サッカー日誌 / 2014年07月28日


サッカー史の2大労作


沢田啓明『マラカナンの悲劇』(新潮社 1500円+税)
梅田明宏『礎・清水FCと堀田哲爾が刻んだ日本サッカー五十年史』(現代書館 4000円+税)

★歴史に残る逆転劇
 ブラジル・ワールドカップの前と後に、サッカーの歴史についての厚い本を2冊読んだ。
 一つはブラジル・サンパウロ在住の沢田啓明さんが書いた『マラカナンの悲劇』である。「世界サッカー史上最大の敗北」と副題がついている。
 1950年第4回ワールドカップのとき、開催国のブラジルがウルグアイに逆転負けし、国中が期待から絶望の淵へと突き落とされた。世界中で知られている「悲劇の試合」である。
 ところが、この試合をまとめた本はなかった。本家のブラジルにもなかった。「それなら自分で書こう」と徹底的に調べてまとめたのが、この本である。
 テレビ中継のなかった時代だからこそ、当時の新聞は試合の経過を逐一詳細に伝えていた。映画の映像も僅かではあるが残っていた。それらの資料をくまなく収集して調べた。
 試合の様子や選手たちの話だけでなく、歴史や社会的背景にも手を広げて記述している。

★少年サッカー功労者の伝記
 ブラジルから帰国したら梅田明宏さんの『礎(いしづえ)』が届いていた。1960年~80年代の少年サッカーに大きな影響を与えた堀田哲爾さんの完璧な伝記である。
 堀田さんは、静岡県清水の小学校教員として子どもたちの指導を始め、清水の小学校選抜チームを「清水FC」として全国大会に出して優勝させ、のちには日本サッカー協会の役員になって少年サッカーの指導に大きな影響を与えた。
 ほとんど全部の関係者にインタビューし、集められる限りの資料を集めて、その生涯を克明に描いている。630ページ余の大作である。
 微に入り過ぎているために、その功罪への評価が分かりにくいかもしれないが、押さえるべきところは押さえている。たとえば「神戸FC」を創設した加藤正信さんが欧州のようなクラブ組織を目指したのに対して、日本独特の学校スポーツとの両立をはかった。それを正しく指摘している。

★歴史に残すべき資料
 この二つの本は、自分が書きたいこと、歴史に残したいことを、克明に調べて印刷物にしたことで共通している。
 サッカーの本は、あふれるほど出ている。多くは有名な選手や指導者を追いかけ、数回のインタビューをしただけで器用にまとめたものである。
 そういう本は読み物としては面白くても、事実関係はあやふやなものがある。また歴史的、社会的な背景に考えが及んでいないものが、ほとんどである。
 この二つの本は違う。克明に調べ、事実をもとに自分の考えをまとめている。
 インターネット・メディア全盛の時代ではあるが、このような歴史的資料として価値あるものは、印刷メディアで残しておくべきだと、ぼくは思っている。
 その意味で、この二大労作の出版を引き受けた新潮社と現代書館の英断も高く評価したい。






コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )
サッカー日誌 / 2014年07月26日


ビバ!ブラジルW杯時評(11)


FIFAのW杯運営批判(下)

国内航空運賃が高額だった理由

★会場都市往復で10万円
 ワールドカップの期間中、ブラジルの国内航空運賃が非常に高額だった。
 たとえば3位決定戦の行なわれたブラジリアへサンパウロから往復すると日本円で10万円ほどかかった。準決勝で燃え尽きたチーム同士の試合を10万円もかけて見に行く価値はない。
 しかし、仮に3位決定戦に日本が出るとなると話は別である。ワールドカップの3位になるとすれば、日本のサッカーにとっては歴史的出来事だから現地に取材に行かざるを得ない。
 しかし、3位決定戦の組み合わせは準決勝が終わらなければ分からない。決まった時点で飛行機便をとろうとしても、おそらく満席だろう。そのため、日本が出場するかどうか分からない時点で10万円を払って航空便を確保しておくことになる。

