サッカー日誌 / 2012年05月31日


ベガルタ仙台首位の要因を探る


守りは強いがケガ人続出

J1第13節
川崎 3対2 仙台
(5月26日 等々力スタジアム)

★5月に入ってちょっと息切れ
 6月上旬のワールドカップ最終予選に代表選手を出すため、Jリーグが3週間の中断に入った。
 中断前最後の第13節は等々力競技場に行った。首位のベガルタ仙台を見るためである。
 ベガルタ仙台は開幕から4連勝、引き分けを挟んで3連勝、さらに引き分けを加えて9試合負けなし。5月6日に地元で清水に敗れたが、さらに1引き分けのあと優勝候補の名古屋に4対0の圧勝。首位をキープし続けている。その強さの要因は何なのか。中断前にそれを見ておこうと思った。 
 残念ながら、この試合では、仙台のいいところを見ることはできなかった。地元の川崎フロンターレに土壇場で逆転された。スタート・ダッシュには成功したが、5月に入って、ちょっと息切れである。

★守備と中盤の組織と運動量
 仙台の強みは守りにあると言われている。
 前年、順位は4位だったが、総失点ではJ1最少だった。
 今季も、第12節まで総失点9でJ1最少である。総得点は25でジュビロ磐田の24に次いで2位、総得点と総失点の差は+16で断然トップだ。攻守ともにいい。
 ところが、この日の試合は良くなかった。ケガ人が多かったためらしい。
 記録を見たところ、前節は守備ラインの両サイドは、先発が90分出ているのに、この日は2人とも途中交代している。ケガによるものではないかと推察した。右サイドの菅井直樹は左足を痛めていたことが報道されていた。
 センターバックと中盤も組みかえられた。中盤右サイドの関口訓充が左膝靭帯損傷で初めて欠場したのが攻守に大きく影響しただろうと思った。

★中断期間に立て直せるか?
 Jリーグ中断直前の1試合を見ただけだから確かなことは言えないが、ベガルタ仙台が首位を走った要因は、守備ライン4人と中盤の4人が連動した守備の組織と運動量にあったのではないか。
 この日の試合は、活発な攻め合いで90分を終わって2対2だったが、3分の追加時間に入ってから川崎が決勝点をあげた。
 仙台は今季2敗目。13節を終わって8勝3引き分け2敗で首位は保った。しかし広島が、この日勝って、勝ち点2ですぐ後ろに迫ってきた。
 今後、3週間の中断期間中に、ケガ人が回復するかどうか? チームを立て直すことができるかどうか?
 手倉森誠監督の腕の見せどころである。


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サッカー日誌 / 2012年05月29日


ザックのW杯最終予選準備(下)


日本の強みは「スピード」か?

日本代表 2対0 アゼルバイジャン
(5月23日 袋井市エコパ・スタジアム)

★コンビネーションの速さ
 アゼルバイジャン代表チームの監督はベルティ・フォクツだった。元ドイツ代表のディフェンダーである。1974年のワールドカップ決勝で、オランダのヨハン・クライフをマークしたことでサッカー史上に名を残している。森孝慈監督が日本代表だったときに、日本に招いて指導してもらったことがあり、日本のサッカーをよく知っている。
 国際親善試合で日本に2対0で敗れたあとの記者会見で「前半、日本のスピードについていけなかった」と敗因を語った。日本のサッカーの特徴は「スピード」だという考えである。
 これにたいして質問が出た。「スピードでは欧州のチームのほうが優っているのではないか?」
 フォクツ監督は、こう答えた。「日本チームはコンビネーションのスピードが速い」

