サッカー日誌 / 2011年10月30日


「なでしこ現象」と新聞漫画


ビバ!サッカー研究会10月例会
(10月28日 東京・東中野テラハウス)

★おじいちゃんも「はまる」
 6~7月の女子ワールドカップ期間中、現地のドイツで取材していたので留守中の新聞が自宅に山積みになっていた。それを整理していて「なでしこJapan」の活躍が、日本で大きな社会現象になっていたことに改めて驚いた。
 新聞の四コマ漫画に「なでしこ現象」が取り上げられている。読売、朝日、毎日の各紙が一度ならず扱っている。
 たとえば、7月15日付け読売新聞朝刊の「コボちゃん」である。
 おじいちゃんがテレビで「なでしこジャパン」を見ている。花屋で「なでしこ」の花束を買ってくる。一つ一つの花に「サワ! ミヤマ! イワシミズ! オオノ!」と名前をつける。それを見て、おばあちゃんが「名前までつけちゃった…」とあきれ、お父さんが「はまっちゃいましたね」と感心する。

★「前畑勝った」のラジオ中継
 大学で教えていたころ、マスコミとスポーツをテーマに新聞漫画を教材に取り上げたことがある。
 1936年のベルリン・オリンピックのときの朝日新聞の連載漫画である。横山隆一の「江戸っ子健ちゃん」で、女子100m平泳ぎの「前畑がんばれ」のラジオ中継が取り上げられていた。音声だけのラジオで、アナウンサーが「前畑がんばれ、前畑がんばれ」「前畑勝った! 前畑勝った!」と絶叫し続ける。レースの様子は描写しない。それでも「名放送」と評判になった。
 漫画では、そのラジオの実況放送を健ちゃんのおじいさんが聞いている。テレビがまだない時代である。クーラーもない。真夏だから開けっ放しの縁側で聞いている。時差の関係で真夜中の生中継である。

★スポーツの感動
 ご近所の迷惑にならないようにと、おじいさんがラジオの音量を下げる。そうすると近所の家から「もっと大きくしろ」と声が上がる。健ちゃんの家にはラジオがあったが、まだ受信機がそれほど普及していなかったことが、この漫画で分かる。
 「なでしこ」のコボちゃんの漫画と比べると、ラジオとテレビの違いはあるが、ともにマスメディアが高齢者にまで大きな影響を与えていたことが分かる。
 ベルリン・オリンピックのときの「前畑勝った」では、日本が金メダルをとることがナショナリズムを刺激していたことが分かる。一方、今回の「なでしこ」では、サワやミヤマなど、一人一人のプレーぶりが、おじいちゃんを感動させたことが分かる。
 そういう話をビバ!サッカーの10月例会で紹介した。偏狭なナショナリズムよりも、スポーツそのものの人間的感動のほうが「健全だ」と、ぼくは思う。




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サッカー日誌 / 2011年10月21日


50年前、クラマー招聘の幸運


日本サッカー史研究会10月例会
(10月17日 東京・JFAハウス会議室)

★中条一雄さんを招いて業績検討
 もし50年前にデットマール・クラマーさんが来なかったら、日本のサッカーは、どうなっていただろうか? 歴史の研究に「もし」は禁じ手だろうが、日本サッカー史研究会でクラマーさんの業績を検討していて、そう思った。
 クラマーさんは、1960年代に日本のサッカーを指導して徹底的に改革し、その後の発展のための指針を残したドイツのコーチである。
 日本のジャーナリストの中で、クラマーさんとのつきあいがもっとも古く、その業績を徹底的に調べているのは中条一雄さんである。その著書『デットマール・クラマー、日本サッカー改革論』(ベースボール・マガジン社)は、クラマー評伝の決定版といっていい。
 サッカー史研究会で中条さんを招いてお話を聞き「1960年にクラマーさんが日本来たのは、まったく幸運だった」と改めて思った。

