サッカー日誌 / 2013年04月30日


東京五輪開催計画批判(4)


東京湾オリンピック
コンパクト配置の大きな問題

★湾岸に詰め込んだ施設
 オリンピック2020の東京招致計画では競技会場の85%が選手村から半径8キロメートル以内に配置されることになっている。その「コンパクト」さが「売り」である。
 しかし、この施設配置には無理がある。
 37会場のうち21会場が晴海、夢の島、お台場など東京湾の埋立地の中である。三方は海に囲まれ一方も運河などで陸地から隔たれた島に多くの競技場を詰め込むことになる。
 東京オリンピックというより「東京湾オリンピック」といったほうがいい。
 水泳会場の2万人をトップに、競技場のほとんどは広い観客席を備える。13の競技場が1万人以上収容のスタジアムや体育館である。
 オリンピックのときには十数万人の人びとがベイエリアに殺到することになる。

★関係者のための便利さ
 東京が2016年大会に立候補したときは、メーンスタジアムも湾岸埋立地内に新設することになっていた。
 ところが、IOCの調査委員会が「10万人の観衆の出入りをこの地域でスムーズに行なえるのか」と指摘した。
 そこで今回、2020年大会の招致計画書では、メーンスタジアムは、神宮外苑の国立競技場建て替えに変更した。
 しかし今回も大部分の競技施設が湾岸埋立地の狭い地域に集中しているのだから問題点は変わっていない。
 選手村、役員のホテル、報道関係の施設もベイエリアのなかに造る。計画書は「会場に短時間で移動できる」とうたっている。たしかに選手や役員の車はパトカーの先導でスムーズに移動できるだろう。
 しかし大衆の交通手段は限られている。不便と混雑を覚悟で、東京湾へ行かなければならないのではないだろうか?

★都市計画が見えない
 大きな疑問は、東京都全体の都市計画との関係が見えないことである。
 2012年ロンドン・オリンピックでは、ロンドン市東地区の再整備を施設建設に結びつけた。
 貧しい人たちが住んでいる荒れた地域を、スポーツの施設を作ることで再生させた。
 2020年東京オリンピックの施設計画は、未来の東京のイメージと、どう結びついているのだろうか?
 野放図に人口が集中し巨大化した東京から莫大なゴミが生み出された。そのゴミ捨て場を東京湾に求めて埋立地が作られた。それは海辺で生活していた生き物の環境を破壊し、ヒトも含めた生態系に影響を与えている。
 オリンピック施設を都市計画無策の免罪符にしたいのだろうか? そうであれば、埋立地の巨大スポーツ施設が未来の東京にどう役立つのかを示さなければならない。

(注1)「コンパクト五輪」批判は、このブログの2009年3月7日付けにも書いている。「東京五輪招致に反対する(3)」

(注2)東京オリンピック招致と湾岸環境破壊については、雑誌「世界」の記事で取り上げられている。
「世界」2013年5月号。永尾俊彦「ルポ 問題だらけの東京オリンピック招致」

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サッカー日誌 / 2013年04月24日


東京五輪開催計画批判(3)


神宮外苑再整備計画への疑問
(東京都都市計画審議会。5月17日=予定)

★新競技場工費の財源は?
 2020年オリンピックの東京開催計画では、明治神宮外苑に建て替える新国立競技場をメーン・スタジアムに当てる計画になっている。
 公表された新国立競技場のデザインは、世界の建築技術の総力をあげて実現したい「夢のスポーツ建築」である。
 だが大きな問題がいくつもある。
 一つは競技場本体だけで1300億円以上と見積もられている工費の出所である。
 国立だから日本国政府が、競技場本体の工事費を出すのだろうか? 
 東京オリンピックのためだから東京都が負担するのだろうか? 
 トトをあてにしているという報道もある。そのために、Jリーグだけでなく、他のスポーツや外国の試合にも、トトの対象を広げようという案が出ている。

★外苑全体の再整備
 新国立競技場は、開閉できる屋根を持つドームの陸上競技場として構想されている。
 これは現在の国立競技場を改築するだけではできない。敷地面積が十分でないからである。周辺の公園部分や近くの日本青年館、民間のアパートなどを含めて再整備する。
 東京都は周辺の明治神宮外苑再整備計画を作っている。それを5月に都市計画審議会にかけることになっている。しかし、この計画案の問題点は、ほとんど報道されていない。
 整備計画自体が正式には決定していないのだから、東京都がIOCに提出した開催計画書には書かれていない。
 開閉会式と陸上競技を行うメーン・スタジアムと、その周辺の具体的な建設計画を明確にしないままで、オリンピックの東京招致が進んでいるわけである。

