サッカー日誌 / 2016年10月24日


五輪の主催者は誰か?


バッハIOC会長の来日
(10月19日、小池都知事、安倍総理と会見)

★都は主催者ではない
 2020年の東京オリンピックについて、東京都の小池知事が、ボート・カヌー会場や開催経費について、いろいろ発言している。
 そのこと自体は悪くない。
 東京都民の税金を使って、オリンピックを支援している立場だから、税金の使途に目を光らせるのは当然である。
 しかし、マスコミの報道を見る限り、小池知事は東京オリンピックの主催者のつもりで発言しているように思える。
 東京都は、オリンピックの主催者なのだろうか?
 ぼく(牛木)の理解は違う。
 主催者は「国際オリンピック委員会」(IOC)である。
 東京都は、IOCの求めに応じて、会場とサービスを提供する立場である。主催者ではない。
 IOCに対して約束した施設とサービスを提供できないのであれば、それを償う義務はあるだろう。
 とはいえ、五輪開催の責任はIOCにある。

★小池知事の振舞い
 ボート・カヌー会場を「宮城県の長沼にする」「埼玉県の彩湖にする」などと、東京都が決定できるわけではない。
 「東京では会場を提供できません」と、約束を撤回して謝罪するほかはない。
 ところが、マスコミの報道を見る限りでは,小池知事は主催者のように振舞っている。
 「勘違い」をしているのではないか。
 IOC(国際オリンピック委員会)のバッハ会長が来日して、小池都知事や安倍総理と会見した。そのときのバッハ会長の発言は適切だったと思う。
 主催者としての立場を、はっきり保ちながら、開催都市と開催国の協力を求めた。
 大会が「赤字になったら開催都市が埋める」ことになっているという。
 そうであれば「絶対に赤字にしないように」と、東京都が主催者のIOCに釘を刺すべきではないか?

★JOCの影が薄い
 主催者のIOCに代わって、東京オリンピック開催を主導する立場にあるのは、日本オリンピック委員会(JOC)である。
 ところが、一連の動きの中で、JOCの影は、きわめて薄い。竹田恒和JOC会長の話は、マスコミに、ほとんど登場しない。
 バッハ会長が安倍首相と会談したとき、同席したという報道があった程度である。
 IOCが開催都市に東京を選び、大会の運営をJOCに委任する。
 JOC が主導して都や国の協力を求め、組織委員会を作る。
 税金から資金を提供する東京都や国が発言権を持つのは当然である。
 主催権者のIOC を代行するJOCも、スポーツ界を代表して、もっと存在感を示して欲しい。


コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
サッカー日誌 / 2016年10月19日


日本と豪州のサッカー


W杯アジア最終予選
豪州1対1日本
(10月11日、メルボルン=NHKテレビBS1)

★60年来のライバル
 ワールドカップ予選の豪州対日本の試合を見て思った。
 日本と豪州(オーストラリア)とのサッカーの付き合いは、60年にわたっている。
 ぼく(牛木)のサッカー記者生活と同じである。
 新聞社のスポーツ記者になったのは1956年である。
 豪州のメルボルンでオリンピックが行われた年だった。
 日本のサッカーは、アジア予選を経て出場権を得たが、欧米のチームを相手に勝利を狙えるレベルではなかった。
 組み合わせ抽選で、1回戦の相手が豪州に決まったとき、当時の日本のサッカー協会の役員が、次のように解説してくれた。
 「豪州ではサッカーは、ほとんど行われていない。地元として予選なしで出場するが、日本が勝つチャンスは十分だ」。

★大衆のスポーツ
 この解説は間違いだった。
 「豪州ではサッカーは、ほとんど行われていない」というのが、そもそも、間違った「思い込み」である。
 豪州は「ラグビーの国」だと思っていたのだろう。
 当時、豪州はイギリスの植民地だった。
 国民の多くは、イギリスからの移民である。
 イギリスで大衆のスポーツであるサッカーを、豪州の人びとがやっていないはずはない。
 また、本国のイギリスで、プロのサッカー選手だった人たちも、移り住んでいた。
 豪州でも、サッカーは大衆のスポーツだった。
 当時の日本よりも、サッカーは普及していただろう。
 そういう事情を、当時の日本のサッカー関係者は知らなかった。
 
★「身長の差」が敗因?
 1956年、メルボルン・オリンピックのサッカー1回戦で、日本は豪州に0対2で敗れた。
 豪州は、開催国だから強化に特に力を入れていた。
 イギリスの植民地だったから、サッカー人口は日本より厚く、レベルも高かった。
 当時の日本のサッカーは、国際試合の経験がほとんどなく、国際的なサッカー事情についても無知だった。
 それが、敗因の「根っこ」である。
 しかし、負けたあとになって「身長の差のハンデが敗因」とされた。
 豪州のゴール前への「放り込み」を、背の低い日本の選手が守るのは難しかったというのである。
 しかし「放り込み」から、ゴールが生まれる確率は高くはない。ゴール前はゴールキーパーが守っているからである。
 メルボルン・オリンピックで豪州に負けたときの「反省」が「言い訳」にすぎなかったことは、その後の日本サッカーの行く道を誤らせたと思う。


コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )
サッカー日誌 / 2016年10月11日


五輪のモニュメント


「海の森水上競技場」について

都政改革本部調査チーム
(9月29日、小池知事に報告提出)

★代替会場提案はやり過ぎ
 2020年東京オリンピックの施設計画の見直しが問題になっている。
 そのなかでも、ボートとカヌーの会場の「海の森水上競技場」が、とくに取り上げられて、宮城県長沼ボート場が代替地に挙げられた・
 問題にしたのは、東京都制改革本部の調査チームである。東京都の諮問機関だから「東京湾の埋立地に、東京都が建設するのは適当でない」と報告したのは権限内である。
 しかし、代替会場の候補として、他県の施設を提案したのは、踏み込み過ぎだ。
 代わりの会場を探すのは、東京オリンピック組織委員会の仕事である。
 東京都としては、いったん、引き受けた会場建設を取りやめるのであれば陳謝し、損害を与えるのであれば賠償責任を負う立場である。

★ユニークな記念碑
 ぼくの考えでは「海の森水上競技場」建設は悪くない。
 東京都にとって、2020年東京オリンピックのモニュメント(記念碑)とすることができる。
 国際的な事業のさいに、巨費を投じて豪華施設を作る目的の一つは「大会のモニュメント」を残すことである。
 エッフェル塔は、1889年のパリ万国博覧会の記念碑である。
 1964年の東京オリンピックの記念碑として残っているのは、駒沢オリンピック公園と代々木体育館だろう。
 こういう記念碑は、当時としては、ユニークなものだった。
 独創的な建造物だからこそ、記念碑として後世に残る。
 「海の森水上競技場」の計画は、ユニークである。
 水上スポーツの総合的施設は、世界的にも珍しいものになるのではないか?
 海の風が妨げになる心配があるようだが、対策を考えられれば、海浜スポーツの新分野を開発できるかもしれない。

★将来の利用法を
 大会の記念碑は、その後、観光資源として、また、スポーツ施設として、有効に利用されることが必要である。
 「水上競技場センター」をオリンピックの「記念碑」として残すためには、大会後もスポーツにとって役立つ施設として、維持できなければならない。
 その方法を、ボート協会とカヌー協会が中心になって考えるべきある。
 毎年、国際的な大会を開催する。
 子どもたちの、あるいは女性だけの、ボート・カヌー大会を企画する。
 など、いろいろなアイデアがあるだろう。
 艇庫や宿泊施設など難しい問題があるかもしれない。
 しかし、困難を数え上げるよりも、スポーツに役立つ方向に向けて、困難を解決する方策を検討して欲しい。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
サッカー日誌 / 2016年10月06日


東京五輪の計画見直し(下)


「集中」の理念が問題

都政改革本部調査チーム
(9月29日、小池知事に報告提出)

★「見直し」に踏み込んだ勇断
 2020年東京オリンピックの経費と施設計画の見直しが問題になっている。
 東京都の都政改革本部調査チームの報告である。
 オリンピックの開催費用が、当初予算の4倍の3兆円以上になりそうだという。
 また、新しく建設される施設の多くが、オリンピック後の利用の見通しが不透明で、将来はムダになる可能性がある。
 招致運動の段階から、われわれが指摘していた問題で「何を今さら」という気もするが、新しい都知事が、過去の決定を見直すことに踏み込んだ勇断には、敬意を表したい。
 ただし、これは東京大会だけの問題ではなく、オリンピックそのものに付きまとっている弊害である。スポーツ界は、そのことに思いをいたして欲しい。
 オリンピックの「集中主義」が根っこにあるということである。

★集中方式の弊害
 オリンピックは「集中方式」の国際スポーツ大会である。
 30以上のスポーツ(競技)を、1都市に集めて、一定期間内に開催する。
 競技数も、会場も、期間も「集中」である。
 集中開催には難しい問題がある。
 経費を考えよう。
 一つ、一つのスポーツの運営経費は、集中開催でも、分散開催でも、それほどの違いはない。
 しかし、集中開催では、同時に多くのスポーツが行われるので、全体を統括するための特別な仕事が生まれる。
 たとえば、である。
 警備のためのガードマンの動員を考えよう。
 一つのスポーツの警備に、100人のガードマンが必要だと仮定する。
 30のスポーツを集中開催すれば、3千人のガードマンを、同時に1都市に集めなければならない。
 熟練ガードマン3千人を同時期に集めるのは難しい。

★分散開催のメリット
 30のスポーツの大会を、それぞれ、別の時期に、別の場所で開催する場合はどうか?
 一つの大会で必要なガードマンは、100人である。
 いろいろな大会の警備を経験した練達のガードマン100人を動員するのは、それほど難しくはないだろう。
 これは、一つの例である。
 いろいろな面で、集中開催は弊害が多く、分散開催のメリットは大きい。
 つまり「集中開催のオリンピックは、よくない大会だ」ということである。
 とはいえ、2020年のオリンピックは、日本で開催することが決まっている。
 いまとなって返上することは出来ないのであれば、集中開催の弊害を、できるだけ少なくするしかない。
 ボートやバレーボールの会場を、分散するのは、いいアイデアである。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
サッカー日誌 / 2016年10月05日