★テンポとスピード
 フォクツ監督はドイツ語で話したのだが、通訳が「スピード」と訳した言葉はドイツ語では「テンポ」だった。独和辞書を引くと確かにTempoは「スピード」と出ている。
 逆に和独辞書で「スピード」を引くと、Geschwindigkeit という言葉が出てきた。
ドイツ語のできる仲間に「テンポとゲシュビンディヒイカイトは、どう違うのか?」と聞いてみた。
 ゲシュビンディッヒカイトは、一つの方向に走る「速度」を示すようである。自動車運転の「スピード違反」の速度である。
 テンポは「変化のはやさ」も含むらしい。
 中盤のプレーヤーがボールを受けたとき、次にどこにパスを出すべきかを判断する「はやさ」はテンポだろうと考えた。

★判断とパスのすばやさ
 そういうように考えると、アゼルバイジャンとの試合の先取点で長谷部誠と香川真司が描いたイメージの「はやさ」はテンポだろう。一方、後半、宮市亮が1対1で抜いたのはゲシュビンディヒイカイトによるものだろう。
 得意ではない外国語を振り回すつもりはないが「日本のサッカーの特徴はスピードだ」という表現は誤解を生みやすいと思った。
 疾走速度で日本の選手が優れていれば、オリンピックや世界選手権の陸上競技100メートル決勝に日本選手が登場しそうなものである。しかし陸上短距離は日本の不得意種目である。
 日本チームの良さは、ゲシュビンディヒイカイトではなくて、頭脳の回転のテンポだろうと思う。ワールドカップ・アジア最終予選で、日本は判断とパスの組み立てのテンポを武器に戦うことになる。


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サッカー日誌 / 2012年05月28日


ザックのW杯最終予選準備(中)


宮市亮ら新戦力3人の評価

日本代表 2対0 アゼルバイジャン
(5月23日 袋井市 エコパ・スタジアム)

★ザッケローニの狙い
 アゼルバイジャンとの試合で、ザッケローニ監督は「新しい戦力をテストする」と予告した。予告通りに、酒井宏樹、高橋秀人、宮市亮が後半、交代で出場した。
 ザッケローニが、あらかじめ狙いを正直にマスコミに語るのはいい。自信を持ってチームを動かしていることが窺える。
 試合後の記者会見で、ザケローニ監督は、こう切り出した。
 「お話していたように、この試合での狙いは、海外組にリズムを取り戻してもらうこと、そして新しい戦力を見てみることだった。みな、よくやってくれた。一人一人の評価については、これ以上は聞かないでほしい」
 海外組のリズムは、まずます、よかった。
 新戦力の評価はどうだったのか?

★無難に務めた酒井と高橋
 新戦力3人は、それぞれ、自分の持ち味を見せてプレーをした。そういう意味で「よくやってくれた」ということはできる。日本代表の初舞台で、物おじせずに自分の良さを、積極的に発揮しようとしたのはいい。しかし、先輩たちにとって代われるような存在感を示すことはできなかった。
 ハーフタイムに2人が交代して後半から出場した。
 酒井は内田篤人と交代した。右のディフェンダーである。前半、サイドからの攻め上がりでは、もっぱら左の長友佑都が活躍し内田は守備的だった。代わった酒井は、攻撃的にプレーするかと思ったが、あまり目立たなかった。
 高橋は中盤の長谷部誠と交代した。前半、長谷部は攻めの組み立てを担っていたが、高橋の役割は主として守りだった。その点では無難だった。

★宮市登場に大歓声
 後半17分に宮市亮が登場した。スタンドから大歓声が沸き起こった。攻撃左サイドの香川真司との交代である。
 高校からJリーグのクラブを経ないで欧州に行っている。その19歳の日本代表初登場を、中継のテレビ局が事前の番組宣伝で煽っていた。その影響もあっての大歓声だろう。
 宮市は左サイドで果敢に1対1で抜いて出た。チャンスには鋭いシュートを放った。その積極的な姿勢はいい。ダッシュの速さで一人を抜く。そのスピードは効いている。
 しかし、4度ほど試みた1対1の勝負が、みな同じパターンである。そして、そのあとのゴール前への送球がゴールに結びつかない。
 新戦力に経験を積ませたのは悪くなかった。しかし、いますぐ、第一線の切り札として期待できる段階ではない。ザックの評価は、そんなところだろうと思った。