★野津会長独断でドイツから招く
 「外国からコーチを招くほかはない」
 ローマ・オリンピック(1960年)予選で日本が敗退したとき、そういう意見が日本サッカー協会のなかで起きた。どこの国のコーチを招くべきかでは、理事会のなかで意見が分かれていた。英国、ソ連、ブラジルをおす人がそれぞれいた。
 ところが、野津謙(ゆずる)会長は、理事会の考えがまとまる前に独断でドイツ・サッカー協会会長宛てにコーチ探しを依頼する手紙を出していたらしい。
 野津会長はドイツ語が達者でドイツびいきだった。会長独断でドイツを選んだのが、まずラッキーだった。
 今になって思えば、当時の日本のサッカーにとって、ドイツから学ぶのが最善だったことは明らかだと思う。

★ヘルベルガーがクラマーを選ぶ
 野津会長の手紙を受け取った西ドイツ協会の会長は、それを代表チームの監督であり、技術指導の責任者だったゼップ・ヘルベルガーに渡した。
 ヘルベルガーには3人のスタッフがいた。のちに西ドイツ代表の監督になったシェーン、コーチ養成を担当していたバイスバイラー、それにユース担当だったクラマーさんである。  
 ヘルベルガーは3人の中から日本担当にクラマーを選んだ。これが第二の幸運である。
 中条さんはクラマーさんにこう質問した。「もしバイスバイラーが指名されていたら、どうだったでしょうか?」。クラマーさんの答えは「1週間でドイツへ逃げ帰っただろう」。
 クラマーさんが日本に来て、まずびっくりしたのは、グラウンドが土で「芋畑のようにでこぼこだった」ことだった。「バイスバイラーだったら芋畑でサッカーはできないと言っただろうな」。これはクラマーさんの冗談である。


中条一雄さん




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サッカー日誌 / 2011年10月14日


ハーフナー・マイク起用の狙い


ワールドカップ・アジア3次予選
日本代表 8対0 タジキスタン代表
(10月11日 大阪長居競技場=NHK-BS)

★分かりやすいザック用兵
 ザッケローニ監督の選手起用の狙いは分かりやすい。
 ワールドカップ予選の第3戦、タジキスタンとの試合で、ハーフナー・マイクを先発でトップに起用した。代表初先発である。
 狙いはいろいろ考えられる。
 第1の狙いはタジキスタンの守備策崩しだ。相手はほとんど全員がゴール前へ下がって守るだろう。後退密集守備の中にドリブルとパスで攻め込んでも、1対多あるいは2対多の戦いになるから次つぎに引っかかる。だから、なかなかゴール近くへは食い込めない。
そこで、相手の守りの上を越して高いボールをゴール前へ送る「放り込み」を使う必要が出てくる。高いボールの落下点は1カ所だから、そこでのヘディングの競り合いは1対1になる。ここで身長1メートル94のハーフナーが役に立つ。

★多様化のための選択肢
 ハーフナーは日本の8得点のうち2点を決めた。前半11分の1点目と後半1分の5点目である。どちらもヘディングだった。狙いどおりである。
 しかし、ザッケローニ監督がハーフナーを起用したのは、タジキキスタンの守備策対策のためだけではないだろう。レベルの差が明らかな相手だったから、勝つためだけなら必ずしもハーフナーの高さを借りる必要はなかったはずである。
 ハーフナーを加えた第2の狙いは、今後に備えて「攻めの多様化」を図ることだっただろうと思う。
 相手によって、あるいは状況によって、いろいろな攻め方ができるように、いろいろなタイプのプレーヤーを用意しておきたい。その選択肢を増やすために、ハーフナーに国際試合の経験を積ませておこうと考えたのだろう。