★運賃決定の仕組み
 以上は一つの例である。
 ブラジルは、日本の国土の22.5倍の面積を持つ広大な国である。その南のポルトアレグレから北はアマゾンのマナウスまで、全国にまたがる12都市が今回の会場になった。会場都市を転々と見て歩けば、おそらく国内航空運賃だけで150万円を超えたのではないか?
 そういうわけで、ワールドカップ期間中の航空運賃が超高値だったのは、これこそブラジルの便乗値上げ、悪徳商法かと思った。
 ところが必ずしも、そうではないらしい。
 旅行社の人に聞いたところでは、ブラジルの国内航空運賃の決め方は非常に細かく分かれていて、早期購入と直前購入、閑散期と繁忙期では大きな差がある。ワールドカップ期間中は超繁忙期で最高値になっていたわけである。
 ものの値段が需要と供給の関係で決まるのは経済の原則だから合理的な仕組みなんだろうと納得した。
 
★グル-プごとの同地域開催を
 リオとサンパウロを中心に、サッカーの盛んな南部の都市に会場を集めようという考えもあったらしい。しかしブラジル政府が会場を全国に分散することを主張したという。開発が遅れている北部にも経済効果を波及させようという狙いである。
 それにしても、大会前半のグループ・リーグではグループごとに同じ地域の会場で開催する方法もあったはずである。
 そうすればチームもサポーターも移動距離が短くてすむ。サポーターはバスで移動することも出来る。1994年米国大会までは、そういう方式で会場が決まっていた。
 会場と組み合わせの決定はFIFAの権限である。FIFAがグループごとの同地域開催をやめたのはなぜだろうか?
 チケット、ホテル、国内の移動は、現地に応援に行くサポーターにとって三大問題である。この三つについて、すべてFIFAの対応は不合理である。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
サッカー日誌 / 2014年07月22日


ビバ!ブラジルW杯時評(10)


FIFAのW杯運営批判(中)

ホテル代高騰の元凶は?

★通常の3~5倍の価格
 ブラジル・ワールドカップの期間中、試合開催都市のホテルの部屋代は通常の3~5倍だった。開幕6ヵ月前の2013年12月にネットで探したときは、そうだった。
 たとえば日本の第1戦と第2戦の会場に決まったレシーフェとナタールで空室のあるホテルは2~3しか出てこない。それも中級以下のホテル」で1泊2万5千円~3万円だった。
 レシーフェもナタールも、ブラジル北東部の大西洋岸で海水浴客のためのホテルが海岸に建ち並んでいる町である。ワールドカップの行なわれる6~7月は南半球のブラジルでは冬で海水浴のシーズン外である。ホテルの部屋が空いていないはずはない。
 リオやサンパウロのようなホテルがたくさんある大都市でも同じだった。
 ワールドカップのサポーターを当てこんだ高値設定に違いないと、ブラジルの悪徳商法に腹を立てた人もいただろう。

★高値設定はFIFAの責任
 しかし、ホテル代高騰の責任はブラジルではなく、FIFAにある。
 FIFAの代理旅行業者が、あらかじめ会場都市のほとんどのホテルを押さえ、価格を高値に設定したのである。日本の旅行社はツアーを募集するとき、FIFAの代理旅行社を通じてホテルを取らなければならないので、ツアー料金のなかの宿泊代が非常な高額になった。
 日本の第3戦の会場だったクイアバは、もともとホテルの少ない地方都市なのでベッドを確保するのが難しかった。ある日本の旅行社は「1泊2万5千円で4泊しばりしか割り当てがありません」と言っていた。日本はクイアバでは1試合するだけだから1泊だけでいいのに4泊分払わなければんらないわけである。そうするとクイアバ1泊10万円ということになる。

★2~3月以降に値下がり
 もちろん、日本の旅行社も対策を考えた。第1戦と第2戦の行なわれる2都市とは別の町にホテルを押さえ、バスで移動することにした。第3戦のクイアバははずし、希望者にだけ斡旋した。そういうツアーもあった。
 3月に入ると、ほとんどの都市でホテルの空室が出るようになり、価格も下がりはじめた。FIFAの代理業者が売れないホテルの部屋を手放したからである。
 実は、これは今回に始まったことではなく、1990年のイタリア大会のころから同じような状況が続いていた。
 2月~3月以降には、ホテルの値段は下がるのだが、日本の旅行社としてはホテルを押さえないでツアーを募集するわけにはいかない。そのため高値のホテル代を組み込むのでツアー料金が高値になるわけである。
 これはFIFAの「やり方」の結果であって、ブラジルが悪いとは言えない。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
サッカー日誌 / 2014年07月17日