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サッカー日誌 / 2012年05月27日


ザックのW杯最終予選準備(上)


欧州組の「まとまり」は合格

日本代表 2対0 アゼルバイジャン
(5月23日 袋井市 エコパ・スタジアム)

★決戦前の強化試合
 ワー-ルドカップ・ブラジル大会(2014)のアジア最終予選スタートを11日後に控えて、日本代表対アゼルバイジャン代表の親善試合があった。ザッケローニ監督にとって、決戦前のただ1度の強化試合である。狙いは2つあった。
 一つは、シーズンが終わって帰国している欧州組を集めて、日本代表チームとしてのチームワークを取り戻すことである。アゼルバイジャンとの試合では、先発11人のうち、センターバック2人を除いて9人が欧州でプレーしている選手だった。
 もう一つの狙いは新しい選手を試してみることである。後半の交代で3人の若手がテストされた。酒井宏樹、高橋秀人、宮市亮である。
 結論から言えば、欧州組のコンビは十分、合格点だった。いくつか課題はあったにせよ、その後の10日間にかなり改善できるだろう。

★香川のイメージ・ゴール
 前半終了近く、42分の香川真司の先制ゴールはすばらしかった。
 長谷部誠が、本田圭佑とのコンビで中盤中央を突破しはじめたとき、香川の頭のなかにはすでに、その後の展開が浮かんでいた。
 左サイドからオープン・スペースへ進出する。そこへ長谷部から長いパスが来る。ドリブルで入り込む。相手のディフェンダーが追いすがる。内側へ切り返してフリーになり、その瞬間に、相手ゴール右上隅を狙う。
 「イメージ通りのゴールでした」と、香川は試合後のインタビューで話していた。
 スタジアム上層の天井桟敷で見ていたので、高いところから全景を見渡すことができた。長谷部が中央を突破したとき、そういう展開を記者席からもイメージできた。そのイメージを長谷部と共有し、走り込みながら実現できる戦術能力とテクニックがすばらしい。

★本田と香川の両立
 この試合のポイントの一つは、本田と香川を「どう両立させるか」だった。
 香川は、ドルトムントではトップ下をつとめている。本田のポジションと競合する。
 ザッケローニ監督は、本田をトップ下に起用し、香川を左サイドに出した。前にも同じ使い方をしたが、あまりうまく機能しなかった。今回は、スムーズにつながって、香川の「イメージ・ゴール」が生まれた。
 後半13分の日本の2点目は、香川の左サイドからの持ち込みが起点だった。ゴール前へあげたボールを本田が競り合い、こぼれ球を岡崎慎司が押し込んだ。
 2点とも香川-本田のつながりから生まれている。本田と香川の二人とも「おとな」になり、お互いの良さを生かしていた。「チームのなかの雰囲気がいいことを喜んでいる。メンタルな部分では問題はない」とザッケローニ監督はうれしそうだった。


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サッカー日誌 / 2012年05月25日


メダル至上主義と五輪招致批判


~谷口源太郎さんの報告を聞いて~
スポーツ政策研究会5月例会
(5月21日 駿河台明大)

★日本の五輪参加100年の検証
 日本が初めてオリンピックに参加したのは1912年のストックホルム大会である。それから100年になる。というので5月のスポーツ政策研究会では「日本のオリンピック参加100年を検証する」というタイトルで、スポーツ評論家の谷口源太郎さんが報告をした。
 谷口さんは、一つの問題を追及して厳しい表現で批判を展開することで有名である。しかし今回は「100年を検証する」という壮大なテーマだったので、問題点が多すぎて焦点を絞りきれないところがあった。
 でも、ぼくが聞いたところでは、主要な問題は二つあった。
 一つは、日本のスポーツ政策が「メダル至上主義」への流れを、ますます加速させていることである。もう一つは、2020年の夏季オリンピックを東京に招致しようとしていることである。