★W杯予選の戦い方
 「バルセロナのようなショートパスによるサッカーが日本の生きる道だ」というような考えでチーム作りをし、固定したメンバーで単独チームのように代表チームを強化してワールドカップ予選を戦うつもりはないようだ。
 相手により、状況に応じて、適当なプレーヤーを選び、システムや戦い方を決める。そのためには、持ち駒を増やし選択の幅を広げておきたい。それが、ハーフナー起用の狙いであり、4日前のベトナムとの親善試合前半に3:4:3を試みた理由だと思う。
 単独のクラブチームであれば、手駒は限られているけれども常時集まって練習できる。代表チームの場合は、いろいろなプレーヤーを選べるが、シーズンの合間を縫っての臨時編成である。ワールドカップ予選の戦い方としては、ザッケローニ監督のやり方は、当然であり、十分に納得できるものである。



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サッカー日誌 / 2011年10月11日


「なでしこJapan」への意外な反応


スポーツ政策シンポジウム
(10月10日 駿河台・明大リバティタワー)

◇「彼氏はいますか?」
 「なでしこJapan」についての意外な反応を知った。体育の日に行われた“日本のスポーツの「これまで」と「これから」”と題するシンポジウムである。ぼくが参加している「スポーツ政策研究会」と、かつて会員だったことのある「メディア総合研究所」の共催だった。日本のスポーツ政策を考えるのが趣旨でサッカーがテーマだったわけではない。
 「なでしこ」が女子ワールドカップで優勝したあと、選手たちは、にわかにマスコミの人気者になり、テレビに次つぎに出演した。
 そのなかでワイドショーの司会者が「彼氏はいますか?」という質問をした。スポーツ選手のプライバシーに踏み込むのは「よくない」と、後期高齢者のぼくは保守的な拒絶反応が起こすのだが、立場によっては別の反応もある。
 「サッカー選手が“女性”として扱われている」という見方である。

◇ジェンダー論の視点から
 女子選手だから女性として認められるのは当たり前である。女性のスポーツが独立の立場を認知されるのはいいのではないかとも思う。
 しかし「彼氏はいますか?」という質問に、女性のスポーツ選手に対する特別の好奇心を読みとることもできる。男子選手に「彼女はいますか?」という質問をするだろうか、と考えた。
 これはパネリストの一人、中京大教授の来田享子(らいた・きょうこ)さんのお話の中に出ていたことである。女子スポーツの歴史を振り返りながら、社会的文化的な性別をテーマにジェンダー論の立場からの議論だったように思う。
 来田さんのお話を十分には理解していないままに、そのなかから「なでしこJapan」の部分だけを取り上げると誤解を招く恐れがある。ここでは「なでしこJapan」について、いろいろな議論があるということの一つの例として紹介するだけにする。

◇ナショナリズム論の視点から
 もう一人、別のパネリストのお話の中にも「なでしこ」が出てきた。高名なスポーツ・ジャーナリスト、谷口源太郎さんのお話である。
 「日本が勝った。バンザイ! バンザイ!」とはしゃぐ現象の裏側に「日本は他の国より特別に優れている国だ」というような偏狭なナショナリズムへの動きを見ることもできる。その例の一つとして「なでしこJapan」が引き合いに出された。
 ぼくは「なでしこJapan」現象が、いまのところは政治的に危険だとは思わない。母校や郷土のチームを応援するのと同じレベルだと見ている。
 しかし、スポーツへ国家が援助するのと引き換えに、政治権力がスポーツに介入する危険は感じている。新たに成立した「スポーツ基本法」のなかにもその傾向が読みとれる。
 これも難しい問題だから、ここでは一つの考え方として紹介するだけに留めよう。



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サッカー日誌 / 2011年10月09日


システムではなく個人のテスト


キリンチャレンジカップ(親善試合)
日本代表 1対0 ベトナム代表
(10月7日 ホームズ・スタジアム神戸=テレビ朝日)