ビバ!ブラジルW杯時評(9)


FIFAのW杯運営批判(上)

入場券は余っていた

★FIFA GO HOME
 ブラジル・ワールドカップの開幕前、サンパウロの市内から開幕試合の会場のスタジアムに行く道路からよく見える水路の土手に「FIFA GO HOME」という大きな落書きがあった。落書きというより抗議のプラカードというべきだろう。
 「FIFA(国際サッカー連盟)がブラジルの大衆の反感を買っているという話は本当なんだ」と思った。
 サッカーのワールドカップは、オリンピックを凌ぐ経済規模のスポーツ・イベントである。オリンピックを凌ぐようになった原因の一つは、アマチュアリズムを理念としていたオリンピックに対して、ワールドカップは商業主義を取り入れることをためらわなかったことである。
 ところがテレビの放映権料収入が巨額になるとともに、FIFAの商業主義が拡大し弊害が目立つようになってきた。それが開催国との対立を生むようにもなった。
「FIFA GO HOME」の抗議は、その表れである。

★チケットの販売方法
 問題の一つに「チケットの販売方法」がある。
 ワールドカップは「開催国が入場料収入ですべての経費を賄う」という考えから始まった。したがって当初はチケットの販売は開催国のサッカー協会の権限だった。
 ところがテレビの放映権が巨額になるとともにFIFAはすべての収入をFIFAのもとに集める方針をとり、現在はFIFAの代理業者が世界中の入場券販売を扱っている。
 前回の南アフリカ大会までは、チケットの一定数を各国のサッカー協会に割当て、各国の指定旅行業者がチケットとホテルをセットにしてツアーを売り出していた。
 したがって日本のサポーターは日本の旅行業者が売り出すチケットとホテル付きのツアーに参加してワールドカップを見に行くことができた。
 しかし、この方式は、割当チケット横流しなどの問題を生み、ブラジル大会では、やり方が変わった。

★ネット販売の弊害
 ブラジル大会では、チケットはすべてFIFAがインターネットを通じて、いろいろな方式で、何度にも分けて売り出した。何度にも分けるから1度あたりの販売枚数は比較的少なくなる。一方、買うほうは毎回、応募する。家族や友人の名を借りて応募する人もある。そのため見かけの競争率は高くなり、手に入れ難いようにみえる。
 しかし、実際には同じ人が何枚も手に入れるので、現地では余った入場券を売っている人がかなりいた。特定の試合以外は、入場券は余っていた。
 旅行社は、割り当てを受けられなかったので入場券を含めたツアーを売り出すことができなかった。そこで、航空便と宿泊だけのツアーを募集し「チケットは各自で確保してください」としていた。実際にはチケットを手に入れる方法はあったのだが、チケットを手に入れることができなかったために、観戦ツアーを断念した人もいただろう。また、パソコンの操作に慣れない人にとってはFIFAのサイトに申し込むのも厄介だっただろう。
 今回のFIFAのチケット販売方法には、批判が多かったようだ。
 ぼくの考えでは、以前のやり方のほうが弊害は少ないように思う。手馴れた旅行社を通じてツアーに参加できるほうが、一般のサポーターにとっては便利だろう。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
サッカー日誌 / 2014年07月15日


ビバ!ブラジルW杯時評(8)


ドイツ優勝への評価

決勝戦 ドイツ 1対0(延長)アルゼンチン
(7月13日 リオデジャネイロ)

★南米開催で初の欧州優勝
 決勝戦前日の記者会見でドイツのレーブ監督は自信に溢れていた。
 「ドイツが、南米で開かれた大会で優勝する初めての欧州のチームになれない理由があるだろうか?」
 延長戦にもつれ込む苦戦ではあったが、レーブ監督の言ったとおりになった。
 打ち上げられたテープが光輝きながら舞い落ちる中で黄金のFIFAワールドカップを掲げるドイツチームを見ながら考えた。
 「欧州のチームが南米で優勝したことに、どんな意味があるのだろうか」
 これまでに米国、メキシコを含め、大西洋の西側で開かれたワールドカップは7度ある。優勝はブラジルが3度、ウルグアイとアルゼンチンがそれぞれ2度。そのうち、1962年チリ大会以後の5度は、決勝戦の相手は欧州のチームだった。