★多くの未解決の問題
 明治神宮外苑地域の土地はいろいろな団体あるいは個人が所有している。国立競技場と秩父宮ラグビー場は国のものである。ほかの大部分は宗教法人明治神宮の所有地である。
 外苑一帯を利用している団体もいろいろである。
 大学野球、プロ野球、ラグビーなどである。宿泊設備、学校、アパートなどもある。そういう団体や個人の利権を調整しなければならない。
 明治神宮外苑の再整備は、都市計画審議会の承認を得たうえで関係者と協議することになる。
 このように、東京オリンピック開催計画は、いくつもの未解決の問題を抱えている。
 そういう問題を明確にしないままオリンピックを「錦の御旗」に明治神宮外苑再整備を強行するつもりだろうか?

(注1)神宮外苑再整備計画の手続きについては、
東京都の公式ホームページ http://www.metro.tokyo.jp/ 
に掲載されている。
(注2)外苑再整備計画については東京新聞2013年2月4日付都内版で報道された。 
(注3)外苑地域のアパートについては、雑誌「世界」の記事のなかで取り上げられている。
 「世界」2013年5月号。永尾俊彦「ルポ 問題だらけの東京オリンピック招致」

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サッカー日誌 / 2013年04月17日


東京五輪開催計画批判(2)


新国立競技場は「絵空事」
(2012年11月15日 デザイン発表)

★流線型の外装デザイン
 2020年オリンピックの東京開催計画では、国立競技場を取り壊して新しいスタジアムを建設することになっている。
 新国立競技場は巨大なドームにする構想である。
 開閉式の屋根の下に陸上競技のトラックとフィールド、8万人収容の観客席を設ける。
 そのデザインは公表されている。巨大だが大空を超スピードで飛べそうな軽やかな流線型の外観だ。
 国立競技場を管理している日本スポーツ振興センターが公募し、46点の応募の中からロンドン在住のザハ・ハディドさんの作品が選ばれた。
 ただし、公表されているのはデザインだけである。工事をどう進めるのか? 周辺はどのように変わるのか? 1300億円と言われる工事費は、どこが負担するのか?
 具体的なことは、なにも決まっていない。

★立候補ファイルの最大の弱点
 デザインが公表されたのは、2012年11月15日である。
 その53日後に、東京都の招致委員会がIOCに「立候補ファイル」(開催計画書)を提出した。その中に、この外観デザインがカラーで大きく掲載されている。高層ビルの立ち並ぶ東京の夕暮れの写真が背後に配されている。
 完成予想図と言いたいところだが、建設への具体的な計画は立っていないのだから、文字通りの「絵空事」だ。
 2020年のオリンピックが東京に決まれば、新国立競技場で開閉会式と陸上競技、サッカー、ラグビーが行われる。
 IOCに提出する開催計画書に、そのメーン・スタジアムを掲載しないわけにはいかない。そこで、間に合うようにデザインだけは公表したのだろう。
 メーン・スタジアム建設の具体的な見通しがたっていないのは、東京の開催計画の最大の弱点である。

★落選すれば規模縮小?
 平成25年度(2013年度)の政府予算に、国立競技場建て替えの準備金13億円が計上されている。しかし基本設計は9月までは着手しないことになった。
 2020年のオリンピック開催地が決まるのは9月のIOC総会である。その結果をみてからということである。東京が落選した場合の規模縮小を想定しているわけである。
 公表された新国立競技場のデザインは、陸上競技の公式国際大会が開催できるドームである。これを作るには現在の敷地だけでは十分でない。周辺の神宮外苑全体を整備し直す必要がある。それには膨大な経費と手間がかかる。
 オリンピックを開催しないのであれば、無理をして陸上競技のトラックを持つドームにする必要はない。
 新国立競技場は2019年までに完成させ、その年に日本で開催するラグビー・ワールドカップの会場にすることになっている。そのための球技場として改装するのであれば、規模も経費も縮小できる。

(注)新国立競技場デザインのコンセプトは、日本スポーツ振興センターのホームページで見ることができる。3月19日に行われた表彰式で、ザハ・ハディドさんが映像を使って説明している。
 http://www.jpnsport.com/ 新国立競技場

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サッカー日誌 / 2013年04月14日


東京五輪開催計画批判(1)