東京五輪の計画見直し(中)


東京湾岸の新設3会場

都政改革本部調査チーム
(9月29日、小池知事に報告提出)

★三つの問題点
 2020年東京オリンピックの会場の施設建設が問題になっている。
 東京都の都政改革本部調査チームの報告である。
 2020年東京オリンピックの会場予定施設のうち、次の三つが、とくに取り上げられた。
 ボートとカヌーの「海の森水上競技場」。
 水泳の「アクアティクス・センター」。
 バレーボールの「有明アリーナ」。
 三つとも、東京湾の埋め立て地に建設される予定の新施設である。
 問題点が三つある。
 第一は、オリンピックの後に役に立つかどうか、である。
 第二は、オリンピック開催に絶対に必要かどうか、である。
 第三は、建設費あるいは改修費が、過大であるかどうかである。

★代わりの施設はある
 「オリンピック後に役立つかどうか」と、「オリンピックにとって絶対に必要かどうか?」については、3施設とも問題がある。
 というのは、日本には、国民体育大会のために建設されたスポーツ施設が、各都道府県に、たくさんあるからである。
 東京オリンピックのために豪華な施設を作っても、オリンピック後は、各スポーツ団体は、使い勝手の良い、使用料の安い都道府県の施設を使うだろう。
 豪華なオリンピック施設は利用者がなく、維持困難になるおそれがある。
 問題になっている三つの施設は建設しなくても、代わりはある。
 ボートとカヌーの会場について「調査チーム」は、宮城県長沼ボート場への移転を求めた。ほかに、東京と埼玉の「戸田ボート場」などでも国際競技会は出来る。

★金額の問題ではない
 水泳のプールや、バレーボールの出来る体育館は、東京都内にいくつもある。
 そういうわけで、新しい施設の建設は、東京オリンピックのために「絶対に」必要なわけではない。
 建設費あるいは改修費が「過大」であるかどうか?
 これは、金額の問題ではない。
 将来にわたって、多くの人が利用できる施設であれば「投資」するのもいい
 「たとえば」である。
 交通施設として橋やトンネルを作る場合、2週間だけの利用者を想定して建設することはないだろう。
 将来にわたって、その橋やトンネルが、多くの人に利用されることを想定して建設するだろう。
 スポーツの施設も同じである。
 オリンピックのためだけではなく、将来の利用のための投資であれば、建設費を惜しむことはない。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
サッカー日誌 / 2016年10月04日


東京五輪の計画見直し(上)


総費用が3兆円超に

都政改革本部調査チーム
(9月29日、小池知事に報告提出)

★「過小」な見積もり
 2020年の東京オリンピックの開催経費が「3兆円を超える可能性がある」という。
 東京都の都制改革本部の調査チームの報告である。
 当初の段階では、大会経費は7340億円とされていた。
 それが、4倍以上に膨らむわけである。
 オリンピックの経費は、いつの大会でも、予算を大幅に超過するらしい。
 「資材や労賃の値上がりのため」と説明されている。
 実際は違う。
 本当の原因は、大会招致の段階で、必要経費を「過小」に見積もっていることである。
 オリンピックの開催で「そんなに、税金は使いません」ということを、数字で示すためである。
 そうでなければ、世論の支持を得られない。
 そこで、開催経費を「過小」に公表する。

★実行段階では「過大」に
 招致が成功して、開催が決まれば、今度は、関係者にとっては、経費は大きいほうがいい。
 動く金額が大きければ、その間に生まれる手数料などの利益も大きくなるからである。
 そういうわけで、招致段階での「過小」な見積もりが、実行段階では「過大」な金額になる。
 一つの問題は、広告エージェントの戦略である。
 オリンピック開催経費の負担者は、大きく分けて三つある。
 開催都市(東京都)と国(政府)と組織委員会である。
 政府と東京都の財源は「税金」である。
 組織委員会の財源は、主として入場料と広告料である。
 招致の段階では、税金をあまり使わないようにみせるために、組織委員会の負担分を多く見積もる。
 しかし、実際には、組織委員会の資金集めを担当する広告エージェントは、その金額を調達できない。

★国民を騙す「仕組み」
 そういう場合には、開催都市が赤字を埋める「決まり」になっている。
 広告企業としては、最終的には「税金」で補填してもらえるのだから、予算の段階では、負担は「過大」でもいい。
 そういうわけで、オリンピックの経費が膨らむ原因は、物価や労賃の値上がりではなく、オリンピック財政計画の「仕組み」にある。
 「税金からの支出は少ない」ように見せかけておいて、最終的には、税金で埋めるのである。
 これは、納税者である国民を騙す(だます)「仕組み」だ。
 東京オリンピックに反対ではない。
 開催を引き受けた以上、いい運営をして欲しい。
 しかし、国民を騙す(だます)のは、よくない。
 広告エージェントは、引き受けている組織委員会資金の調達を果すべきである。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
     

Copyright(C) 2007 US&Viva!Soccer.net All Rights Reserved.