★1958年のブラジルとの比較
 一方、欧州で開かれた10度の大会で南米のチームが優勝したのが1度だけある。1958年スウェーデン大会のブラジルである。
 今になってみると、このときのブラジルの優勝には、大きな歴史的な意味があった。
 第一にブラジルは「4:2:4」という新しいシステム(布陣)を欧州に紹介した。のちに「4:3:3」あるいは「4:4:2」に発展する「現代のシステム」のはじまりである。
 第二に17歳のペレがデビューした。20世紀最高のスポーツ選手になる天才の登場だった。ペレは個人のテクニックと判断力と速さの重要性を欧州に認識させた。
 ブラジルのサッカーの新しい発展を欧州に示し、その後の世界のサッカーの歴史を変えた優勝だった。
 それにくらべて、欧州のチームが、南米大陸の大会で優勝したことに、どんな意味があるのだろうか?

★単独クラブの良さ
 いまはテレビの衛星中継で、試合の様子がその日のうちに大西洋を越える。新しい戦法も戦術もワールドカップによって伝えられる時代ではない。
 アルゼンチンの先発メンバーは全員が欧州のクラブでプレーしている。欧州のスカウトが世界にくまなく目を配っているから無名の天才が突然、登場するようなことはない。
 そういう高度情報化社会の中で、サッカーがグローバル化した中でのドイツの優勝だった。欧州のチームが南米で勝ったことに不思議はない。
 もう一つ思ったのは、ドイツ代表がバイエルン・ミュンヘンを主力に構成されていることである。単独クラブの良さが代表チームに生かされている。
 南米の代表チームは、欧州のいろいろなクラブに所属している選手の「寄せ集め」である。そう考えると、南米にとって苦しい時代が、しばらく続くのかもしれない。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
サッカー日誌 / 2014年07月15日


ビバ!ブラジルW杯時評(7)


意欲を失ったブラジル

3位決定戦
オランダ 3対0ブラジル
(7月12日 ブラジリア)

★決勝前日、リオへ移動
 決勝戦の前日、午前の飛行機でサンパウロからリオデジャネイロに飛んだ。リオの国内線用サン・デュモン空港からマラカナン・スタジアムに直行。メディア・センターのテレビで3位決定戦を見るためである。
 3位決定戦をナマで見たことは、ほとんどない。内容のある試合を期待できないからである。
 準決勝で挫折した両チームは、すでに燃え尽きている。3位も1回戦敗退も優勝でなかったことには変わりはない。
 オランダのファン・ハール監督は「3位決定戦は意味がない。廃止すべきだ」と主張していた。
 準決勝で屈辱的な大敗を喫したブラジルにとっては、せめて3位決定戦に勝って国民に「お詫びのしるし」としたいところだが、すでに町からカナリア色のシャツは消えている。ブラジルの国民にとっても3位は無意味なのである。

★開始早々のPK
 3位決定戦のキッククオフ3分にブラジルがPKをとられた。テレビで見た限りの話だが、このPKはおかしかった。
 オランダの選手がゴールを目指して突進したのを、ブラジルの選手が追いかけて、ペナルティエリアに差し掛かったところで、後ろから相手の肩に手を掛けて止めた。オランダの選手はペナルティエリア内に倒れ込んだ。アルジェリア人の審判はPKをとった。
 テレビの再現映像で見たところでは、ブラジルの選手が相手の肩に手を掛けたのはペナルティエリアの外である。オランダの選手が倒れこんだのはペナルティエリアの中である。これはPKだろうか?
 半世紀も前の話だが、サッカーの競技規則を管理している国際FA評議会の決定事項を読んだのを思い出した。
 「反則の起きた時点をいつとするか」という問題についての決定である。