「おもてなし」で問題点を隠す
(IOC評価委視察 3月4日~7日)

★6億円の過剰接待
 オリンピック開催地に立候補している東京をIOC(国際オリンピック委員会)の評価委員会が3月上旬に視察した。
 このときの東京都側の過剰な「おもてなし」とマスコミの大騒ぎは、まったくクレージーだった。
 評価委員会来日の目的は事務的なものである。
 2020年の夏季オリンピック開催を目指して、東京都の招致委員会が1月7日に「立候補をファイル」をIOC(国際オリンピック委員会)に提出している。
 「東京では、こういう考えで、こういう会場で、オリンピックを開催します」という案をまとめた「計画書」である。
 この計画が、適切なものかどうか、そのどおりに準備を進められるかどうか。
 それを現地で確かめるのが評価委員会の仕事だった。
 そういう実務的な調査団を東京側は国賓なみの「おもてなし」で迎えた。14人、一週間の接遇予算は6億円だった。

★マスコミも追随大騒ぎ
 IOCのメンバーは皇太子殿下におめにかかり、首相主催の夕食会に招かれた。皇室、政府総動員である。
 こういう「おもてなし」はエスカレートする。東京に引き続いて行われたマドリードとイスタンブールの視察でも、似たような「接遇」が行われたらしい。
 マスコミは、この過剰な「おもてなし」を批判するどころか、お祭り騒ぎであおり立てた。
 「五輪招致、全力の歓待」(3月5日付け、朝日)、「東京五輪実現へ手応え」(3月8日付け、読売)など、連日、スポーツ面、社会面、東京版を総動員しての大扱いである。
 女子サッカーの澤穂希やフェンシングの太田雄貴などアスリートを説明役に起用して「選手中心」をアピールした。芸者姿の女性が競技会場で出迎えた。こういう東京都側の歓待ぶりを、ことこまかに報道した。

★開催計画の問題点
 東京の提出した開催計画には、さまざまな問題点がある。
 メーン・スタジアムになる国立競技場の改築計画が具体的でない、東京湾埋立地にコンパクトに配置されるはずの競技会場が環境破壊につながる、東京開催の理念や意義の説明が明確でない、などである。
 東京都の招致委員会は、評価委員会の来日中にマスコミがこういう欠陥に触れるのを防ぎたかっただろう。ハデな「おもてなし」は問題点から目をそらさせるために役だった。
 マスコミは、これに乗せられたたようである。
 多くの報道は東京都側の「おもてなし」の先棒を担ぐだけだった。問題点について突っ込んだ報道は、ほとんどなかった。
 最大の問題点である国立競技場についての報道は、視察したことに、ほんの1行、触れる程度だった。

 (注)東京都の「立候補ファイル」の全文(日本語版)は、招致委員会のホームページで見ることができる。
 http://www.tokyo2020.jp/ 立候補ファイル

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サッカー日誌 / 2013年04月08日


大分・臼杵ツアー補遺(下)


大分スタジアムの運営
(3月23日 臼杵シンポジウム)

★広いVIPルーム
 大分空港は国東(くにさき)半島の突端近くにある。 
 3月に臼杵市で行われた「竹腰重丸を語る」シンポジウムの前日、このイベントを企画した大分の仲間が、われわれ出演者を空港まで出迎えてくれた。
 空港から大分市内へは山越えである。その途中に大分スタジアムがある。寄り道をしてもらって見学した。
 ネーミングライツのスポンサーがついて、いまは「大分銀行ドーム」と呼ばれている。
 所長さんの案内で貴賓室に通してもらった。国民体育大会のときには天皇陛下がお入りになった部屋である。かなり広い。
 座席の正面に大きなガラスがはめこんである。ガラス越しだと場内の雰囲気が伝わらないので、皇太子殿下がお見えになったときに、はずして欲しいと言われた。いささか面倒な工事だったということだった。

★陸上トラックは無料
 屋根を開閉できるドームの中に陸上競技トラックがある。
 国際大会ができる9レーンである。
 「でも、トラックが使われることは少ないだろうな」と思ったら、「いや、いちばん利用されているんですよ」という意外な答えだった。
 屋根があるので風がない。雨にも打たれない。合成材のトラックの質が保たれている。それで記録がでやすい。
 中学や高校の選手がよく使って、自己記録を更新するのだそうだ。
 「使用料が高いんじゃないか」と聞いたら「ほとんどタダです」ということだった。
 料金は決まっているのだが、教育目的で申請すると免除されるのだという。観客席や更衣室は借りないで、トラックだけを使うのである。