★アナウンス・プラン
 試合の前に監督が「ゲーム・プラン」を立てるようにテレビ中継でも「アナウンス・プラン」を立てるらしい。神戸の日本対ベトナムの試合は、テレビ中継をビデオであとから見たのだが、アナウンサーが「3:4:3システム」をテーマに中継を進めようとしているのが「見え見え」だった。解説者も、そのペースに巻き込まれてシステムを語っていた。
 しかし、システムはこの試合の大きなテーマではない。4日後のワールドカップ予選試合で使うためのテストでもない。ザッケローニ監督の狙いは、選手たちがどのように順応するかを見ることにあったのだと思う。
 日本は前半24分に1点をあげた。中盤で長谷部誠がボールを奪い、香川真司とのワンツーで進出して右サイドの藤本淳吾に渡した。藤本が相手を振り切って内側の李忠成に送った。すばやい逆襲の組み立ては見事だったが、システムがものを言ったわけではない。

★藤本の速さとGK西川の好守
 親善試合だし、4日後に公式戦を控えているので、ザッケローニ監督は、これまであまり出番のなかった選手を起用した。システムのテストではなく、プレーヤーのテストだった。
 そのなかで目立ったプレーを見せたのはフォワードの藤本とゴールキーパーの西川周作の2人だった。
 藤本は日本が唯一のゴールをあげた場面で、長谷部のパスを受けてベトナムのディフェンダーを速いドリブルでかわした。反応、ボール扱い、ドリブル、チャンスを見る目のすべてに速さがあった。
 西川は、後半立ち上がりに2度のピンチを立て続けに防いだ。味方の守りがもたつき、相手のシュートはよかったが、すばやい反応でボールを叩き出した。控えのゴールキーパーには出番がめったにない。その数少ないチャンスに技能を見せたのはよかった。

★ベトナムの守りがよかった
 ザッケローニ監督は、後半のはじめから4人の選手交代をし、システムを4:(2:3):1にした。本田圭佑が半月板の手術をして使えない。そこでトップ下に中村憲剛を入れてみたのだろう。憲剛は、いいスルーパスを何度も出したが、かみ合わず、オフサイドになるケースが多かった。20歳の原口元気がA代表デビュー。2~3度、スピードのある攻撃的なドリブルを見せた。
 日本代表は、前半の1点以外には、あまりいいところがなかった。しかし、勝敗が問われる試合ではない。いろいろ試してみた結果を、今後に生かせばいい。
 ベトナムの守りがよかったことも記憶しておく必要がある。組織的にコンビでボールを奪い、ペナルティエリア内に攻め込まれても、1対1で跳ね返した。東南アジアのサッカーが変わってきていることを改めて感じた。



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サッカー日誌 / 2011年10月02日


大震災とサッカーの「想定外」


東大社会学、第3回クローネ交流会
(9月30日 東大本郷法文1号館)

★災害情報論の講演
 東大社会学同窓会主催で行われた講演会で、東大総合防災情報研究センター長、田中淳教授の講演を聞いた。きちんと理解できたわけではないが、心に留まったことを一つ紹介する。
 「東日本大震災」に絡んで「想定内」あるいは「想定外」という言葉がマスコミでしばしば使われた。たとえば高さ15メートルまでの津波を想定して防波堤を作ってあったとする。15メートルの津波が来れば「想定内」である。ところが高さ18メートルの津波が来て防波堤を破壊した。これは「想定外」なのだろうか?
 防波堤を作るときに高さ15メートルを超える津波が来る可能性はないと考えていたのではないらしい。過去の例や科学的研究か18メートルの津波が来ることも推測していた。そういう意味では18メートルの津波も「想定内」だった。

