやり直し」という結論になったのだろう。
 これは、一人の監督のもとで、4年がかりで「一つの代表チーム」を作りあげるという考えである。

★「**ジャパン」は現実的でない
 この考えは適当でない。
 いま、代表選手の大半は、欧州の多くのクラブに分散して所属している。
 この選手たちを1カ所に集めて長期間拘束し「一つのチーム」としてまとめ上げるのは不可能である。
 できることは、試合ごとに代表選手を集め、そのつど戦うチームを作ることである。
 それを可能にするには、二つの要件がある。
 一つの要件は「臨時編成」でも息を合わせることのできる戦術能力を持つ選手を集めることである。
 もう一つの要件は「臨時編成」のチームを率いてまとめる能力のある監督を選ぶことである。
 4年がかりで「岡田ジャパン」や「アギーレ・ジャパン」をクラブ・チームのように作る考えは現実的でない。

★慌てることはない
 4年後のワールドカップ・アジア予選をホーム・アンド・アウェーで戦うのであれば「そのつど編成」のチーム作りをするほかはない。
 出場権を得たあとで、2~3カ月の準備期間に「一つのチーム」としてまとめるのが現実的である。
 そう考えると、4年間を想定して、あわてて次の監督を選ぶ必要はない。アジア予選は日本人監督で戦って、出場権を得たあとワールドカップ本番は経験のある監督に委ねる方法もある。
 この方法にも問題があることは承知している。
 しかし、日本人の指導者にチャンスを与えなければ、いつまでたっても、日本人の代表監督は育たない。
 当面は日本人の監督に委ねて、うまくいかなければ外国人監督を選んではどうだろうか?
 代表チーム強化についての考え方に不安を覚えている。


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サッカー日誌 / 2015年02月10日


アギーレ監督解任(中)


後任監督の選び方
(2月6日 協会技術委員会)

★候補は外国人だけ
 アギーレ監督の後任を早急に決める必要がある。
 3月下旬に親善試合の日程が組まれているからである。さらにワールドカップ・アジア予選の日程が迫っている。
 日本サッカー協会は、後任を3月7日のJリーグ開幕までに決めたいということで選考を急いだ。
 アギーレ監督解任発表の3日後の2月6日に、技術委員会を開いて「5人前後」の候補をリストアップした。すべて外国人だという。
 その翌日には早くも、前イタリア代表のチェーザレ・ブランデリ氏が打診されたが「辞退の意向」というニュースが、イタリアのANSA通信社から流れてきた。
 申し出があったからといって、すぐ飛びついたら足元を見られるから高い報酬を要求できない。だから「辞退の意向」を示しているのかもしれない。
 通信社の報道自体がアドバルーンかもしれない。

★監督の報酬が良すぎる?
 一方、日本側は「ほかにも候補はいるよ」と、ゆさぶりをかけながら交渉しなければならない。だから候補は「5人前後」なのだろうか?
 お互いに、駆け引きが始まったところである。
 それにしても……。
 なぜ、候補のなかに日本人はいないのか? 
 なぜ「最初に外国人ありき」なのだろうか?
 優秀な外国人監督が世界に溢れているからだろうか?
 そうであれば「買い手市場」だから、比較的安い給料で外国人監督を雇えるはずである。
 ところが、日本代表チームの監督の報酬は、ほかの国にくらべて「良すぎる」という噂である。
 そのために、外国の代理人による売り込みが多いのかもしれない。

★日本人ではダメなのか?
 外国人監督の場合、欧州や南米からアジアの果てまで来るのはたいへんだから、高い報酬を出さなければならないのはやむを得ないのかもしれない。
 しかも、監督本人だけでなく、ゴールキーパー・コーチやトレーニング・コーチなどを引き連れてくるようになっているから協会の出費は相当な高額になるはずである。
 そうであれば、地元日本の監督を起用したほうがいい。
 経費が少なくてすむだけではない。
 選手とのコミュニケーションを十分にとることができる。
 ワールドカップ予選の相手になるアジアのサッカーについても、よく知っている。
 なぜ、日本人ではダメなのか?
 日本チームの監督なのだから、まず日本人の候補を検討するのが普通ではないか?
 日本には優秀な指導者がいないのだろうか?


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サッカー日誌 / 2015年02月09日


アギーレ監督解任(上)


協会の決断を支持する
(2月3日 大仁会長が発表)

★「疑わしきは罰せず」だが……
 日本代表チームのハビエル・アギーレ監督を、日本サッカー協会が解任した。
 スペインのクラブの監督だったときに八百長に関係したという疑惑がある。それによる告発をスペインの検察当局が受理した。それが確認されたからだという。
 この問題については、噂が出たときから、ぼくの考えは一貫している。「疑わしきは罰せず」である。
 疑惑だけの段階で一方的に解任するのはよくない。
 「契約は履行しなければならない」というのは、人の世の鉄則である。
 告発が受理されても起訴されるかどうかは分らない。裁判になっても有罪判決が出るとは限らない。勝手に有罪だと決め付けるのは不当である。
 告発が受理された段階でも「疑わしい」だけの状態であることに変わりはない。

★タイミングも適切
 アギーレ解任が発表されたあと、複数のマスコミから電話で考えを聞かれた。「疑わしきは罰せず」という考えを以前に書いていたので「解任は不当だ」という意見を期待されていたのかもしれない。
 しかし、今回は「解任はやむをえないし、タイミングとしても適切だ」と答えた。
 捜査がはじまり、あるいは裁判がはじまったら、スペインで検察や裁判所に出頭しなければならない。そうなると、日本へ来て代表チームの指導をし、国際試合の指揮を取る時間を取れなくなるおそれがある。そういう状態で契約を維持しても意味はない。
 日本サッカー協会の大仁邦弥会長は「そういう事態だ」と判断したようである。
 ワールドカップのアジア予選を控えている。アジアカップが終わった時点で決断したのは適切だった。

★円満解決を喜ぶ
 解任の理由を「八百長疑惑がある」という決め付けではなく「日本代表チームの指揮に支障が生じる」という実務上の事情にしたのも適切だった。「疑わしきを罰する」わけではないからである。
 とはいえ、日本側が一方的に契約を破棄すれば、違約金をアギーレ監督に支払わなくてはならないかもしれない。
 このような外国人との契約が「こじれた」例が、プロ野球でもサッカーでも、いくつかある。
 3年契約をしていたコーチを1年で一方的に解任して、残り2年分の報酬支払いを要求された例を知っている。
 国によって法律や習慣や考え方が違うので、お互いに対応がうまくいかないことが多い。
 いろいろな事情が入り組んでいるにもかかわらず、アギーレ監督との契約が話し合いで円満に解除できたのは良かったと思う。

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