★メダルで国の地位は上がらない
 新たに制定された「スポーツ基本法」では、トップレベルのスポーツの強化を国(政府)が推進することを掲げている。オリンピックなどでメダルをたくさんとることが、日本の地位あるいは声価を高めるという論法である。しかし、スポーツのメダルをたくさんとることが国力の指標でないことは明らかである。
 この勝利主義への流れが、中曽根内閣のときの「教育懇談会」から始まっている、というのが谷口さんの指摘だった。
 選手たちがメダル獲得を目指すのは当然である。また日本のスポーツ選手が国際舞台で活躍することを国民が期待することに不思議はない。しかし、メダル獲得を奨励し、獲得目標数まで設定するのは政府の仕事ではない。
 政府のやるべきことは、国民全体のためのスポーツ環境の整備である。

★東京招致の名分も必要性もない
 オリンピック大会東京招致については「招致の大義名分も必要性もない」と谷口さんが批判した。これに対して2016年の大会招致に関係していた人から反論が出た。しかし東京開催の理念と必要性についての説明はなかった。オリンピックが「いいもの」であること、開催が利益をもたらすことを自明の前提としているようだった。
 ぼくは、いまやオリンピック競技大会そのものが「よくない」ものになったという主張である。このことは、これまでに繰り返し書いている。したがって、東京招致にはもちろん反対である。
 世界の平和と友好を掲げるオリンピックの理念はいいとしても、それを実現する手段としての「競技大会」は機能しなくなっている。それどころか多くの弊害を生んでいる。日本で2度目の夏季オリンピックを開催する必要は、まったくない。


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サッカー日誌 / 2012年05月24日


FC東京、渡邉千真の大逆転


J1第12節
FC東京 3対2 サガン鳥栖
(5月20日 味の素スタジアム)

★昇格組同士の上位争い
 FC東京が、渡邉千真(かずま)のハットリックで2点差を逆転した試合を見た。相手は遠征のサガン鳥栖である。
 J2から昇格したチーム同士の対決という触れ込みだったが、FC東京はもともとJ1のチーム。鳥栖はJ1初昇格だからFC東京優位が順当である。
 しかし、第11節までFC東京は勝ち点18で6位、サガン鳥栖は勝ち点17で7位。僅差の上位進出争いだった。
 前半終了近くの42分、サガン鳥栖が先取点をあげた。ドリブルとパスをすばやくつないだ逆襲速攻で水沼宏太が決めた。後半14分にも水沼からのクロスを豊田陽平が飛び込みざまのダイビング・ヘッドで2点目。水沼は1ゴール、1アシストの活躍である。U-15、U-17、U-23の日本代表で活躍してきた素材である。そろそろ大きく飛躍していいころだ。

★選手交代と布陣組み換えで反撃
 FC東京は後半9分に一度に2人の選手交代をして反撃に出ようとしていた。
 右サイドのディフェンダーのチャン・ヒョンスに代えて、中盤プレーヤーの石川直宏を出し、ストッパーをつとめていた徳永悠平を本来のポジションの右サイドに出した。守備的なチャン・ヒョンスを引っ込め、徳永の攻め上がりを生かそうという狙いである。ストッパーには2人のボランチのうちの1人、高橋秀人を下げた。
 そして右サイドの谷澤達也に代えて渡邉千真を出した。得点感覚の鋭い25歳だ。
 2点目をとられると23分に3人目の選手交代をし、中盤の米本拓司に代えてヴェルディから移籍の若手、河野広貴を入れた。
 ワントップだった最前線にルーカスと渡邉を並べ、トップ下の梶山陽平も前に出る。攻撃的な選手を繰り出しての総攻撃態勢である。