★1万年に1度の大爆発
 「それなら18メートルの津波に耐えられる防波堤を作るべきだった」という議論もあるだろうが、これは災害の頻度とその対策に要する技術・費用のバランスの問題だろうと思った。
 別の極端な例が出た。
 九州全体で火山爆発が起きることが1万年に1度ほどの可能性で考えられるらしい。実際に太古に起きた九州爆発の火山灰が北海道で観察されているということである。いま、そういう事態になれば西日本全域が壊滅する。
 しかし、だからと言って、九州大爆発を想定して対策を立てることは不可能である。
 かりに技術的に可能だとしても、1万年に1度の可能性に莫大な労力と費用をつぎ込むことはできない。爆発は「想定内」だが対策は「想定外」いや「論外」である。
 文字通り「万一」起きたときは、あきらめるほかはない。

★個人の判断というソフト
 専門的な話を、じゅうぶんには理解できないまま聞きながら、サッカーにこじつけた。
 試合の前に監督は「ゲームプラン」を立てる。「ああいううこと」や「こういううこと」が起きるだろうと想定してシステムを考え、作戦を練る。
 しかし、皆さまご経験の通り、試合は「想定通り」には展開しない。想定外の展開になったときどうするかは、フィールド上にいる一人一人のプレーヤーの判断である。
 15メートルの津波を想定した防波堤を用意していて18メートルの津波に襲われたらどうするか? 住民一人一人の判断で避難するほかはないのではないか? つまり、防波堤というハードを作ってあっても、実際には避難の判断というソフトが欠かせない。
 システムや作戦というハードを用意してあっても、最後は個人の判断というソフトがものを言うのではないかと考えた。


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サッカー日誌 / 2011年10月01日


「相川亮一、ザ・サッカーコーチ」


元読売クラブ監督の業績追悼本

★日本代表を生みだした業績
 相川亮一は、元読売サッカークラブのコーチ、監督である。ことし(2011年)1月に、突然、64歳で亡くなった。その業績を記録し、思い出を集めた本が9月中旬にできあがった。友人の有志が集まった「編集・発行委員会」による手作りの本である。ECO出版という少部数の本を作るのに適した特殊な方式で400部を印刷した。
 相川コーチは、いまの東京ヴェルディの前身である読売サッカークラブのコーチ、監督として、当時、日本リーグ2部だったチームを日本のトップレベルに押し上げた。
 また、神奈川県のユースチーム(国体選抜)、読売クラブ・ユースのコーチとして若手を指導し多くのトップクラスのプレーヤーを出した。早野宏史、戸塚哲也、都並敏史、松木安太郎などである。その輝かしい仕事は、関係者以外にはあまり知られていない。それで、その業績を本にして歴史に残そうと思い立ったのである。

★クラマーの弟子
 本を作るにあたってデットマール・クラマーさんに「追悼の言葉」を書いて欲しいと依頼した。クラマーさんは、1960年代に日本のサッカーを根本から改革したドイツ人のコーチである。
 クラマーさんがFIFAのインストラクターとして組織した「アジア・コーチング・コース」の第3回がテヘランで開かれたとき、相川は日本から参加してFIFA公認コーチの資格を得た。
 相川のサッカーについての考え方と指導法は、クラマーによって、がらりと変わった。相川はクラマーのサッカーの信奉者となり「クラマーの弟子」をもって自ら任じた。
 しかし、クラマー方式に盲従したのではなかった。その考え方を自分の頭の中で練り直し、状況に合わせて具体的なコーチング方法を自ら考えた。

★本当の「教育者」
 クラマーさんの追悼文の書き出しはこうだった。
 「私の友人、“ザ・コーチ・アイカワサン”は、生まれついての教育者であり、リーダーでした」
 ドイツ語で書かれた原文の中で“The coach AIKAWA-SAN”の部分は英語(ローマ字)だった。『相川亮一、ザ・サッカーコーチ』という追悼本の書名は、ここからとったものである。
 相川さんを「教育者」(Master)と表現しているのには驚いた。「無頼」を気取ったような態度や物言いは、日本語でマスターあるいは教育者と呼ぶにはふさわしくなかったからである。しかし、クラマーさんは、相川の言動が内気(シャイ)な性格から出ていることを見抜き、その本当の教育力を評価していたのである。






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