★反則の起きたとき
 「反則の始まった時点とする」というのが、評議会の決定だったと記憶している。
 この決定が現在も生きているとすれば、ブラジルの反則はPKではなく、ペナルティエリアのすぐ外からのフリーキックである。ブラジルの選手の行為が「得点機会阻止」であれば退場になってもおかしくない。あるいは、オランダの選手が、わざとペナルティエリア内に倒れ込んだとして「シミュレーション」をとることも考えられる。
もちろん判定は主審の権限である。それに主審はビデオで判定するわけではない。だから「誤審」だというつもりはない。
しかし、勝負としては無意味な3位決定戦も、審判技術向上のための材料を提供するためには意味があったのではないかと、余計なことを考えた。
 試合はオランダが2点を追加して3対0で勝った。ブラジルは、まったく意欲をなくしていた。


コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
サッカー日誌 / 2014年07月12日


ビバ!ブラジルW杯時評(6)


アルゼンチン熱狂の決勝進出

準決勝
アルゼンチン 0対0(延長、PK戦)オランダ
(7月9日、サンパウロ)

★36年前を思い出す
 準決勝の第2戦を見るために、当日の朝、ベロ・オリゾンテからサンパウロに戻った。
 大会後半の本拠にしている安ホテルは、アルゼンチンのサポーターで溢れていた。黄色のブラジルのユニフォームは、きれいに姿を消してしまった。
 霧雨が降り続くなかで青と白の縦縞とオレンジの対戦。
 36年前のブエノスアイレス・リバープレート・スタジアムを思い出しながら観戦した。
 1978年アルゼンチン・ワールドカップの決勝戦が、同じアルゼンチン対オランダだった。
 この時は再延長でも決着がつかないと3日後に再試合をすることになっていた。1対1で延長戦。帰国の飛行機が2日後だったので、再試合になると帰りの航空券を捨てて買い直さなければならない。「何とか点を取って」と祈っていたら、延長前半の終わりごろ、ケンペスの突進でアルゼンチンが勝ち越し。延長後半にも追加点が入って、アルゼンチンが初優勝した。

★見ごたえのある守り合い
 今回は0対0で延長の末、PK戦。アルゼンチンが残って決勝戦が欧州対南米になったのは良かったが、ゴールを挙げて決着をつけて欲しかったと思う。
 無得点ではあったが、試合内容は高度で見ごたえがあった。
 オランダはディフェンダー3人だが攻められているときは、中盤サイドの2人が下がって守備ラインが5人になる。その前に、さらに中盤の3人が並ぶ厚い守りである。アルゼンチンはオランダの守りのブロックの隙間に楔を打ち込む攻めを繰り返しては跳ね返されていた。
 メッシは相変わらず前線でぶらぶらしているだけである。しかし、ボールが渡ると怖いので、オランダはマークを怠らない。オランダの反撃をアルゼンチンは個人の強さでつぶし、
高いレベルの守り合いの試合だった。
 ただし、テレビで見たら、あまり面白くない試合だったかもしれない。

★ブラジル人のジレンマ
 スタジアムからの帰り、長距離バスのターミナルのある駅で地下鉄に乗ろうとしたら、アルゼンチンのサポーター軍団と出合った。青と白の縦縞を着て、青と白の旗を打ち振って歌い、叫んで、傍若無人である。4日後に決勝戦の行われるリオデジャネイロに夜行バスで移動するのだろうか?
 アルゼンチンとブラジルは、ともに南米だが、サッカーでは長年のライバルで仲が悪い。「欧州勢はやっつけたいが、アルゼンチンには勝って欲しくない」というのが、ブラジルの人たちの気持ちだという。ドイツ対アルゼンチンの決勝戦でブラジル人は、どちらを応援するのだろうか?
 ホテルに帰ってテレビをつけたら、ブエノスアイレスからの生中継が映っていた。
 1978年大会でアルゼンチンが初優勝したときと同様、市の中心、オベリスクの立つ共和国広場を群集が埋め、熱狂していた。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
サッカー日誌 / 2014年07月11日


ビバ!ブラジルW杯時評(5)


ブラジルの歴史的惨敗
準決勝、ドイツ 7対1 ブラジル
(7月8日、ベロ・オリゾンテ)