★終盤13分間のハットトリック
 この選手交代と布陣の組み換えが渡邉千真のハットトリックによる逆転劇を生んだ。
 後半30分に石川がゴール前へ通したボールに飛び込んで1点目、36分に左スローインを受けて徳永があげたボールを体に当てて同点の2点目、43分に石川の蹴った右後方のフリーキックからのボールを顔に当てて押し込んで3点目。終盤の13分間に大逆転のハットトリックである。
 渡邉は国見高、早稲田大学で得点王になっている。今季、横浜Fマリノスからの移籍。今季Jリーグでは先発はないが、ACLでは先発している。FC東京の交代策が成功したのは補強で選手層が厚くなっているおかげである。
 ランコ・ポポヴィッチ監督は「(勝ったという)結果だけでなく、その結果に、どのようにしてたどり着いたかということに満足している」と得意満面だった。


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サッカー日誌 / 2012年05月23日


女子サッカー普及の障害


東大五月祭シンポジウム
(5月19日 東大本郷法文2号館)

★日本スポーツの未来
 東京大学の「五月祭」でア式蹴球部(サッカー部)主催のシンポジウムをした。「五月祭」は本郷キャンパスの学園祭である。
 ぼくが在学していた約60年前に比べると学園祭の雰囲気はずいぶん変わっている。
 そのころ、サッカー部は有名なヴァイオリニストやピアニストを招いて有料のリサイタルを開催して資金集めをした。学生のスポーツに一流の日本の音楽家が協力してくれて、音響効果の悪い教室での独奏会を引き受けてくれた。入場券をOBに売りつけるのが部員の仕事だった。
 60年後の五月祭では、劇画に出てくるような女の子のコスチューム・プレーや「奇術研究会」の手品が人気を集めていた。サッカー部のシンポジウムは、そんな中では大真面目である。テーマは「日本のスポーツの未来」だった。

★女子チームは作らないのか
 国際オリンピック委員会(IOC)の名誉委員で元日本サッカー協会会長の岡野俊一郎さんとスポーツ・ジャーナリストのぼく(牛木)が25分ずつ講演し、そのあと学生のパネリストを加えて討論をした。OBと現役の手作りである。プロの音楽家を無理やり引っ張りだしたぼくたちよりは「良心的」かもしれない
 岡野さんもぼくも「なでしこJapan」を引き合いに出して話をした。そこで後半のパネル・ディスカッションでも、女子サッカーがトピックになった。
 ぼくが質問した。「東大ア式蹴球部では、女子のチームは作らないのか?」
 学生のパネリスト、鈴木宏樹くんが答えた。工学部建築学科4年生で東京都大学サッカー連盟幹事長である。「女子を拒否しているわけではありませんが、人数も揃いませんし、いまのところ、そういう話はありません」。

★男子と女子のグラウンド争い
 司会を兼ねていた主務の川瀬智博くんが正直に補足した。教育学部教育実践・政策コース4年生である。「レベルの低いチームを作るとグラウンドの使用が難しくなります」
 東大本郷には「御殿下グラウンド」と「農学部グラウンド」がある。他大学に比べると恵まれているほうではあるが、ラグビー、アメリカンフットボール、フィールドホッケー、ラクロスなど、ほかのスポーツと共用である。そこへ女子が加わると「男子の優先使用権」が脅かされる恐れがある。そういうことだろう。
 これは、実は大学スポーツに限った話ではない。地方の町で女子サッカーの普及を図ろうとすると、表向きには反対はしないが、グラウンド使用の争いで消極的になるという話を聞いたことがある。
 こういうことが取り上げられたことにも五月祭シンポの意義があったと思った。


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サッカー日誌 / 2012年05月20日


ウイール・クーバーの思い出


ビバ!サッカー研究会5月例会
(5月18日 東中野テラハウス)