★おかしい日本のスポーツ
 ドームの屋根を開いている場合でも、屋根部分が大きくてフィールドへの陽当たりが悪い。風通しも悪い。そのため芝が育ちにくい。これが悩みである。
 ことし(2013年)夏の高校総合体育大会で、このスタジアムが陸上競技の会場になる。数千発の砲丸やハンマーが、緑の芝生に打ち込まれる。想像するだけでも恐ろしい。
 その数日後にトリニータの試合がある。
 「スタジアムの外に立派な投擲(とうてき)専用のフィールドがあるんです。投擲種目は、そっちでやってもらえないかとお願いしたのですが……」
 高校体育連盟が「うん」と言わないのだそうだ。
 国際級の屋根付き陸上競技場を作って、陸上競技で日常、活用しているのはトラックだけ。
 投擲専用のフィールドがあるのに、苦労して整備している芝生を痛める。
 日本のスポーツは、どこかがおかしい。


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サッカー日誌 / 2013年04月07日


大分・臼杵ツアー補遺(中)


オフト監督の功績を歴史に留めよう
(3月17日 大分カンファレンス)

★福田正博さんの講演
 「第2回大分フットボール・カンファレンス」で、福田正博さんの講演を聞いた。福田さんは日本代表、浦和レッズでストライカーとして活躍し、その後はテレビ解説者として、おなじみである。
 福田さんはいろいろな監督のもとで、プレーヤーとして、あるいはコーチとして仕事をした。
 そのなかでハンス・オフト監督をとくに高く評価しているとのことだった。
 オフト監督は1992年~93年に日本代表チームの監督を務めた。日本代表初の外国人監督である。
 韓国との試合のとき「人が走るよりもボールを動かせ」と指示した。それまでの監督は「労働量の多い韓国よりも、もっと走れ」という方針だった。その考え方の違いが印象に残っているという。その試合で、先に足がつったのは韓国の選手だった。

★チャレンジを奨励
 オフト監督の方針は、自立した選手を育てることだった。
 監督が指示を出し選手がそれを実行するだけでは、いいチームは出来ない。
 監督は課題を出す。選手は自分の責任で課題を解決し、監督がそれを評価する。
 それによって、選手は達成感を持ち、自信が膨らむ。そういう選手の集まりでチームを作る。
 選手が自分の判断で、リスクを冒してチャレンジすることを奨励した。
 日本の選手はシュートにチャレンジしない。外国の選手が100本シュートするところを50本しかしない。それで得点数が同じなら、効率は日本のほうがいいことになるが、それでもシュートにチャレンジするほうを評価した。
 子どもたちを指導するときも同じで、失敗をとがめないで自分で試みたことを褒めた。

★アジアのトップに押し上げる
 オフト監督は、1992年11月のアジアカップで日本代表を優勝に導いている。日本のサッカーが、戦後、はじめて獲得した公式国際大会のタイトルである。
 その年の8月、北京のダイナスティ・カップでも優勝している。
 翌年10月のワールドカップ米国大会アジア予選では、あと一歩のところまでいきながら、出場権をのがした。
 その「ドーハの悲劇」で、オフト監督の名が語られることが多い。
 しかし日本のサッカーを、アジアのトップに押し上げ、その後の発展の基礎を築いたことを忘れてはいけない。その功績を歴史に残さなくてはならない。
 福田さんの講演のテーマは、選手として向上し、指導者として才能を開花させることだった。その話も有益だったのだが、ぼくには、例として語られたオフト監督のエピソードが興味深かった。

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サッカー日誌 / 2013年04月06日


大分・臼杵ツアー補遺(上)


大分市の少年サッカー
(3月17日 大分カンファレンス)

★春と秋の少年団リーグ
 3月中~下旬に2泊3日の大分旅行を2度した。地元の方々が非常に親切に案内してくださったので、本来の仕事以外にも見聞を広げることができた。
 こんな話を聞いた。
 大分市では、春と秋に分けて「少年団」のリーグ戦をしている。
 春はチームのレベルに関係なくグループを作ってリーグ戦(総当たり戦)をする。その成績によって、秋はレベル別のグループでリーグを組む。そういう話だった。
 小学生は成長が早いし、チームのメンバーは毎年、入れ替わる。4月の新学期のチームを前年の成績でグループ分けするのは適当でない。
 春のリーグの成績をみて、秋は同じくらいのレベルのチーム同士で試合が出来るようにする。
 「なるほど」と思った。