★リードされてパニックに
 準決勝2試合は2日に分けて2都市で行われる。最初の試合の会場はベロ・オリゾンテ。当日の午前にサンパウロから出かけた。サンパウロの北、600キロの美しい町である。約7時間のバスで往復した人もいる。
 試合は意外な展開となった。
 前半11分にドイツがコーナーキックのチャンスを生かして先取点を挙げた。この1点だけで早くもブラジルの守備陣は動揺した。さらに23分、右から攻め崩されて2点目を奪われると、もうパニック状態である。24分、26分、29分と6分間に4点を立続けに奪われて勝負にならなくなった。
 記者席のモニターテレビに憮然とした表情のフェリペ・スコラーリ監督の表情が写った。監督が手を打つ暇もなく、ブラジルの守備陣は崩れ落ちた。
 こんなワールドカップの準決勝は見たことがない。こんな惨めなブラジル代表も見たことがない。

★度を失って自滅
 2点目をとられた時点でも残り時間は70分ほどある。落ち着いて体勢を立て直せば、ブラジルのチーム力をもってすれば、逆転の可能性は十分あるはずである。
 にもかかわらず、ブラジルの選手は一人一人が我を忘れていた。ボールを得ると、自分だけで何とかしようと攻撃を焦って自滅し、相手がドリブルで進んでくると2人のディフェンダーが同時に迎え撃って、まとめてかわされた。それが反撃の裏をつかれた大量失点の原因である。
 選手たちが度を失ったのは「絶対に勝たなければ」という気持ちが強すぎたためだろう。
 フィールドに出てくるとき、手を前の選手の肩に当てて列を作り、チームの一体感を確かめていた。全員がスタンドの大観衆とともに、大声で国歌を歌った。スタンドには「心配するな、ネイマールの魂は共にある」とサポーターが横幕を掲げていた。

★むかしのブラジルの強さ
 スタジアム全体に悲壮感が溢れていた。
 開催国として、サッカー王国として,優勝することを期待されている重圧の上に主力のネイマールとチアゴ・シルバが出場できないのを「なんとかしなければ」という義務感がのしかかっていた。
 ブラジルが先取点を取っていれば、それが起爆剤となって悲壮感と義務感を勝利へと推し進めただろう。それが逆の結果になってしまった。
 それにしても「むかしのブラジルはすばらしかった」と思う。1962年のチリ大会では、ペレが負傷して出場できなくなっても厚い選手層にものを言わせてチームを建て直し、1970年大会の決勝ではイタリアに同点にされても、慌てず騒がず、個性の強いスターたちが一体となって跳ね返した。
 あの強さと冷静さが失われたのはなぜだろうか?


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
サッカー日誌 / 2014年07月10日


ビバ!ブラジルW杯時評(4)


ブラジルに重大危機
(準々決勝、7月4日~7月5日)

★着実に勝ち進むドイツ
 準々決勝4試合は、4都市に分散して、1日に2試合ずつ、2日かけて行われる。したがって、飛び回ってもナマでは2試合しか見ることが出来ない。
 大会の前半はブラジル北東部のナタールに邸宅を借りて「ビバ!ハウス」にし、日本の試合を主に見て回ったが、後半はサンパウロの安ホテルの2ベッドの部屋を借りっぱなしにし、そこを根拠地にして試合ごとに各地に出かけることにした。
 準々決勝は、まずバスでサンパウロからリオデジャネイロに移動してドイツ対フランスを見た。
 ドイツが前半13分に中盤のフリーキックのチャンスを生かしてあげた1点だけで勝った。ドイツは、これまでも目覚しい試合ぶりではながかったが、正確なパスによる攻めと堅実な守りで勝ち進んでいる。
 南米勢との優勝争いがおもしろくなりそうである。

★チアゴ警告累積、ネイマール負傷
 午後1時からリオのマラカナンでドイツの勝利を見た後、翌日のサルバドールでの準々決勝を見るため空港に向かった。
 その間に午後5時からフォルタレーザで行われるブラジル対コロンビアの試合が始まっていた。
 空港に着いたときは、後半が始まっていた。出発ロビーの大型スクリーンに映し出されているのを、大勢のお客さんの隙間から覗くようにして見た。
 試合の内容は、よく分からなかったが、ブラジルが2対1で勝ったのは分かった。
 しかし、主将のチアゴ・シウバがイエローカードをもらい警告累積で準決勝は出られないことになった。
 また、攻めの切り札のネイマールも最後に大きなケガをしたようで退いた。
 この2人が次の試合に出られないのでは、ブラジルは準決勝に勝ち進んだものの重大危機である。