★中川英治さんの報告
 ビバ!サッカー研究会の5月例会では、会員仲間の中川英治さんの報告を聞いた。中川さんは「クーバー・アカデミー・オブ・コーチング」のヘッドマスターである。全国にクーバー方式によるサッカー・スクールが100ヵ所以上ある。そこの指導者を育成するための、いわば「学校」を運営している。そこを修了した人が、サッカー・スクールの指導者になる仕組みである。
 ぼくは2月に、その指導者養成コースのカリキュラムの一つ、「スポーツ・メディア論」を担当して講義した。生徒たちが目を輝かせて、ぼくのスポーツ記者としての経験談をもとにした話を聞いてくれたので、やりがいがあった。
 また、ぼくには、それ以上にクーバーとのつながりがある。というのは「クーバー方式」を最初に日本に紹介したのは、ぼくだからである。

★クーバー方式とは
 いまから30年くらい前、1980年代の初めに、オランダのウイール・クーバーさんが、2度にわたって日本に来て講習会を開いた。それをアレンジしたのが、ぼくだった。  
 その事情については、これまでに、あちこちに書いているので、ここには繰り返さないが、要するに、オランダのウイール・クーバーという人が開発した少年サッカーの指導法を日本に紹介したのである。
 ぼくの考えでは、クーバー方式には二つのポイントがある。
 一つは、子どもたちに、ボール扱いのテクニックを身につけさせる練習法を開発したことである。
 もう一つは、ボール扱いの技術を身につけることを通じて、ひとりひとりの個性(パーソナリティ)を育てることを主張したことである。

★少年少女への指導法
 2009年にオランダに行ったとき、南部のケルクダーレという町にクーバーさんを訪ねた。84歳だったが、すこぶるお元気だった。少年たちにテクニックを身につけさせると同時に戦術的能力を手順を追って開発する練習法を考えていた。しかし、2011年に亡くなられたという報せを受けた。
 クーバーさん自身は、ビジネスについては、まったく関心のない人だった。だからビジネスとしての「クーバー・コーチング」に直接の関係はない。
 ビバ!サッカー研究会では、中川さんから「クーバー方式」についての説明を聞き、少年少女年代(小学生年代)の指導法について議論した。
 クーバーさんを日本に紹介したのは、ぼくの自慢である。純粋にサッカーを愛したクーバーさんと知り合えたのは、ぼくの幸せである。


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サッカー日誌 / 2012年05月19日


高校サッカー名監督の功績


元習志野高監督、西堂就先生訪問
(5月17日 春日部市)

★「西堂習志野」の三つの意義
 5月中旬、埼玉県春日部市に西堂就(にしどう・たかし)先生を訪問した。1966年と1972年の1月に市立習志野高校を率いて全国高校選手権に優勝した名監督である。
 ぼくの考えでは「西堂習志野」の優勝には3つの意味がある。
 一つは千葉県勢初の全国タイトルである。当時の関東の高校サッカ-は埼玉県の浦和が中心だった。そのなかで千葉のチームを全国レベルに引き上げた功績は大きい。
 また、習志野高の監督就任3年目で全国のタイトルをとったのは、育成スピードの日本新記録である。実は西堂さんは浦和の出身で浦和のサッカーのノウハウを生かして習志野を育てた。高校サッカーの普及とレベル向上の一つの事例として興味深い。
 もう一つ。1972年に優勝したあと、そのメンバーで朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)に遠征した。高校選手権優勝チームの海外遠征の「はしり」である。

★坂田信久さんとともに
 実は、1972年の北朝鮮遠征のとき、読売新聞の記者だったぼくと日本テレビの坂田信久さんが同行した。あれから40年。日本のサッカーは大きく変った。もちろん、西堂さんも、坂田さんも、ぼくも年齢を重ねた。西堂さんは92歳である。
 というわけで「むかしの思い出を語ろう」と坂田さんを誘った。いっしょに話していると、いろいろ忘れていたことを思い出す。ぼくと坂田さんにとっては、すばらしい時間だった。西堂さんが、お疲れになったのではないかと、ちょっと心配である。
 もう一人、ビバ!サッカーの仲間の女性が加わった。西堂さんの同僚だった先生の教え子である。彼女に西堂監督の業績を書いてもらおうと考えている。
 ビバ!サッカーの仲間で「高校サッカー名将列伝」という本を作ろうというのが、ぼくの一つの夢である。