★「ごちゃ混ぜ」と「レベル別」
 春の「レベルごちゃ混ぜリーグ」では大差の試合も出てくるに違いない。しかし、レベルの高いチームの子どもが、あまり抵抗を受けずにのびのびとプレーするのも、この年代では才能を伸ばすために役立つかもしれない。
 一方でレベルのい低いチームは負け続けになるかもしれないが、強いチームに揉まれることによって「強くなろう」という向上心が芽生え、伸びていく可能性がある。
 そして、秋の「同じレベル・リーグ」で、勝負を争う厳しさと楽しさを知ることになる。
 このシステムを説明してくれた人が、こう付け加えた。
 「クラブチームも入れたいのですが反対がありましてね」
 「少年団」の上手な子どもを「クラブ」が引き抜くような事例がある。それで「クラブは仲間に入れるな」という声があるのだという。

★少年団とクラブ
 この説明をきいたとき最初はとまどったが、すぐに気が付いた。
 ここで「少年団」というのは小学校単位のチームである。
 文部科学省の方針で、小学校の対抗試合は認められていない。そこで一つの小学校の児童だけで構成されているチームが「スポーツ少年団」の名目で活動しているのだろう。そう推測した。実質的には小学校の「部活」である。
 一方、ここで「クラブ」というのは、学校外で小学生を集めて作っているチームのことだろう。子どもたちは、いろいろな小学校に通っている。学校単位ではないから、強いチームを作るために優秀な子どもを集めることもできる。
 そこで「少年団」のエースに目を付けて、引き抜くようなことも起きるわけである。
 各地の指導者が、さまざまな努力と工夫をしている。そして、それぞれに悩みを抱えている。そのことを知った。

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サッカー日誌 / 2013年04月03日


大分の研修会で「歴史」の講義


地方の地道な努力に感心した

第2回大分フットボール・カンファレンス
(3月17日 大分市コンパルホール)

★コーチ研修に「歴史」
 3月中旬に大分県サッカー協会の「フットボール・カンファレンス」に招かれた。主としてC級の資格を持つコーチを対象にした研修会である。
 午前に元日本代表の福田正博さんの講演を聞き、午後は分科会に分かれて研修する構成だった。
 分科会は「育成」「メディカル」「分析」[歴史]「フットサル」の5つで、1人が2つを受講する仕組みだった。そのうち「歴史」の分科会で、ぼくが講師を務めた。
 大分県サッカー協会が「歴史」を分科会に加えたことに感心した。
 育成や試合分析は多くのコーチの関心事である。しかし歴史の知識は、少年たちを指導するためにも、試合に勝つためにも、直接には役に立たない。
 それでも、大分県サッカー協会は、指導者が「サッカーの歴史」を考える機会を作った。これは優れた見識である。
 
★指導者の教養
 スポーツに限らず、少年たちの指導者は幅の広い教養を身に付けて欲しい。狭い専門にだけに、こり固まっていては、指導法も狭くなる。サッカーの歴史を学び、先輩たちの業績を知ることは、指導者の「必修科目」だといっていい。
 このカンファレンスに行く前に、東京でスポーツ政策研究会の3月例会に出た。「部活の暴力指導」がテーマだった。その席で、ぼくは次のように発言した。
 「サッカーでも指導暴力はありました。しかし、指導者研修の制度ができてから激減しました」。
 そして付け加えた。
 「来週、大分のサッカー指導者研修会に行くのですが、そこで、ぼくが担当するのはサッカーの歴史です。鍛えるだけでは指導者の資格はないのです。暴力指導をなくすには指導者に幅の広い教養が必要です」。

★情報を開放する
 大分の「フットボール・カンファレンス」は、日本サッカー協会主催で行われた研修会のあとを受けて、大分県サッカー協会が独自で開催しているということだった。
 地方の協会が、中央の指示だけに頼らないで、自分たちのアイデアで努力しているのは、すばらしい。
 このカンファレンスは主としてコーチの研修のためだが、一般の人でも無料で参加できるとのことだった。「歴史」の分科会には年配のOBや中学生もいた。
 情報を仲間うちに囲い込まないで、多くの人に開放しようという方針もすばらしい。
 このカンファレンスの5日後に、同じ大分県の臼杵市でサッカーのシンポジウムがあり、それにも参加した。
 そういうわけで9日間に東京-大分を、それぞれ2泊3日で2往復した。その間に、地方のサッカー関係者が地道に、精力的に積み重ねている努力を知った。

 
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