★アルゼンチンも順調
 準々決勝の2日目は、サルバドールでオランダ対コスタリカを見た。0対0で延長引き分け。PK戦でオランダがベスト4に残った。
 オランダが優勢にボールをキープし、押し包むように攻め続けたが、コスタリカは懸命に守りぬき、スリリングな試合だった。5万1千人の観衆の大部分がブラジル人だったが、ほとんどがコスタリカを応援、興奮していた。外国同士の試合にも、こんなに熱狂するのかと驚いた。
 この試合の前にブラジリアで行われたアルゼンチン対ベルギーの試合は、メディアセンターのテレビで見た。
 アルゼンチンは、立ち上がりの8分にあげた1点だけの辛勝だったが、この1点の起点がメッシだったこと、リードしたあと戦い方を巧みに変えて1点を守りきったことに注目した。優勝するには、エースをたくみに生かして、その力を温存しながら戦うことが必要である。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
サッカー日誌 / 2014年07月09日


ビバ!ブラジルW杯時評(3)


ブラジル、薄氷のベスト8
決勝トーナメント入り(6月28日~7月1日)

★ブラジル全土がハラハラ
 ベスト16による決勝トーナメント1回戦、1/8ファイナルは、Aクラスの優勝候補に対するBクラスのチームの挑戦である。最近のワールドカップでは、Bクラスのレベルが上がっているから、Aクラスのチームも手を緩めることはできない。
 ベロオリゾンテで6月28日に行われたブラジル対チリが、そうだった。
 ブラジルがコーナーキックを生かして先取点をあげ、楽に勝つかと思われたが、チリが前半のうちに同点とし、その後もよく動いてブラジルの攻めにつきまとい、延長に持ち込んで引き分けた。
 ブラジルがPK戦をものにして、やっとの思いでベスト8に進出したが 延長後半の終了寸前にチリのシュートがバーに跳ね返るなどチリにもチャンスがあり、PK戦ではブラジルの2番手、4番手が失敗するなど、終始、ブラジル全土をハラハラ、ドキドキさせた試合だった。

★縮まっている格差
 ブラジルはグループリーグでもメキシコと引き分けるなど危なっかしい試合をしてきた。しかし、最後には優勝するチームが、グループリーグの段階で引き分けたり、1敗したりすることは、これまでに何度も例がある。
 決勝トーナメントではそうは行かない。負ければ終わりだし、引き分けならPK戦がある。
 ブラジルが先制しながら守りきれず、PK戦に持ちこまれたことは、ベスト8に進出は出来たものの今後に不安を感じさせた。先取点を守りきれなかったことは、守りに隙があることを示しているし、絶対に勝ち越し点を狙わなければならない立場になりながら無理をして点を取りにいくことが出来なかったからである。
 4日がかりで行われた8試合のうち、5試合が引き分けで、うち2試合がPK戦になった。AクラスとBクラスの実力差が縮まっていることを示している。

★アルジェリアの執念に感動
 決勝トーナメントに入って、試合の迫力が驚くほど急激に高まった。Bクラスのチームが「ここが勝負どころ」と全力を振り絞って挑戦し、受けて立つAクラスの優勝候補もエンジンを全開せざるを得ないからである。
 6月30日にポルトアレグレで行われたドイツ対アルジェリアは0対0で延長戦になった。
 延長前半2分にドイツが先取点を上げ、アルジェリアの抵抗もここまでかと思われた。さらに延長後半の終了直前にドイツが2点目。完全に勝負がついた感じだった。それでもアルジェリアは諦めずに、延長の追加時間になってからの反撃で1点を返した。
 優勢なドイツに気力と体力の限りを尽くして抵抗し続け、最後の最後まで試合を捨てない。その試合ぶりは感動的だった。アフリカ北端のチームが、これほど執念を燃やして戦うとは思ってもいなかった。
 日本代表も、せめて、このような勝負への執念を見せて欲しかったと思った。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 前ページ   

Copyright(C) 2007 US&Viva!Soccer.net All Rights Reserved.