★名将が協力して研鑽した時代
 西堂先生のお話を聞いているうちに「高校サッカー」の歴史のなかでの一つの形が浮かび上がってきた。
 それは、1960年代後半から1980年代にかけて、高校サッカーの監督さんたちが、お互いに競い合うなかで、日本のサッカーのレベルをあげようと協力し研鑽した姿である。藤枝東の長池実、浦和南の松本暁司、帝京の古沼貞雄など多くの「名将」が、日本のサッカーを世界レベルに近づけようと使命感を持って協力した。それは日本のサッカー史のなかで大きな役割を果たした功績だった。
 いまの高校サッカーの指導者たちは、自分のチームを勝たせるための競争に集中していて、協力して全体のレベルをあげることには目が向いていないのではないか?
 そんな疑問が頭に浮かんだ。


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サッカー日誌 / 2012年05月16日


J2岡山の上位進出


J2第14節 
東京ヴェルディ 0対1 ファジアーノ岡山
(5月13日 味の素スタジアム)

★前半は期待外れ
 J2でファジアーノ岡山が予想以上の健闘を見せている。開幕最初の4節は、2引き分け2敗と出遅れたが、第5節から8試合連続負けなし、6勝2引き分けである。第13節は岐阜に0対1で敗れたが、上位をうかがう地位につけている。この健闘が本物かどうか。味の素スタジアムで東京ヴェルディと対戦するのを機会に見に行った。
 前半は、まったく期待外れだった。相手からボールを奪うと前線の川又堅碁に合わせようと急いで縦に出す。それがつながらないで拾われて中盤を抑えられる。前半はシュート1本だけだった。決定的なチャンスはまったくなかった。
 「ファジアーノの良さは守りかな?」と思った。
 ヴェルディの前半のシュート数は6本だったが、こちらも決定的な場面はなかった。パスをつないで攻めるヴェルディを、岡山が厚い守りで抑えていた。

★厚い守りの布陣
 ファジアーノの布陣は3:6:1というふれこみだった、試合前に配布されたメンバー表では3:4:3だった。試合が始まって実際の布陣を見たところでは3:4:3のようだった。ただし、前線は川又堅碁のワントップに金民均と関戸健二が、中央で引き気味についている感じである。両翼は中盤からの進出を狙っている。
 いずれにせよ守備ラインは3人だが、3DFの布陣は、守りの場面、つまり相手がボールを持っている場面では、中盤のサイドプレーヤーが下がってDFラインは4人、あるいは5人になることが多い。3DFと表現すると守備ラインは3人だけで4DFより攻撃的だということになるが、実は5DFで守備的になるケースが多い。この日のファジアーノの前半は、そうだった。つまり守備的だった。中盤できびしくチェックし、ゴール前は厚いブロックで守っていた。

★川又堅碁の「はやさ」に注目
 前半は0対0だったので後半は両チームとも攻めに出るほかはない。攻め合いになって後半のシュート数は7本ずつと互角だった。
 面白いと思ったのは、岡山の前線プレーヤーが、のびのびと動き始めたことである。それぞれが自分の意思で動き、お互いにそれに合わせる攻めになった。サイドからの攻め込みとミドルシュートを織り交ぜ活発に攻めた。
 トップの川又堅碁の動きに注目した。前線への飛び出しがはやい。身長1m83と大型だが、スピードも技術もある。後半36分の逆襲速攻による決勝点は、川又のはやい飛び出しがチャンスを作った。22歳。得点をあげた関戸も22歳である。攻めの若い選手を生かして使えれば、上位を争う可能性はあるだろうと思った。
 岡山は勝ち点で、ヴェルディ、大分と並んで5位になった。

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